これ以上ページを増やしたら製本の綴じの保証はできないと製本部に言われ、
1日の印刷部数のノルマを下げてもらうと印刷部に怒鳴られ、
物流の運転手からはこんな重い梱包はないよとグチられ、
書店員からは「店長、平積みするとまるでジェンガみたいですね」とイヤミを言われ、
一部の京極フリークを除いた読者からは重くて腱鞘炎になると苦情を言われ、
編集長はこれ以上頁が増えるなら上下巻にすると先生に言ってこいと担当をどやしつけ、
担当はと言うと作中のカストリ雑誌の記者よろしく京極堂もとい京極夏彦に泣きつくわけだ。
しかしながら著者はもう対策を講じている。本シリーズの主人公同様、一切動じる事なく何手でも先読みをする著者ならば当然の事だろう(嘘だけど)。
それが「宴の支度」と「宴の始末」という連作の始まりだった(嘘だけど)。
「宴の支度」は一見前作「絡新婦の理」よりもページ数が減ったと見えるので、ようやく京極先生も大人になっていただけたと安心する担当は、最後の原稿を読んでそこに箱本を上回る著者の悪意が存在するのに気づき愕然とする(嘘だけど)。
「終わってない…」
百鬼夜行絵巻に名を連ねる聞いた事も見た事もない妖怪の数々を数え上げ、妖怪に魅せられた怪しげな人々を数え上げ、さらに京極堂ゆかりの人々を数え上げる。
数え上げるばかりで一向に収束に向かわないのはいつもの事。憑き物落としの腰が重いのもいつもの事。でも何か忘れてないだろうか、大切な事を。
担当は不安だ。これはこれで一つの区切りになってると嘘ぶく著者の言葉を、主人公の言葉同様、鵜呑みにはできない。
そこに最後の一節。
「ああっ!関口先生〜」
シリーズになくてはならないはずの人物の行く末が語られてない。いやそれどころか数々の妖怪と人々をつなぐ大きな謎が何一つ解かれてないことに担当はようやく気づく(嘘だけど)。
記憶がおぼろ気で自分の輪郭が曖昧になってしまう。ひょっとして自分も何か著者に暗示をかけられたのかもしれない。もうどうでもいい。自分も関口先生同様、壊れてしまったのだ(嘘だけど)。
(2005/04/18読了)




京極堂シリーズ、確かに厚いですね。国語辞典と勘違いをされそうです。読んでいるとそれほど厚さを感じさせないのは作者の京極氏の作りがうまいからでしょうか。
しかしながらこの京極堂シリーズ、まとめて本棚に並べるとかなり壮観ですよ。なぜだか顔がにやけてしまいますよ。もう京極氏はこういう楽しみ方まで狙ってるんじゃないかと思うぐらいですよ。
おっと、はやく「宴の始末」を読み進めないと・・・。
本棚がいくつあっても足りない気がします。
あれだけ厚いのに、講談社文庫って背表紙に色気がないんですよね。