2007年07月02日

「永遠と一日」「トゥエンティフォー・セブン」(1999年4月29日(木))

  秋葉原のラオックス・コンピューター館でポケットステーションが入荷するという情報を事前に聞きつけていたので試しに10時すぎに出かけていった。200人近くの行列が出来ていたが大量に入荷したらしく無事手に入れた。

 その足で日比谷に出てシャンテ・シネで「永遠と一日」(no.35)を観る。

 テオ・アンゲロプロスの最新作だ。前作の「ユリシーズの瞳」が退屈で期待外れだったが、今回は「こうのとりたちずさんで」以来の傑作と言っていい。

 人生最後の一日を自らの過去をたどる旅をして過ごす詩人の物語だ。詩人役が「ベルリン・天使の詩」のブルーノ・ガンツで、自前のアルマーニのコートを着て年を重ねた渋い演技を披露している。

 自分には残された時間がわずかだと言うことがわかっている。なのに目の前には誰もいない。ただ自分の好きだった、いや誰かが好きだったレコードをかけると、それに答えるように音楽をかける窓越しに遠いマンションの一室の誰か。あとは自らのもとにすり寄る愛犬だけだ。

 妻もとうに逝った。愛する娘は自分から離れ、自分の存在を疎う男のもとで暮らしている。顔を見せてもちっとも幸せそうではない。そして自分の生を形づけた母は、施設で詩人の顔もうろ覚えのように生きている。

 むしょうに幸せだった頃のあの海辺の別荘での妻の顔が思い出される。孤独にさいなまれる主人公と、国境を越えて車の窓拭きで稼いでいる少年とが偶然出会う。この出会いが束の間、家族の温かさを詩人に思い出させる。

 まるでヴィスコンティの「家族の肖像」を観るかのようだ。やがて少年との別れ、主人公の死が訪れるだろう。だからこそ少年とバスに乗って最後の時間を過ごすシーンがたまらなく切ない。

 シネ・ラ・セットで「トゥエンティフォー・セブン」(no.34)を観る。

 冒頭男が町外れの廃墟で浮浪者のような中年を見つける。彼はかつての恩人、ボクシングのコーチだった。彼を自宅に連れてベッドに寝かし彼の持ち物の中にかつての日記をみつける。なかなかうまい出だしだ。

 一日は24時間、そして一週間は7日間。その繰り返し。

 失業者にあふれ活気を失った田舎町の若者達は、無為に一日を過ごす事しか出来ない。

 そんな中にボクシングジムを開いて若い連中のエネルギーの発散する場所を作る事に、主人公のダーシーは意欲を燃やす。それは自分自身の人生を取り戻す事でもあった。

 反抗的だった若者達もやがて戦う事で失っていた誇りを回復し、生きる目的を見いだすようになる。しかし大人たちはそんな子供も、ダーシーのやる事も信用しない。判ってあげるだけの余裕が彼らにはないのだ。

 そしてジムはトラブルの中で解散、失意のダーシーは姿を消す。何かを変えたい、自分だけでなく同じように屈折した若い連中も変わって欲しいという善意は、悲しい結果となって報われずに終ってしまうかに見える。

 ラストで冒頭のシーンに戻りベッドで静かに息を引き取ったダーシーを弔うために、かつてのジムの連中が葬式に出席する。かれらは一人前に社会に出て、家族をもつようになっている。ヤク中になってもっとも荒れていた奴が妻子づれで来ている。

 それぞれが立派に人生を歩んでいる事がなによりも胸を打つラストだ。

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posted by アスラン at 01:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画評(1999年) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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