2007年07月03日

悪人 吉田修一

 読み出してすぐに吉田修一らしくない内容だなぁと思った。らしくないというのは、柄にもないという意味だ。まったく似つかわしくない内容だと思った。まずは宮部みゆきの「理由」が念頭に浮かんだ。朝日新聞の連載小説だということが一つ。現代の世相にリンクした事件を題材にしていることが一つ。そして何より関係者に語り手(記者)が取材した上でルポルタージュ形式でリアルに事件を構成していくという手法が、まさに「理由」のようだと言っていい。連載に当たって「理由」のような作品を、と著者に依頼があったと考えてもあながち間違ってはいないだろう。

 もちろん著者自身が、こういう世相を反映した事件から現代人のドラマを描きたいと以前から思っていたと語ったとしても、それを疑う理由はないのだが、書きたい題材を「理由」ばりのルポ形式で描いていくことを選んだ〈理由〉が僕には今ひとつ見えない。

 第一章「彼女は誰に会いたかったか」は事件の現場である三瀬峠の地勢を説明する文章で始まるのだが、事件記者もしくは週刊誌の記者が書いたにしてはまだるっこしい文章が続く。洒落た題材を小粋に表現する事にたけた著者だが、無表情を装いひたすら事実だけを積み上げるこの手の文章は不慣れに見える。

 だからこそと言ってはなんだが、お得意の小洒落た小道具を持ち込んだ文章は、表情のないルポから浮いてみえてしまう。例えば容疑者として指名手配される学生・増尾の友人は、将来映画監督の夢を描いた学生として登場する。彼の言葉に突如としてエリック・ロメールの名前が出てくる。非常に陳腐な監督オリバー・ストーンと書かれていれば、新聞の連載を読む読者の多くに届く表現になろうが、極めて玄人受けのするフランス人監督の名前と作品を果たしてどれほどの新聞購読者が知っているだろうか?

 失踪した増尾を心配しながらも、彼は今風の学生らしく自分本位の日常をクールなそぶりで切り取ってみせる。
日常は至って平凡で、こうやって大濠公園を見下ろせる部屋にこもり、「死刑台のエレベーター」や「市民ケーン」など好きな映画を観ているだけだ。その上、寝る前には必ずエロビデオに切り替えて、きちんと精を放つ。


 「死刑台のエレベーター」や「市民ケーン」といったややマニアックな名画のタイトルは、さきほどのロメールほどは意外ではない。それらが〈エロビデオ〉と同格で並置されるところに、著者らしい颯爽とした〈悪意〉を読み取ることができるが、新聞小説の読者の顔を思い浮かべてみると、この〈悪意〉は不発に終わりそうだ。

 第一章に続いて思わせぶりな章題は「彼は誰に会いたかったか」「彼女は誰に出会ったか」のように続く。もちろん事件の表面的な真相が次第に解き明かされようとも、当人たちしかわからない真実があるというところにこういったミステリー仕立ての人間ドラマの面白さがあるのは確かだ。その上でこの「思わせぶり」を、おなじみの〈吉田修一マジック〉ともいうべき手際の良さでさばき、軽くてドライな人間関係の中でもそれなりの〈重み〉を感じながら生きていく男女を描いている。

 しかし、如何せん事件自体にほとんど謎めいたところは見当たらない。出会い系サイトで知り合った男女の温度差が存在する限り、当然のように起こりうる日常茶飯事の事件と言っていい。そこが現代社会が抱える暗部に対する果敢な批評をミステリーに持ち込む事を厭わない宮部みゆきの一連の作品と本書とを大きく隔てるポイントである。著者には出会い系サイトが社会にもたらす〈悪影響〉などという紋切り型の視点は持ち合わせていない。だから出会い系であろうと風俗であろうと、そこに人間がいる限り男女が出会う限り、著者は物語を紡ぎ出す。

 そもそも「東京湾景」がそういう男女が出会う物語だったではないか。そして旧来の社会構造からするとうさんくさくいかがわしい出会い系サイトを、現代の恋愛を生み出す〈人間交差点〉と見なす事で、試しに一組のカップルの恋を成就させてみせる。出会い系サイトの〈いかがわしさ〉と見合うだけの目も眩むような東京湾の夕景をバックに、とびきりロマンティックな結末を描いてみせた。

 しかし、あの作品でも著者は出会い系で恋愛が成立しうるなどというファンタジーを信じ込ませようとしていないように、本書でも読者に純愛などというバカげた幻想を抱かせようとしているわけではない。「東京湾景」ではハッピーエンドだったから今度は悲劇に仕立てようという、神ならぬ悪魔の手業を使ったわけではないだろうが、被害者の女性が〈殺されて当然だ〉とみなす冷酷なセリフを松尾に独白させている。

とつぜん「こういう女が男に殺されるっちゃろな」と増尾は思った。

 そのあとに自分の身勝手を棚に上げたまま女の悲劇的な〈行く末〉を思い描く増尾の独白が続く。一瞬、この部分を描く事が著者の一つの核心なのだろうか、ならばあまりにつまらないなあと思ってしまった。このまま行くと「加害者が必ずしも悪人とは限らない。被害者が必ずしも善人とは限らない」といういささか陳腐な結末が待ち受ける事になりそうだからだ。

 そして終盤にいたって事件の真相がはっきりするにつれて加害者と被害者のドラマに意外な方向から横やりが刺す。加害者は出会い系サイトで別の女性と出会う。それは、被害者の前に出会っていれば「東京湾景」のような結末を迎える事も可能だったと思わせるような、お互いにとって理想的な関係だ。そしてはからずも逃避行を続けた挙げ句に逮捕された男は、最後の最後に「悪人」になる。文字通り「悪人」になるのだ。これが本書のタイトルの核心だ。

 「社会が、事件が、周囲の人間が、偶然が悪人を作った」という陳腐な結末は吉田修一の手の内にはない。ならば「悪人とはだれか?」という問いに、著者は「やむにやまれず悪人になるのだ」という結末を提示してみせた。この結末は確かに陳腐とは言えない。しかし、ここに一人の人間の哀しさを見いだす事ができるかは、また別の問題だ。

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posted by アスラン at 16:12| Comment(0) | TrackBack(1) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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