2007年06月21日

角の三等分 矢野健太郎

 高校の授業で何が楽しかったかと言えば例えば数学で、数学の中でも整数論と幾何学が好きだった。取っ付きやすいという事もあるが、一番の魅力は出てくる答えに意味があることが大きい。もしくは目の前に見える形で答えが提示されるというところがなんとなくわかりやすかった。

 その中でも「整数」の授業の教材だったモノグラムに載っていた「フェルマーの大定理」のエピソードが、ダントツで僕の数学に対するロマンチックな思いをかきたててくれた。フェルマーの「余白が少ないので証明は省略する」というセリフは、カッコよすぎるし、そんなのズルイぞ〜と思わずにはいられなかった。

 高校時代のモノグラムには、このエピソードが欄外のコラムに掲載されていたが、最近の版では外されてしまっている。「整数」論自体が以前のようには魅力あるジャンルではなくなってしまったのかもしれない。しかし夢を与えるはずのエピソードを効率の名の元に紙面から除外すれば、おのずとジャンルそのものの魅力は失われていくことになりはしないだろうか。

 同じような意味で僕のロマンをかきたてながらも、あまり十分な説明を受けた記憶がなく、それでいて「フェルマーの大定理」以上に〈大いなる謎〉であったのが、古代ギリシャで提起されたとされる「幾何学の三大作図問題」だ。たぶん幾何学を初歩から学ぶ際に「平行線は交わらない」などの公理と一緒に教わったはずだ。

 三大作図問題とは、以下の3つだ。

(1)与えられた正立方体のちょうど2倍の体積を有する正立方体を作れ
(2)与えられた円と同じ面積を有する正方形を作れ
(3)任意に与えられた角を三等分せよ

 これらは、ピタゴラスの定理などと同様に見た目をイメージしやすいし、一見してパズルのような面白さが感じられる。おそらく古代ギリシャの数学者たちも、設問のシンプルさと美しさに惹かれたのだろう。

 幾何学、いや数学に無知な僕のような人間は、解法も設問同様に解りやすいものではないかと想像してしまう。ところが数学の教師は「これらはすべて作図できない事が証明されている」と僕の安易な夢想をたちまち打ち砕く。この当時は証明されていなかった「フェルマーの大定理」とは違って、不可能であることが証明されているという意味が非常に判りにくかった。

 そもそも「できない(不可能である)」ことを証明するという事がどういう事なのか、そのころの僕には納得がいかなかった。しかも、作図という物理的な動作にも関わらず、なぜ「できない」ことが証明できるのかもピンとこなかった。でも、たいていはそれ以上の事を教師は教えてはくれないのだ。

 始末に負えないのは、その〈不可能の魔〉にずっとずっと魅入られる人間もいるということだ。「あることを不可能と宣言するのは、その問題に手をつける以前にあらかじめ自分の限界を示すことではないのか」と言いつのるアマチュア数学者がいまだ後を絶たないらしい。この手の人間は数学だけに限らず様々な分野に潜んでいる。そういう人物や著作が、以前読んだ「トンデモ本の世界」(と学会編)で数多く紹介されていた。

 もちろん僕には、〈角の三等分屋〉と呼ばれ、今なお角の三等分線を作図できると信じるアマチュア数学者たちのような過剰な思いこみも、過剰な情熱もない。ただ、教師から〈さわり〉を教えられた後に突き放され、教科書の限られた紙面からは一向に問題の本質は見えてこないまま、一度煽られた好奇心は宙ぶらりんの状態になってしまう。

 それでいて追い討ちをかけるように、決闘によって若くして亡くなった天才数学者ガロアが見いだした「五次以上の代数方程式の一般的解法がないこと」の証明と同質の問題を、この作図問題は孕んでいるという非常に魅力的なウンチクが耳に入ってくる。

 そうこうするうちに、この歳になるまで一度も〈角の三等分の作図〉の不可能証明を知る機会をもたなかった。これまでに機会がなかったのはひとえに自分の怠慢だろうが、もうひとつ言えばガロアの証明に到達するような難しい数式に付き合うつもりはまったくないという事でもある。要は僕自身の好奇心を満たす程度にやさしくかみくだいて啓蒙してくれる一冊の本があればいいのだ。

 そういう意味で本書は僕が長年待ちのぞんでいた本だった。このような本が「科学の泉」というシリーズの一冊として昭和18年に既に刊行されていたなんてまったく知らなかった。しかも著者は、あの矢野健太郎だ。これ以上の適任はないではないか。

 一読して期待どおりの内容だった。本当に分かりやすくて僕の長年の興味をすべて満足させるものだった。強いて言うと、再刊にあたって著者を引き継いで、まさにガロアの理論に至るような厳密な証明を補足した第2章の解説(一松信・著)は、僕にとっては蛇足でしかない。この本は矢野健太郎の第1章と、巻末の『「角の三等分屋」と付き合ってみて―しんどかった』(亀井哲治郎)を読めば十分だ。もちろん僕とは違って数学そのものに興味も知識もある人は読んでみるといい。特に「不可能」という意味を詳しく論じている部分はたいへんに参考になった。

 では最後に著者の第1章を要約しておこう。もちろん要約する必要がないくらい本文は分かりやすいので本書を読んでもらえばいいのだから、あえてヤボな事をするわけだ。それに簡潔にまとまっている証明をさらにかいつまむわけだから、分かりやすい要約になるわけでもないのだが、まあ予告編ぐらいに思ってもらえばいい。

(3)任意に与えられた角を三等分せよ

 この作図が不可能だというのは設問としても解答としても正しくない。なぜなら角の三等分は作図できるからだ。例えば本書でも紹介されるように、様々に考案された機械(定規・三角定規・分度器などを組み合わせたもの)を使えば作図できる。

 古代ギリシャの人々がエレガントな設問として案出したのは、

 
定規と両脚器(コンパス)を有限回用いて作図せよ。


という制限である。そして二千年以上を隔てた今日に分かったのは、上記の制限下では「任意の角を三等分できない」という事だった。「三等分できない」は「任意の角を」を受けることに注意すべきだ。特定の角(例えば90度)を定規とコンパスで三等分する事は可能だからだ。

 まず上記の設問を代数方程式で記述する。なぜ作図の問題が代数の問題に帰着できるかは、それこそ「紙面、いやブログの都合で省略する」。ただし幾何の標準的な問題を解くように補助線などを加える事で、三等分された角をはさんだ三角形の底辺をxとして、元の角をはさんだ三角形の底辺をaとした場合に、以下の三次方程式が得られる。

 
x^3−3x−a=0


 これを解くと、三等分された角を含む三角形の底辺が判ることになり、高さもxから導出される事は判っているので、結局は角の三等分が作図できる事になる。よって前述の作図不可能問題は、


 定規とコンパスを有限界用いただけでは、任意のaに対する上記三次方程式を解くことができない


と同じことになる。

 次に「定規とコンパスを有限界用いる」という作図で代数的な計算がどの程度までできるのかを著者は明快に説明していく。加法と減法ができるのはわかるとして、乗法や除法もできるというのはちょっと意外だった。ましてや開平(いわゆる二乗根の計算)もできるというのは目からウロコと言っていい。そこで次なる定理が導かれる。

[定理]
代数式は、それがせいぜい加減乗除および開平を含むとき、およびそのときに限り作図可能である。


 はたと気づくのは、高校で習う二次方程式の一般解というやつだ。あれは、

[x^2+pX+q=0の解]
  X=(−p+√(p^2−4q))/2またはX=(−p−√(p^2−4q))/2

で表されるから、これらで表現される図はすべて定規とコンパスで作図可能なわけだ。

 そこで先ほどの三次方程式になるわけだが、僕らの知識には三次方程式の一般解なんてない。たとえ一般解というものがあったとしても、開平ではなく開立(三乗根の計算)を含むのであれば、前述の定理から作図できないことになる。

 ところが、もし先ほどの三次方程式が有理数を解に持つとするならば、剰余の定理(いわゆる高校の時に覚えた因数分解)から、有理数を解にもつ一次方程式と二次方程式とに分離できるから、すべての解は作図可能である。

 ここからが非常に数学らしいトリッキーな部分なのだが、上記の逆を考えて、

作図可能な解を持てば三次方程式は少なくとも一つ有理数の解を持つ


という定理が成り立つ。そこから、

前述の三次方程式が有理数の解を持たなければ、定規とコンパスを有限回用いて作図可能な解を持たない。


と結論付けられる。

 よって前述の三次方程式で、aを勝手に選んだときに有理数の解を持たないことが証明できればいいことになる。著者はa=0を選ぶことで「90度という角が三等分可能である事」を分かりやすく証明する。そして最後にa=1を選ぶことで「60度という角が三等分不可能である事」を証明する。

 すなわち「x^3−3x−1=0が有理数の解を持たない事」を、著者は背理法を使って証明する。ここから、

[定理]
定規と両脚器とを有限回用いたのでは60度を正確に三等分することはできない。


という最後の定理が導かれる。角の三等分が一般的に作図不可能なことの証明はこれで十分となる。

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posted by アスラン at 01:39| Comment(6) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私は三分家です。定規とコンパスを有限個使い(定規二本、コンパス1個、もちろん紙と鉛筆と手)有限回の操作で任意の角を三等分できます。不可能を証明する定理が正しいのは理解できますが、最後の「だからできない」というのが間違っている。
「アキレスと亀のパラドックス」は無限回の操作が有限の時間でできるところにある。
Posted by 東 陽志 at 2007年10月27日 11:14
東陽志さん、コメントありがとう。

〈角の三等分屋〉(屋であって家ではない)というのは多少なりとも揶揄を込めた表現だと理解しています。〈三分家〉と表現は耳慣れませんが、揶揄を含まない自称だと思っていいのでしょうか?

いずれにしても僕にはあなたの主張をとやかく言うに立場にはいません。もしあなたの主張が正しいならば、そう遠くない将来に〈角の三等分〉の不可能証明が間違っていたと数学界が認めるようになるはずですからそれでいいのではないでしょうか?

ただし「不可能を証明する定理が正しい」のが理解できて、「だからできない」というのが間違っているというのであれば、あなたが明らかに定理の意味するところを理解できていないとしか、僕には思えません。

さらに言えば「アキレスと亀のパラドックス」の解決が「無限回の操作が有限の時間でできるところにある」という点は理解できますが、それと〈角の三等分〉の不可能問題との関係についてはさっぱりわかりません。
Posted by アスラン at 2007年10月28日 00:38
全般に誤解があると思うのです。計算、作図等は先ず物理過程であると言う事です。任意の角の3等分問題にしても定規とコンパス以外に手と時間、紙等を使う事を前提にしているはずです。
「・・・だからできない」という一節は定理の中に入っていないのです。
アキレスと亀のパラドックスのように角の3等分も無限回の操作を有限の時間(それも数分)で行えばよいのです。
私はインターネットとんと無知で、作図法は作成しましたがどのように発表したらよいかわかりません。
見てみたいと思われる方が居られましたらメールでお送りします
Posted by 東 陽志 at 2008年04月30日 17:01
 東さん、こちらからも「あなたのコメントには全般的に誤解がある」と言いたいと思います。婉曲な言い方はあなたには通じないようなので、わかりやすく直接的な表現で書くことにしましょう。

 僕は自分の関心から「角の三等分」という矢野健太郎氏の著書を読み、その感想を書いただけです。それについてのあなたの言い分は最初のコメントで傾聴いたしましたが、それ以上の主張を知りたいとは思いません。ましてや、この場をあなたの主張を宣伝するために利用してもらいたくありません。

 「どのような形で発表すればいいかわからない」などと身勝手な相談をされても迷惑です。「インターネットはとんと無知で」と書いていますが、立派に私のブログに2度もコメントしているではないですか。簡単な事です。今すぐ自分のブログを開設しなさい。そして書きたいだけ自分の好きな事を書いて、自分の作図法を公開したらいいじゃないですか。
Posted by アスラン at 2008年05月01日 01:13
アスラン様ご意見有難うございます。
この度初めてインターネットに投稿したのですが、おかげさまでその雰囲気というものがよくわかりました。私の書いた内容は論争にはなじまない物であり、論争は好みません。ただコメントを誘うような欄があったので書き込んだだけです。以後インターネットでの投稿は致しません。
Posted by 東 at 2008年05月01日 14:29
東さん、たぶん僕の書き方に論争を誘うような〈雰囲気〉を感じられたのかもしれませんが、僕自身も論争を好む者ではありません。その点は誤解させたかもしれないので、謹んでお詫び申し上げます。

僕が気にしたのは、あなたのコメントの「見てみたいと思われる方が居られましたらメールでお送りします」という部分だけです。僕のコメント欄で第三者に対してあなたの情報を発信していると判断しました。それさえなければ、あなたのコメントを拒むものではありません。
Posted by アスラン at 2008年05月05日 02:13
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