2005年07月07日

グッドラックららばい 平安寿子

「ごらん。お母さん、慎ましく、きちんとやっていることが、この通帳を見れば一目瞭然だ。少しずつでも貯金ができる堅実で清く正しい生活してますよ、心配しないでっていうお母さんの声が聞こえるようだよ。な? おまえたちはおまえたちで、ちゃんとやってる。お父さんも、そのつもりだ。みんな、誰にも迷惑をかけず、しっかりやってるんだ。嬉しいじゃないか」


 「素晴らしき一日」を予約待ちしてた事を忘れて、最近何かと耳にする著者の作品を近所の図書館の書棚から選んだのがこれ。

 ある日長年連れ添った妻がふいっと家を出るところから物語は始まる。失踪ではない。信用金庫で働く夫の元には事前に妻から「心配しないで」と電話があるからだ。ただ夫はいつものように愛想よく「わかった」と言ってしまうだけだ。

 これだけでも熟年離婚の危機といった流れになるのに十分な出だしなのだが、いっこうに深刻な事態にはならないのが彼ら一家の流儀だ。

 母さんには何か考えがあっての事と様子見を決めこみ、まるで2、3日留守にするだけの事のようにやりすごして20年経ってしまう

二人の娘は娘でそれぞれの流儀で事態をやりすごす。姉は母親の家出の真相にはちっとも関心がなく、父の様子見もいつもの事といたってクールだ。いやクールというより家族各々がありうべき反応をするのを面白がっている。

 妹は家族の中ではもっとも事態に素直に反応し母親の突然の家出に憤るが、それは何もかも自分本位の不都合を思っての事だ。

 つまり誰ひとりとして母親の家出という家族の問題に正面から向き会おうとする者はいないのだ。

 かと言って当の母親にそれ相応の止むに止まれぬ事情があるかと思えば、まったくない。やはり妹同様自分勝手な理屈と思いつきで戻らないだけだ。

 では家族とはいったい何なのだろう?

 そんな問いかけは無数に仕掛けられた作者の地雷の前に封印される

 まず目次から20年の長きに渡って母親の不在を受け入れてしまう事は明白なので、読者は自然とホームドラマにありがちな親と子、夫婦、兄弟姉妹の葛藤を期待する態度に変更を迫られる。

 一家の親族たちの常識的な対応の方が見ていて見苦しくさえ感じてしまう。

 母親がいる意味いない意味を考えて暮らすより、自分がどう生きるかを最優先する事の方が何か潔いし心地よい。そんな著者の高笑いが聞こえる。

 著者の筆づかいは、実は四人四様でバイタリティ溢れる家族ひとりひとりの勝手人生を思う存分描いていて楽しい。

 ツッコミを入れるとすれば、そもそも彼らのように勝手に生きる流儀を身につけている人間ばかりなら、家族であり続ける事も解消する事も自由な選択だろう。

 妻は夫の大物振らずすべてを許してしまうところも好きだし、些細な事にも心底楽しげに熱中できるところも好き。離れていても私たちは夫婦だし、だからこそいつ帰ってもいい、という彼女の余裕はもちろん現実ではない。

 おそらくそこにこだわれば、この作品は随分違った内容になっただろう。ラストで妹と母親の劇的なぶつかりあいで20年間を締めくくるシーンを想像するのは容易いが、著者は徹底的に「家族」を受け流す選択をとる。

 家族なんて所詮そんなものという底意地の悪さとも取れるし、家族はやっぱり家族という温かな眼差しとも取れる。

 いずれにしても明日は我が身などとしたり顔ぶらないで、著者が用意した素敵な爆弾たちを皿まで食い尽くしてしまう方がよさそうだ。
(2005/07/01読了)

posted by アスラン at 00:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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