2005年07月10日

1998年12月5日(土) 「原色パリ図鑑」「ぼくのバラ色の人生」「ニルヴァーナ」

 渋谷Bunkamuraのル・シネマで「原色パリ図鑑」」(no.168)を観る。

 失業して部屋代も払えない男が運をつかんで成功するまでを描いたコメディ。パリの衣料品の卸業が盛んなサンティエ地区でのユダヤ系フランス人の暮しぶりをうまく描いている。

 主人公エディがユダヤ人と間違えられてそのまま仲間入りしてしまうため生活習慣の違いが引き起こすトラブルがおかしい。

 主人公エディがユダヤ人と間違えられてそのまま仲間入りしてしまうためラストは繊維業界のボスの娘との結婚がユダヤ人でない事からダメになりそうになるが、結局愛はすべてを乗り越えるというハッピーエンド。

 嘘っぽいが、それもまた一方の現実を映し出しているのかも知れない。とにかくパリの都会的なストレートなラブ・ストーリではなく、移民たちにとってのパリをおしゃれに描いていて気軽に楽しめるコメディだ。

 昼食をはさんで引き続きル・シネマで「ぼくのバラ色の人生」(no.167)を観る。

 ベルギーの監督アラン・ベルリネールの長編第1作。女の子になりたい男の子の物語

 引っ越して来た新興住宅地でのガーデンパーティで姉のドレスを身に付けて登場してしまうリュドヴィック。隣りの父の上司の家の息子と結婚する事を夢みて、挙げ句の果てに学校の劇でシンデレラ役の女の子をトイレに閉じ込めて自分が入れ替わってしまって、父は失業。一家は再び引っ越しを余儀なくされる。

 隣り近所は偏見のまなざしで少年を観るが、監督の観るまなざしは性的な倒錯ではなく誰にでもある思春期以前の子供の心の揺れ動きとしてやさしく描いている。

 とにかくリュドイック役の少年は、少年少女が得てしてユニセックスな存在であるように長髪の時は愛らしい少女に見え、髪をバッサリ切られてからはしっかりとした少年に見える。監督の演出もさすがだが、やはりいい少年を見つけ出して来た事がこの作品を成功させている。

 かんしゃくを起こした母親にバリカンで髪を刈り上げられてリュドイックが涙を流すシーンは本当にせつない。

 シネセゾン渋谷で「ニルヴァーナ」(no.166)を観る。

 2050年という近未来でのクリスマス。ゲーム・デザイナー、ジミーが作っているゲーム『ニルヴァーナ』にウィルスが侵入し、登場人物が人格を持つようになりコントロールできなくなる。

 彼、ソロは虚構の中で孤独な繰り返しを生きる地獄から解放してくれと懇願し、ジミーは願いを聞き入れゲームを消去するため大企業のデータバンクに侵入する事を決意する。

 なかなか魅力あるSF的題材を扱った映画だ。イタリア映画というのもめずらしい。ゲームソフトの名前が『ニルヴァーナ』(涅槃、悟り)というくらいだから単純なSFではなく人間にとってのアイデンティティを問う作品だ。

 一般にサイバーパンクと呼ばれるジャンルに「自分探し」の題材が多いのは、現代の延長にある近未来がマスメディアを基調とした仮想現実の世界を想定しているからだろう。すべてが仮想現実となりうる世界では人類や自己という概念も曖昧なものになってしまう。その不安を人はどう解決していくのか。

 「ダークシティ」同様、ここでもキーワードは「記憶」だ。姿を消した恋人の記憶は一枚の棒状のチップに保存され、レシーバという入力ポートをもつ人間を通して再現される。その時ジミーの心は癒されるのだろうか。思い出さえも再現可能になり、人は身近な人の死をも乗り越える事が出来るのか。

 映画は答えを出してはいない。ただ仮想現実をもてあそぶ近未来の僕らをあざ笑うかのようにジミーは自らが生み出したゲームとゲームキャラクター、ソロを消去するだけだ。
posted by アスラン at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画評(1998年) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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