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    2024年05月19日

    英文解釈教室の訳文を書き直す(9.1.4)

    「Chapter9.関係詞 @主格の関係詞」より。

    9.1.4 Quite a number of my best friends are people who, when I knew them only by sight or repute, filled me with positive loathing.
    (訳) 現在、私の最良の友人になっている人の多くは、顔や評判を知っているだけのときには、何ともいやなやつだと思えたような人である。
     英語を習いたての中学生の頃、最上級で「最も〜な…の一つ」という言い方にビックリした。日本語の「最も(もっとも)」は「一番」という意味で、一番がいくつもあるのはおかしいと思ったからだ。「富士は日本一の山です。」を言い換えて「富士は日本で最も高い山です。」とは言えるが「富士は日本で最も高い山の一つです。」とは言えない。違和感があった。でも英語の授業では、それが正しいと教えられた。ここでは日本語として適切な表現に推敲する事が目的なので、その違和感をきちんと形にしなければならない。おそらく「エベレストは世界で一番高い山です。」の次に「キリマンジャロは世界で一番高い山の一つです。」に違和感を感じる以上、highestと「一番高い」はイコールではないという事だ。

     日本の文化では「最も」「一番」という心情的・情緒的な事実が重要だが、英語圏の文化では「最上位の」という論理的な事実が重要だという事かもしれない。少なくとも日本人から見ると、英語の最上級は「一番」にこだわっていない。どこかで「一番だと断定できるものは極々限られているので、ある範囲の上位にあれば同等に扱おう」という意識が感じられる。だとすると、best friendsを「最良の友人」と訳すのはマズいだろう。そもそも「最良の」と言ってるのに複数形なのは、日本人にとっては矛盾している。これはもう「親友」もしくは「仲の良い友人」ぐらいに訳さなければ、辻褄が合わない。

     次は「私の最良の友人になっている人の多くは…と思えたような人である」という、およそ日本語らしくない言い回しをなんとかする必要がある。こうなった原因はもちろん、この章の主テーマである関係詞の訳し方にあるのは確かだが、それ以外にも名詞句からなる主語を直訳調で訳している事も大きい。英語は主語や目的語に長々しい名詞句を採用して、その中に日本人からみると一つの文章になるような述部表現を圧縮している事が多い。ここでもQuite a number of my best friendsという名詞句から、きちんと言うべき事を抽出する必要がある。

     ポイントは日本語ではおざなりになりがちな冠詞や単数・複数について、どのように日本語に還元するかという点だ。もし、この直前に「私には親友と呼べる人間がたくさんいる」みたいな文があるのであれば、「この友人の多くは」で済ます事もできるが、その場合はおそらく「my best friends」自体がthemなどの代名詞になっているはずだ。文脈上、初見の対象についてはきちんと説明しておく必要が日本語にはある。それと同時に、話題(topic)が「私」から「親友の多く」に移った事を明示するために、題目の「は」を使って仕切り直す必要がある。
    (推敲訳)私には親友が何人もいるが、その中の多くは…

     次はpeople who,…以下の関係詞構文をどのように日本語に訳すか、だ。この英文はwhoの後にカンマが来ているが、もう一つのカンマで区切られたwhen I knew them only by sight or reputeが挿入節になっているだけで、本来は関係詞の制限用法だ。つまり、以下のようになる。
    (A)Quite a number of my best friends are people who filled me with positive loathing (when I knew them only by sight or repute).
     では何故、(A)は関係詞を使わずに以下のように書かれていないのだろう。
    (B)Quite a number of my best friends filled me with positive loathing (when I knew them only by sight or repute).

     これはあくまでニュアンスの違いに過ぎないが、(B)のように書いてしまうと、「私の友人の多く」が、かつては揃いも揃って「嫌悪感を抱かせるような存在だった」という客観的な事実を述べているように感じられる。つまり「親友だなんて言ってるけれど、そもそもは嫌悪感を抱かせる存在だったんだよ」という事実にフォーカスを当てている事になる。対して(A)の方は「今現在、親友がたくさんいる」という点にフォーカスを当てた上で、過去には「嫌悪感を抱かせる存在だった」という事実を補足している。(A)に含まれるニュアンスをなるべく反映するように推敲する。
    (推敲訳)私には親友が何人もいる。今となっては親友だがその多くは、見かけや噂などのうわべしか知らないうちは紛れもなく嫌悪しか感じなかった。

     もうちょっと「親友である」という事にフォーカスを当てたい。さらに推敲する。
    (推敲訳)私には結構な数の親友がいる。その多くは、ちらっと見かけたり噂を耳にしたりするだけでまだ何も知らない頃は、間違いなく大嫌いだった。なのに、今となっては親友だ。
     
    posted by アスラン at 00:10| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 英文解釈教室を書き直す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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