人気記事

    2024年11月28日

    明智恭介の奔走 今村昌弘(東京創元社)

    (この文章は『屍人荘の殺人』にも登場する明智恭介に関するある事実を明かしています。それは結末に関わる事実ではないのでいわゆるネタバレとは言えないけれど、初読の人の楽しみを奪いかねないので、少なくとも『屍人荘の殺人』未読の方は読まないでください。)

     確か「このミス」の第一位に、ある新人作家のデビュー作が選ばれたとの前評判を聞いて『屍人荘の殺人』を読んでみたと記憶している。冒頭から、ある状況設定に驚かされ(とは言え、昨今のミステリーは読者を驚かしてなんぼという時代になってしまったが)、続いて主人公の大学生である「俺」にとっての大切な人物であり先輩である明智恭介が姿を消すという、怒濤の展開が待ち受けている。明智恭介は、神紅大学ミステリ愛好会会長して、自ら名探偵を自認する人物だ。つまり、ホームズとワトソンという典型的なバディが活躍するミステリーだと思わせておいて、著者のデビュー作の冒頭からバディの関係が雲散霧消してしまうのが、一つのサプライズであったわけだ。

     『屍人荘…』ではかなりの変わり者として描かれ、語り手であり明智にとってのワトソンでもある「俺」が毎度毎度振り回されてきた事が匂わされてはいるが、当然ながら明智の人となりも「俺」の事もまだよくは分からない読者にとっては、その後のシリーズで折に触れ「俺」が明智の事を回想する場面で、ようやく「俺」にとっての明智が如何にかけがえのない人物であったかに気づかされる事になる。なので、いわゆる『屍人荘の殺人』シリーズとも呼ばれている連作が第二作、第三作と作品を積み上げていけばいくほどに、ワトソンになり損ねた元助手の心残りが我が事のように読者には感じられていく。いや、他の読者はいざ知らず、少なくとも僕にとってはそうなのだ。

     そういう仕掛けをデビュー作から入れ込んだおかげで、天才型でツンデレタイプの女性探偵と気弱な男性助手というバディが物語に不安定な人間関係をもたらす事になる。言ってみれば、慕うべき名探偵をアレからコレへと乗り換えた節操の無さ、あるいは貞節の無さを指弾されているかのような後ろめたさが、「俺」にはつきまとう事になる。夏目漱石の一連の名作ではないが、これも一種の不倫小説と言えるのではないだろうか。ただ、残念な事が一つあるとするならば、「俺」の後ろめたさが作品を追うごとに強くなることで今のバディよりもかつてのバディの方に、一読者である僕も関心がいってしまう点だ。「俺」と明智との蜜月はいかなるものだったのか、と。

     そして、まさに本作がその答を与えてくれた。短篇集ではあるが、明智がどんな人間でどんな探偵だったかが見事に描かれている。もちろん、名探偵ならぬ迷探偵であることは既に僕らは『屍人荘』シリーズで知るところではある。本作でも「俺」という存在がいなければ、名探偵になりきる事はできない明智を、「俺」はうんざりしながらも見捨てることができない。シリーズ本編が不倫小説の暗さを伴うのに対して、こちらは好きになってしまったが故にダメなところも含めてバディを支えずにはいられない恋愛小説だと言っていいだろう。この短篇集の白眉は、最後の「手紙ばら撒きハイツ事件」だ。この作品だけ、若くて未熟な明智が「俺」と出会う前、いや迷探偵になる前の話を描いている。これは正直、感動物だ。この一冊を読み終えた時、僕は即座に思った。明智と「俺」との長篇が読みたい。そう遠からず実現するんじゃないかという予感がする。
    posted by アスラン at 22:55| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
    この記事へのコメント
    コメントを書く
    お名前: [必須入力]

    メールアドレス:

    ホームページアドレス:

    コメント: [必須入力]


    この記事へのトラックバック