「もし(ジャン・)ジャネが男色家じゃなかったらああいう作品は書けなかったでしょうね」みたいなことをよく言った。男色家じゃなくてもジャネはすごい作品を書いただろう、と私は反論したが相手にされなかった。
「IN★POCKET」に連載された一話読みきりの短篇らしい。読みきりと言っても「69」その後の主人公の話が繰り返し語られ、九州から東京に出て小説家になるまでの間のエピソードから描かれる。
それはつまり処女作「限りなく透明に近いブルー」に描かれた内容と二重写しになるわけで、言わばメイキングのような内訳話にも見える。ただここにもヤザキ=村上龍と思わせるフィクションは介在するから鵜呑みには出来ない。
「69」のメチャクチャだが爽快さに溢れたエンディングと、「限りなく…」の隠鬱で絶望的なオープニングとのギャップを埋めるような連作とみた方がいい。
ただ当時の人間関係を繰り返し描写する各短篇の冒頭は、読みきりという性質を考えても過剰さが感じられる。僕がイメージしたのは、画家が何か大作を物する前に同じモチーフを繰り返し繰り返し描く習作だ。
著者が映画を題材にした連作を書くにあたって、もっともコアな体験をした時期を選んでその時見ていた映画や影響を受けた映画を体験の記憶を生々しく取り出す触媒に利用している。
恐らく映画好きの著者なら飽くことなく書き継げるだろうし、触媒となる映画はこれに限ったものではないだろう。
それにしても十年やそこら遅れただけで自分の核となる映画のラインナップがこうも変わるものか。それとも著者と僕の資質の違いか。
「地獄に堕ちた…」ではなく「家族の肖像」だったし、「ロレンス」ではなく「シェルタリング・スカイ」だし、「ロング・グッドバイ」ではなく「ウェディング」だった。
何より「レイジング・ブル」は僕には背伸びしすぎで、ただただ「タクシー・ドライバー」のデ・ニーロに高校生の僕は衝撃を受けていた。



