2007年05月18日

リュはルパンのリュ 〜翻訳を読むということ〜(その3)

 タイトルの由来については前回書いた。「怪盗紳士リュパン」と「ウは宇宙船のウ」の2作の翻訳をめぐって〈翻訳を読むこと〉の問題点を一読者の視点で書こうと思ったから、二つのタイトルをもじったのだ。だから当初はその3まで書くつもりはなかったのだけれど、どうしてももう一冊まな板にのせなければ気が済まない次第となった。とするとタイトルの由来は意味を失ってしまう。そこで副題に「翻訳を読むということ」という蛇足な言葉をつけてみた。

 その一冊というのは、

 E.C.ベントリー「トレント乗り出す」(国書刊行会、好野理恵・訳、初訳2000年)

だ。

 あらかじめことわっておくが、この本は元々翻訳に大きな違和感を感じたわけではない。その1、その2でとりあげた翻訳は非常に多くの問題を含んでいたので、素人ながらケチのつけがいがあった。だがこの本は、ある事情がなければそれほど目くじらたてることなくさらっと読みすごしたはずだ。たしか翻訳者はジャック・リッチーの「クライム・マシン」などの短編集にも訳者として参加していたはずだ。ということは、この本の翻訳家の生み出す訳文は、世に送り出される数多の海外ミステリーの翻訳の質からすると標準的なものだと言えるかもしれない。

 さきほど〈ある事情〉と言ったのは、「トレント乗り出す」巻頭の短編を読み進めるうちにデジャブに襲われた事から始まる。この話は読んだ事がある。それもつい最近だ。ならば話は早い。これに先立って読んだベントリーの著書と言えば、

 E.C.ベントリー「トレント最後の事件」(嶋中文庫、大久保康雄・訳、2005年)

しかない。そもそもは、一作にしてミステリー史にベントリーの名を刻ませることになったこちらの作品を読んだあとで短編集「トレント乗り出す」の存在を知り、読んでみたくなったのだ。

 この嶋中文庫版の「トレント最後の事件」には同名の長編の他に短編が一本含まれている。タイトルは「ほんものの陣羽織」。訳者はクイーンの翻訳でおなじみの宇野利泰である。そして、なぜ「トレント乗り出す」を読み出してすぐに同一作品だと気づかなかったかすぐに合点がいった。短編集の方のタイトルは「ほんもののタバード」となっていたのだ。タバード? タバードとは陣羽織のことなのだろうか。

 気になり出してから2つの翻訳を読み比べてみると、それぞれの訳に問題があることがなんとなくわかった。同じ短編でありながら、うける印象がかなり違うのだ。2005年出版ではあるが、宇野訳は相当古いはずだ。数十年前に世界名作推理全集(真のタイトルは不明)用に訳されたものを再録したもののはずだからだ。

 だからだろうか。宇野訳の〈陣羽織〉という言葉が古めかしいというだけでなく、イギリスの小説で果たして〈陣羽織〉にぴったり当てはまるものが存在するだろうかという疑問が出てくる。「ほんもののタバード」の本文には「(紋章院長官の)官服」と書いて〈タバード〉とルビを振っている。紋章院長官の本務がいかなるものか知らないが、想像するに出陣(戦地に赴く)しそうにない。やはり陣羽織は適切ではないのだろうか。

 ただ、では「タバード」のままで良いかは新たな問題だ。外来語としてなじみがないのにカタカナで「タバード」そのままっていくらなんでも手抜きなんじゃないと言いたくなる。本文同様に「ほんものの官服(タバード)」とルビ付きのタイトルにする手もあったはずだが、では役職なしの〈官服〉が分かりやすいかは、やはり疑問だろう。

 ひょっとして宇野訳から好野訳にいたるまでの数十年あまりで「タバード」という外来語が一般的になっている可能性もある。僕の無知が災いしてるかもしれないとググってみた。わずか600件だがファッション用語として使われている。その中の一つに以下の記述を見つけた。

 「タバードとは、13世紀から16世紀にかけた中世の騎士が着用した紋章入りのゆったりとした上着のこと。直線断ちで日本の羽織に構造的に似ている。 」(「Fashion Blog」より引用)

 状況によっては「陣羽織」と訳してもよいようだ。宇野訳が不適切とは言えない。しかし本文に書かれるように「紋章院長官の」とただし書きがつく〈タバード〉は、陣羽織ではなく単なる「紋章入りのゆったりとした上着」と見なした方がいい。「官服」と訳した好野訳の方が、ある意味で「陣羽織」よりは正確なのかもしれない。

 そうして改めて「ほんもののタバード」を詳しく読んでみると、好野訳は正確さを重んじて〈原文に忠実〉を第一にするあまり、日本語としての分かりやすさとか日本語としての文体のリズムとかが一部損なわれているように感じられた。これは誤訳とかいう問題ではないので、よりやっかいだ。

 普通に「ほんもののタバード」だけ読んだなら気に止めなかったかもしれないが、たまたま「ほんものの陣羽織」を読んでいたので比較してしまった。面白いことに宇野訳の方が断然読みやすい。その理由は、実は宇野訳が原文に忠実でないところにあるらしい。細かく2つの訳を比較してみると、どう考えてもどちらかが文章を変更しているか、もしくは端折っているとしか思えないところが何カ所もある。

 なにしろ原文と訳文を照らし合わせたわけではないので印象だけで語る事になるが、宇野訳は一部原文どおりに訳さず、いわゆる〈達意の訳〉という大胆な意訳を行っている。それで例えば紋章院長官などという情報も宇野訳からは抜け落ちているのだが、一方の好野訳が原文に書かれた事をすべてきちんと盛り込んだ訳であるにも関わらず、宇野訳より読みにくいというのは皮肉な事ではないだろうか。

 好野訳が宇野訳に比して〈読みにくい〉という印象を与えるのは、訳文の文体に問題があるように思える。以下、好野訳の問題点をざっと挙げてみる。

(P9)背が高く、頑健に身体を鍛えており、堂々たる目鼻立ちの、活力に満ちた血色のよい顔と、豊かなグレーの髪が、彼を実際の年齢より若々しく見せていた。

 どこも間違ってないし、何も原文から抜け落ちてないという事は、細切れの断片をつなぎ合わせたような訳文が証明している。原文に忠実だが日本語としてこなれていない。

(P10)イピスコピという言葉が「主教」の語源になったギリシア語に派生すると知っていた彼女は興味を示した。

 こちらは「派生」の使い方が逆だ。「イピスコピ」というのは地名だが、言いたいのは「主教」の語源となるギリシア語から〈イピスコピ〉という地名が派生したという事のはずだ。

(P11)彼女が声をあげた時、墓地の境界の生け垣を大鋏で刈り込んでいた男が、一行を、彼女の印象では、怪訝そうに見ていた。

 「…男が、一行を、彼女の印象では、怪訝そうに見ていた」という部分が特にリズムが悪い。無駄な読点を多用しているからだ。どうしてこうなるかというと〈彼女の印象では〉というのを、おそらくは原文に忠実な位置にむりやり挿入しようとしたからだ。普通に日本語で考えて語順も適切に変えれば「…男が、彼女の印象では怪訝そうに一行を見ていた。」となる。テンは必要最低限に抑えられる。

 こうした日本語としての〈こなれの悪さ〉は、短編集全体であちこちに見られる。

(P242)そこは一帯の他の家と同様、古めかしい、屋根の高い、前面を化粧しっくいで塗った、地階のある三階建ての家で、

 テンが多い。かかる言葉が多い。うける言葉が遠い。おそらくは、

 「古めかしい」&「屋根の高い」&「前面を化粧しっくいで塗った」&「地階のある」&「三階建ての」→「家」

だろうが、これほど多くの言葉を一つの言葉にかけるのには無理がある。日本語として工夫があってしかるべきなのに、なんの工夫もなく〈原文に忠実に〉ぶつ切りの言葉を並べるだけだ。

(P248)そこのビールが絶品だということをトレントが知った、〈猫とバイオリン〉亭の亭主は、…

 〈そこの…知った〉までは直後の「〈猫とバイオリン〉亭」にかかるにもかかわらず、間にテンを打っている。無駄なだけでなくうける言葉がまださきにあるように勘違いさせる。それだけではない。原文の関係代名詞節が透けて見える訳し方をすると、言いたいポイントが何なのかが微妙にずれる。言いたいのは「ビールが絶品だったとトレントが知った」ということよりも、後段の「〈猫とバイオリン〉亭の亭主は…」という部分のはずだが、訳文ではそうは読めない。

(P268)トレントはダービーシャー州のある地方の一マイル一インチ縮尺の英国政府陸地測量部の地図を調達した。

 「AのB」もしくは「AのBのC」まではまだ許せる。しかし「AのBのCのD」と書いたら、今時のワープロソフトならお節介にも警告を出すだろう。機械にも分かることだ。プロの作家が書く文章ではない。

 最後に〈原文に忠実〉である事が訳文をわかりにくくする典型的な事例を挙げておく。これは何も今回とりあげた翻訳に限ったことではない。「逆らえなかった大尉」という短編の冒頭で、トレントのアトリエ兼自宅に一人の警部が訪問する。二人は面識がない。トレントは警部をアトリエに案内する。以下はそれに続く文章だ。

(P111)アトリエに入ったふたりの男は、鋭い目でお互いを観察しあった。刑事は、…

 前後の文章がないとわかりにくいが、「ふたりの男は」と改まって書かれると、警部以外にもう一人〈男〉が出現したと勘違いしてしまう。一人はトレントなのだ。

 さらには冒頭で「警部」と紹介されるのに、このアトリエの場面では「刑事」と書かれる。原文では使い分けられているのだろう。英文では同じ文章の中で同一人物について〈警部・警察官・刑事〉のように表現を変えるのが常識だが、日本語では統一するのが常識だ。

 原文どおりだからやむを得ないと考えるのは安易だ。何故なら英語では同一人物かどうか一目瞭然だからだ。名詞の直前が定冠詞か不定冠詞かで、既出か未出かがわかる。上記の「刑事」には定冠詞が付いていたはずだ。ところが日本語では冠詞を訳さない(訳せない)から、既出・未出の区別がつかない。ここでも日本語として一工夫があって然るべきなのだ。表現を〈警部〉に統一するというのはあくまで一つの方法論だ。

 原文の表現に忠実でありたいというのは翻訳家の見識には違いない。しかしそれを実現するための方法論を持たない翻訳は読者に優しくない。

(参考)
 リュはルパンのリュ 〜翻訳を読むということ〜(その1)
 リュはルパンのリュ 〜翻訳を読むということ〜(その2)

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posted by アスラン at 03:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 評論・エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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