わたしはざぶとんにぺたりと腰をおろした。わたしがセンセイのことを思って悶々としていた間、センセイは蛸のことなぞで悶々としていたのである。(本文より引用)
いきなり伊良子清白である。やられた〜。
誰がこの明治の詩人を知ってるだろう。かく言う僕も知らなかった、高橋源一郎「日本文学盛衰史」を読むまでは。時代に先行しているとも気づかず失意の内に筆を折って、遠い北国で忘れられた半生を送った詩人。その寂しい孤独感が、センセイとツキコさんとに乗り移る。ふいっと行きつけの居酒屋のカウンターで隣り合わせ、注文する品揃えが同じ。でも「運命」と言う月並みなコトバを嫌うかのように言い立てる順序が違う。「巡り合わせ」と言ってくださいね、という作者の声が聞こえてきそうだ。
センセイはツキコさんの卒業した高校の国語の教師だった。いまは年老いて引退の身。もちろんありえない話ではない。男と女だもの。だけど単にツキコさんが一方的にセンセイという存在に自分の孤独を委ねてるように見えなくもない。
そんな恋人とも父娘ともつかない曖昧な関係を象徴するようにツキコさんの合いの手はいつでも「はぁ」と要領をえない。そこに時々「えっ」が入る。センセイのコトバにたじろぐツキコさんがいる。やっぱり恋だ、恋愛だ。ツキコさんの無意識は幾度となく描かれるトイレの用足しに表れる。飛び込みで入った居酒屋で遭遇する酔っ払いのゲスの勘繰りに憤慨するツキコさんの性をユーモアにくるんでさりげなく見せてしまう作者の手際は見事だ。そこからはかつての同級生・小島孝も、亡くなったセンセイの奥さんも、もはや鞘当てに過ぎない。歳の差さえもどうでもいい事だ。
あとは自分の気持ちが先走る前にセンセイの気持ちを確認しなくては。後半のツキコさんの悶々と切羽詰まった気持ちはとっても微笑ましくいじらしい。
な・の・に…。なのに、センセイは夕げに出された蛸を和歌に出来ないと悶々としてるのだ。センセイ、そんなじらさないでツキコさんの気持ち受け止めてあげなさいよ。そんなつぶやきが聞こえる。いや、それは僕のつぶやきだった。
旅路はるけくさまよへば
破れし衣の寒けきに
こよひ朗らのそらにして
いとどし心痛むかな (伊良子清白)
(2005年6月1日初出)




やっと見つかった、読書の友!!って感じで、感激してます!手始めはこの、「センセイの鞄」…あ〜、とってもいい気持ち!に、本の感想書かれていて、嬉しくなりました!大好きな本が、貴方の記事で、味わいが倍増!!これからも、寄らせて頂きま〜す!
「センセイの鞄」評に目を留めてくれてありがとう。手前味噌だけど僕もよく書けた感想だと思ってます。なにより読書好きの人が一人でも読みたくなるような感想が書けると嬉しい。
これからもぜひ立ち寄ってくださいね。