7.2.2 It would seem logical that if parents care for children when they are not yet able to enter the labor market, then children will care for parents when they are no longer permitted to remain in it.itが形式主語でありthat節がその内容であると分かってしまえば、解釈に不明なところは何もない。だから、もっぱら日本語として訳文の違和感を解消する事だけに専念すればいい。
(訳) 子どもが労働市場へ入ることができる前は親が子どもの面倒を見るのなら親が労働市場に留まっていられなくなったら子どもが親の面倒を見るのが当然だと思われるかもしれない。
そこでまずはlabor marketだ。訳は「労働市場」でいいようだ。とは言え、あまり日常では使わない言葉だ。確かに「売り手市場」「買い手市場」のように労働市場を思わせる言葉遣いはしているが、それは言わばビジネス用語として使っている。一方で「労働市場」は経済理論の中で、ある種の抽象度をもって表現される用語だろう。ちなみにニッポニカでは「労働力商品をめぐって売り手(労働者)と買い手(資本家)の間で取引が行われ、この需給関係によって賃金などの労働条件が決定される場」だと書かれている。このような定義からすると、我々労働者は生身の人間であると同時に一個の商品に過ぎないように感じられる。しかし、この文章でクローズアップされるのは「生身の人間」の方であり、「労働市場」と言うのは一種のアイロニーになっているのかもしれない。とすると、労働市場という硬質な手触りと、care for(〜の面倒を見る)という人間的な営みとをうまいぐあいにバランスをとりながら、訳文の日本語に手を入れていく必要がある。
単純に「労働市場に入る」ではさすがに粗雑だし、文字どおり「入る」というよりも商品として労働市場の中で一つの役割を担うという意味で「一翼を担う」なんかがいいのではないだろうか。それとthat節の前半の従属節の話題の中心は子どもであり、後半の主節の話題の中心は親になるので、それぞれの節で入れ子になったwhenで始める従属節の主語も前半は子どもに、後半では親になるように統一した方がいいと思う。それと、whenの訳し方だが「〜する時」とは言うが「〜しない時」とは言わない。特にthat節の前半の子どもについては、労働市場に入るまでの資格が問われるので「(入ることが)できる前」としているが、日本語として違和感があるので「(入ることが)できるまで」とする。
肝心の形式主語を表すit would seem logical that…の構文を伊藤先生は「…が当然だと思われるかもしれない。」としている。この言い回しだと、この後に「しかし当然ではないのだ」という否定的な含みがあるように感じられてしまう。この原因はwouldにある。「wouldはit seemsを弱めるための助動詞」だと本書では書かれているが、ランダムハウス英和大辞典では「《主張を和らげて》(1)《婉曲・丁寧を表して》…だろう、…でしょう (2)《疑念・不確実を表して》(まあ)…でしょう」と書かれている。この例文の場合はseemを使って「当然だと思われる」としていて、さらにwouldを使っているので「当然だと思われるだろう」となるところだが、やや日本語として違和感があると感じられたのか「かもしれない」と組み合わせた結果、さきほど述べたように日本語として否定的な含みが入ってしまった。it(形式主語)…thatの構文を順を追って考えると、以下のように断定表現がを和らいでいくとみなせる。
it is logical that… (…が当然だ)理屈からすると、上から順に断定の程度が弱まっていくのだがseemにwouldをつけて「思われるだろう」とするのはやや不自然だ。「思われる、ようだ」と言えば既に日本語としては断定を弱めているので、それ以上程度を弱めていくのであれば、副詞などを伴った表現(どうやら…ようだ)を用いた方がよさそうだ。logicalは「当然」ではなく「理にかなっている、筋が通っている」と訳す事にする。
it seems logical that… (…が当然に思われる、…が当然のようだ)
it would seem logical that… (…が当然に思われるだろう、…がどうやら当然のようだ)
以上をまとめて推敲する。
(推敲訳)労働市場の一翼を担えるようになるまでは子は親に面倒を見てもらうというのであれば、労働市場に居続ける事がもはや叶わなくなった際には親は子に面倒を見てもらう事になるという考え方は、どうやら筋が通っているようだ。
さらに推敲する。先ほど言及したが、that節の中身はifで始まる従属節と主節から構成されているが、さらにそれぞれの節がwhen節という従属節を抱えているので、日本語でそのまま訳すには少々複雑な入れ子構造になっている。なので、それぞれのwhen節が「子」や「親」を連体修飾するように変える。また、if節は仮定・条件を表すが、このthat節の内容だと「働く資格に満たない子は親に面倒を見てもらっている」という現実を前提条件にしているので、「もし」というよりは「だから」の方が日本語としてつながりがよくなる。
(推敲訳)労働市場の一翼を担えるようになるまでの子は親に面倒を見てもらっているのだから、労働市場に居続ける事がもはや叶わなくなった親は子に養ってもらう事になるという考え方は、どうやら筋が通っているようだ。