2007年06月27日

ボッコちゃん 星新一

 最相葉月の評伝「星新一 一〇〇一話を作った人」を読まなかったら、いまだに僕にとって忘れられた作家、忘れられた作品のままであったに違いない。それほど中学生の頃に熱中したショートショートをその後読み直す機会はなかった。

 しかし不思議だ。決して不幸な別れがあったわけではない。面白い作品を書く作家で、その後筆力が落ちて読まなくなったという作家はいる。毎度毎度同じ作風で面白みがなくなったという作家もいる。しかし星新一はそのいずれでもない。思い出しても「飽きた、つまらなくなった」という別れ方ではないようだ。では何故読まなくなったのか?そこらへんの記憶がはなはだ曖昧だ。いや、そもそも星新一を読んだ時の幸せな記憶(というか感触)は残っているのだが、何を読んだか何が面白かったかという記憶はほとんど残っていない。

 今回読み直すにあたって、新潮文庫のタイトルをざっと眺めたのだが、どれを読むべきかどれが読み直したいかが今ひとつ定まらない。「ボッコちゃん」は確かに有名な作品だし有名な作品集だと思うが、どうも幸せな記憶とは無縁だ。そもそも新潮文庫で中学当時僕は星新一を読んでいない。あのころは白い装丁の講談社文庫をもっぱら読んでいたはずだ。

 すると今さらながら当時のラインナップを図書館の検索で確かめると、なるほど読んだ読んだと思われるタイトルが分かった。

エヌ氏の遊園地
おかしな先祖
おみそれ社会
盗賊会社
ノックの音が


 これらは確実に読んでいるはずだ。エヌ氏の滑稽な生活と意外な顛末が面白く、時にいろんな歴史上の人物やヒーロー達が出てきてはヒーローらしからぬ顔を見せたりぼやいたりするところが、本格的な大人の読書を始めようとする僕ら中学生には分かりやすく、躓きが少ない読書入門書に思えた。
 
 今回改めて新潮文庫でいまだに最も売れているという本書を読み直した。昭和46年初版で平成6年には65刷だと奥付に印刷されている。たかだか23年でこれだけ増刷されているから確かに驚くべきほど売れている。平成19年の今ではさらに増刷の記録を更新しているはずだ。

 何故こんなにも売れるのだろうと問うのは意味がない。僕らと同じような読書初心者たちが、今なお星新一と新しい出会いをはたしているからに違いない。正しい問いは

「何故、人は星新一と別れるのか?」


だろう。

 今回読み直してまず感じたのは、こんなに悲劇的な結末が多かったのかという一種の感慨だ。あざなえる縄のごとく、星新一の作品では禍福は交互にやってくる。

 作品のだいたいが、クールで時としてかなりブラックなユーモアにくるまれて「そうそううまい話はないよ」とか「悪いばかりじゃないさ」という落ちがやってくる。登場人物に内面があれば、落ちがもたらす悲劇やハッピーエンドにもてあそばれる身の上をおもんぱかることも出来ようが、あいにくと星新一作品に内面は存在しない。

 最相葉月の評伝を読むと、星新一が作品から内面や心理描写、生身の感情が生じる残虐場面・性描写を意図的に排除してきたことが指摘されている。ひとつにはショートショートの枚数では余裕がないという方法論でもあったが、一方で作品が時代とともに古びてしまうことを著者が嫌ったためでもあるようだ。作品集に再録する際に言葉遣いを何度も改めるというくらい徹底していた。

 人間の内面が古さを感じさせるというのは奇妙な言い方に聞こえるかもしれないが、SFの描く未来設定以上に作品に古さを与えてしまうのは、社会に依存した人間の考え方・モラル・情緒といったものだ。星新一は〈いま生きている現在〉から演繹される近未来になんらかの予断を与えたくなかったのだろう。

 近未来は〈いまを生きる〉人間や社会から演繹されるが、人間そのものは〈近未来を生きる〉人間であるはずで、〈いまを生きる〉人間ではない。そういった確信が著者の中に当初から芽生えていたのかもしれない。

 しかしジャンルがSFだからと言って、こうまで古びない事を作品に課す必要があるだろうか。そもそもサイエンス・フィクションであるからこそ、描かれた未来はよりいっそう古びる事が約束されていると言えないだろうか。いや描かれた未来が「あの頃の未来」である以上、星新一、いや、あの頃の人々すべてが思い描いていた未来とは違った未来へと分岐してしまった瞬間に、もはや星新一の作品は新しくはなれない。もちろん「今の未来」とすれ違って遠方へと離脱しながら「あの頃の未来」へとひた走っていく彼の作品は、同時に〈古びる〉というからも逃れてしまったのかもしれない。

 新しい読者は当然ながら「あの頃の未来」を知らない世代だ。きっと星新一の作品は奇妙な異世界の話に映るに違いない。パラレルワールドというより人類が違うといった方がいいのか。そこには違和と親和はあっても恐れはない。70年代当時に僕らが読んだのと同じように、彼らは星新一が紡ぎ出す結末のどんでん返しに快哉を叫ぶに違いない。

 しかし「あの頃の未来」を体感して、今となってはそれが失われた事に気づきながら生きている僕は、かつては快哉を叫んだに違いないラストに愕然とあるいは唖然とさせられる。

ボッコちゃん
月の光
暑さ
生活維持省


などの作品が特にそうだが、これを笑って楽しめるほどに「今の未来」に楽観できなくなっている自分がいる。ゲラゲラ笑えたはずの「おーいでてこい」ですら、著書が仕掛けた尋常ならざる悪意の仕掛けにたじろがされる。

 最相葉月が星新一の作品を題材にして書いたエッセイ「あの頃の未来」を読むと、読書初心者だった著者や僕、通過儀礼のように星新一の作品に一度ははまった人々は、星新一が描き続けた未来や、彼の憎悪に似た未来へのまなざしを、当時は読み損なっていたのではないかと思わせる。今回再読してみて「そうかもしれない」と納得させられそうになったが、しかし一方で最新科学への関心とそれがもたらす危険性を十分に承知している彼女が、星新一の作品から過剰にモラルや警鐘を引きだそうとしている事に思い当たった。暗いのは星新一ではなく、最相なのだ。

 とすれば、今なお星新一の作品は〈異世界の未来〉を愉快なままに提供して読書初心者の心を捉えはなさない。愉快なまま読めるのは、彼らがまだ人生のとば口にあり、生きる事に楽観的になれるから違いない。「何故、人は星新一と別れるのか?」の答えは出たと言えまいか。

 もう一つ言える事がありそうだ。

「何故、人は星新一の作品を忘れるのか?」


 なぜ幸せな感触は残っているのに、内容を忘れるのだろう。これはショートショートというジャンルの致命的な欠陥なのではないだろうか?

 一本つくるのに長編も短編もかわらないと、短編を撮ったばかりの北野たけしがカンヌ映画祭で言っていた。短いから簡単に作れると考えるのは大間違いだ。同じ事を星新一自身もよく主張していたらしい。そうして枚数に比例するのが一般的な原稿料を作品一本あたりいくらで換算するように仕向けた。

 さて読者にとってのショートショートはいかなる位置づけになるか。事情は同じではないのか。記憶の仕組みからすれば、映画も本も短いほど印象的な場面は短くなり記憶しにくくなる。だから忘れる。さらには一冊に含まれるたくさんの同類たちの中で、名作と言えども埋もれていく。

 また、一〇〇一話ものショートショートを生み出すに至った創作法は、様々な思いつきをスクラップしておいて後から任意に取り出しては意外性のある組み合わせからストーリーを想像していくという星新一ならではの独特な作り方だった。しかしこの自由度の高さは、まったく同じストーリー展開なのにオチだけ違うという作品をあえて提供した事もあるように、読者側にも自由度の高さにつきあえるだけの能力、いわば〈読み上手〉を要求する事になると言える。

 しかし、そもそもが世代を超えた読書初心者たちが繰り返し星新一のショートショートに惹きつけられてきた経緯がある。僕を含めたビギナーたちは、この自由度の高みを登りつめた後に、より広範囲な読書体験を求めて巣立っていく。あるいは目も眩むようなショートショートの森の周囲をうかがったところで満足して、読書という孤独な行為に変わる何かに乗り換えていく。

 いずれにしても〈読み上手〉を要求される読書は、読書の面白みを知ってしまった者にとっては時として煩わしい。煩わしさにとらわれずに星新一を読めば、作品の自由度ゆえに〈忘れる〉。それがやがては星新一と〈別れる〉ことになるもう一つの答えだ。

 それは一人の作家にとっては確かに不幸だったかもしれない。しかし、紆余曲折を経てふたたび彼の作品へと戻ってきた時に、まったく違う読書体験が開かれている稀有な作家であるという意味で、多くの読者にとっては幸せな事に間違いはない。

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posted by アスラン at 06:20| Comment(2) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 お久しぶりです。

 星新一、小学校から中学校にかけて読みまくりました。懐かしいですねぇ。なんだかシミジミとしてしまいます。

 お小遣いに限りがあって、思うように本が買えなかったので、何回も何回も読み返しました。今でも、ぼっこちゃんに入っていた話はかなり覚えてます。

 今、多少なりとも本を読むようになったきっかけになった作家さんと言ってもよいのかもしれません。筒井康隆がエッセイの中で、星新一について書いていました。とても温かく、知的で紳士的な方だったそうです。

 アスランさんの書評を読んで、星新一を再読してみたくなりました。
Posted by しのきち at 2007年07月10日 00:12
しのきちさん、ほんとにお久しぶりです。

小学生から読もうとしたらお小遣いきびしかったでしょうね。僕は小学生のころはもっぱら学校の図書か、買って もらった児童書しかなかった。漫画はひたすら立ち読みしてました。ゆるしてくれた書店のおばさん、本当にありがとう。

中学生になってちょっと背伸びしたかったのと、お小遣いの少々アップしたので、まずは星新一の文庫が買えたんだとおもいますね、僕は。

筒井と星新一との交流については、例の評伝でも触れられています。かなり親しい仲でお互いの事を理解しあっていたらしいのですが、晩年はちょっと齟齬ができてしまったのが残念だったと書かれていました。

 星新一読んでみてください。

 今日いきつけの古本屋によったら、店前の105円コーナーに新品同様の「ボッコちゃん」がありました。平成16年で85刷だそうです。驚異ですね。
Posted by アスラン at 2007年07月10日 12:55
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