村上春樹フリークなら「ハードボイルド」を読まなきゃとか、「羊」はどうしたとか言われそうだが、なんと言われようとまだ未読の長編がある事以上の幸せがあるだろうか。春樹作品には始まりもなければ終わりもない。あるのはセンチメンタルに生きる「僕」だけだ。だったらどこから読んでもいいはずではないか。
「僕」が、五反田君に「ピーク後のビーチボーイズもいい」と語るように、僕(作中ではなく、今これを書いている僕)は、ミスドに駆逐されてしまって今は無きダンキンドーナツが作品の中に存在する事に感動する。ビーチボーイズには感動しないのにだ。
やがては、村上春樹作品とて漱石や鴎外の同様におごそかな全集に収められ、「ビーチボーイズ」にも「ダンキンドーナツ」にも注が振られていく。そのとき、村上春樹の描く風俗もカルチャーも風化し、次々とただの記号となっていくだろう。でも「僕」も、「僕」のセンチメンタルも、そして僕もしくは私、彼、彼女のセンチメンタルは永遠に続くだろう。
(2005/6/2初出)




僕の抱いた感想なんですけれど、彼の作品はどれでも、何度読んでも面白いです。
そして、あなたが言う、春樹作品には始まりもなければ終わりもない。あるのはセンチメンタルに生きる「僕」だけだ。だったらどこから読んでもいいはずだ。というのは彼の本を良く読む僕の感想とほぼ同じものです。
読者にさまざまな感想を持たせながらも、1つの強い共通の印象も持たせるというのは、作者自身、強く言いたいメッセージが」あるからなんだと思います。
村上春樹フリークの方に共感してもらえると心強いです。
一般にはセンチメンタルというのは批判の対象と見なされるのだけれど、春樹作品は積極的にセンチメンタルを活用して強いメッセージを発信していますね。
ページにリンクも張ってくれてありがとう。これからもごひいきに。