2012年06月05日

ヒュウガ・ウイルス―五分後の世界2 村上龍(2004年11月7日読了)

 
 日本が1945年のポツダム宣言による「無条件降伏」を受け入れずに徹底抗戦したとするとどうなるか。兵力が圧倒的にまさる連合軍にあっという間に進駐されて、主要4カ国に分割統治されて大日本帝国は崩壊するだろう。しかし、日本軍も外地から戻った少数の将校の指導のもと立て直しを図る。そして日本軍は地下に潜って駐留下の軍事活動を続ける。それが村上龍が描いたUG(アンダーグラウンド)だ。副題は「五分後の世界2」。

 今とはほんの五分しかずれていない時空間にパラレルワールドとしての日本が存在する。そこには国家としての日本は存在せず見慣れた国土もない。しかし無条件降伏後の日本がたどった、愛国心もなければ民族としての尊厳も持てないいびつな歴史はなく、あり得たかもしれないもうひとつの日本人の生き方を鮮やかに描き出したのが、前作「五分後の世界」だった。

 村上龍は作家としてのスタート時から既存の体制、既存の社会、既存の生き方にNOを叩きつけてきた。それは、いつもで「あり得べき体制、あり得べき社会、あり得べき生き方」を自分自身に、あるいはぬくぬくと生きている現代人たちに問い続けてきたと言ってもいい。そこには政治的なスローガンがあるわけではなく、もし「あり得べきもうひとつの世界」があるのならば、それはどんな世界か見てみたいという好奇心のあらわれなのだろう。「五分後の世界」の衝撃は、その後の「半島を出よ」でより現実感を伴った形で再現され、さらに「歌うクジラ」で象徴的な未来へのまなざしへと引き継がれている。

 少しはしょりすぎたが、本作は「五分後の世界」のパート2というよりも外伝のような位置づけだと考えるといい。あの前作で少しでも日本のありうべき姿の過酷さと、しかしかろうじてつなぎとめた誇りとに導かれた読者は、この続編では人類が正体不明のウイルスによって存亡の危機へと追い込まれている事態に唖然となる。UGの残された精鋭たちの部隊がウイルスに対処するためにヒュウガ村に赴くというのが本編のメインストーリーではあるのだが、話はあっけなく終わってしまう。いや、終わらないといった方が正しい。

 著者は近未来のバイオハザード物のドラマを書きたかったわけではなく、「ウイルスが象徴する終末」の世界と、そこで生き残る者だけが手に入れる「(人類が)生き残るためのモラル」とはどのようなものなのかを描きたかったように思える。意気込みは買うとしても、著者にしてはウイルスのメタファは、ちょっと安直すぎるのではないだろうか。詳細すぎるほどのウイルスの専門的な記述を延々と読まされるうちに、なんだかウイルスそのものへの著者の飽くなき好奇心を満たすためだけに書かれた作品に、僕ら読者は付き合わされているのではないかなどと邪推したくなってくる。

 けれど決して面白くないわけじゃないから、村上龍の作品は一筋縄ではいかないのだ。
(2005年5月31日初出)
posted by アスラン at 19:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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