あの子というのは、碧が結婚するつもりの相手らしいが、彼女はその相手に敬語を使っていない。「あの子」というのもいかにも雑駁で心安立てだが、そこにはずいぶん親しげなひびきもある。(うすうす知っていた)
いつもこれが終り、と思って大庭に対うので、その次に逢ったときは夢のように思う。大庭にはいわないが、自分で以和子は、
(まるで心中する前夜の男と女みたいや…)
と思って、ありったけの楽しみをむさぼる。(雪の降るまで)
女は怖い。
何をいまさらと言われそうだが、田辺聖子の描く女性たちにしばし寄り添ってみるとよく分かる。
短篇で描かれるのは、奥手で婚期を逃した挙句に先に結婚を決めた妹を妬む女性から、前妻と子供の所に不機嫌そうに通いつめる夫の行為に、こっちが愛人みたいと苛だつ妻だったり、体も心もぴったり嵌り込むくせに毎回毎回初めてのような心持ちで逢うだけでそれ以上は求めないOLだったりと様々だ。
強い女もいれば弱い女もいる。弱さを見せたくない女もいれば、こうと決めた相手には弱さをさらけ出す事を恥じないジョゼみたいなのもいる。
ただ一つ、彼女たちに共通しているのは好きな男ならば丸ごと好きになる愛情の深さであり、身を心も丸ごと投げ出す潔さだ。
もちろん逆の場合は手加減しない。昔の男であっても金を無心にくるなら可愛げがあるが、あろう事か自分の落ちぶれた体験を売り込んで原作料を当て込むような奴は容赦なく切捨てる。
もちろん、手加減なし容赦なしだから「女は怖い」などと言うのではない。好きな男ならどこまでも好きという徹底さが怖いのだ。
おそらく逃げられない。惚れられた男には、どこにも逃げ道はないのだ。しかもホントに怖いのは、男にしても彼女しか考えられないと思える事なのだ。恒夫にとってのジョゼが、大庭にとっての以和子がそうだったように。
著者の筆づかいは柔らかでちょびっと古風で、それでいて仰々しくなくユーモアに溢れている。
だからこそユーモラスで暖かい文章の中に、可愛さも健気さも妬ましさも淋しさも体のほてりまでも彼女たちの何もかもが描かれたら、男はもう恐れ入るしかないのだ。
さて素直にこうべを垂れた男どもの救いと言えば、田辺聖子の描く女性たちは男とはどんな生き物かちゃんと理解してることだ。
自分にとって都合のいい部分だけ取り出して男だなどという虫のいい考えを持たないのだ。
例えば最近僕は、まさに虫のいい女性が出てくる小説を読んだ。
「東京タワー」というタイトルで。
(2005/06/21読了)




TBありがとうございます。
この映画いいですよね。
マジで好きです。
面白そうなことが書いてありそうなので、
また、来ます。
以上。
書評から映画評にTBしちゃったので申し訳ないけど、映画は観てません。
ただ、監督の犬童一心さんの「金髪の草原」は観てます。このときも池脇千鶴主演だったし、映画自体の雰囲気がよかったので、今回の出来のよさも納得できますよ。
今後もよろしく。
本当に残念と言うか…がっかりしました。
本文中の登場人物を見下す例えに、「聴覚障害者では…」と・・・
そうでしたか、それは残念でした、としか言いようがありませんね。「作者の人間性を疑う」というのは少し思い込みが過ぎるような気もしますが、かなり前に読んだ本なので今となってはなんとも言えません。
僕個人としては本書の物言いに引っかかりはしませんでした。そもそも田辺聖子という作家はヒューマニズムという幻想を持っていない作家で、間違いを恐れずに言うならば、特定の人種や性別や障害者などにあえて無用な遠慮をすることなく、自分の思ったことは言葉に出来る存在だと感じました。
それが生理的に嫌いでも、心情的に嫌いでも、それはそれで読み手を選ぶ作家かもしれませんが、逆にあけすけのなさが多くの人に好まれる美点でもあります。
もちろん、田辺聖子という作家にとくに肩入れする言われも何も僕にはありません。一つの意見だと思ってください。