2012年05月14日

百鬼夜行―陰 京極夏彦(2005/05/28読了)

―でも。
私は、何か忘れていることすらも忘れて、それで諾諾と暮していたのではないのか。
そう考えると、少しだけ怖くなった。




 最近、文庫の「姑獲鳥の夏」を購入した。上下巻に分冊された方ではなく、前から出ていた版の方だ。この夏の映画化にリンクして出されたと思われる分冊版が割高だというのも理由のひとつだが、表紙から妖怪のギミックを取り去り、どこかあか抜けたモダンなグレーを配した分冊版には京極作品特有のオーラが感じられないのだ。

 「姑獲鳥」に始まる京極堂シリーズでは妖怪に魅せられた人々の「憑き物」を古本店主兼陰陽師の京極堂が呪をかけて落とす。「呪」とは何か?妖怪が怪奇なこの世ならぬ存在でなく人の心が生み出した闇に名を与えたものに過ぎないように、呪も不思議な霊力などではなくただの「言葉」に過ぎない。ただの言葉でありながら憑き物が落ちる。そこに「呪をかける」事の不思議さがある。

先ほどの分冊に感じないオーラとは、だから呪を感じないという事だろう。行き着く先が箱本というおよそ怪しげな思想だったはずが、「魍魎の匣」三分冊、さらに四分冊というようにテキストという情報の山の中に埋もれていく。そこに肝心の妖怪も感じられないなら果たして何のための分冊だろう。

と、そんな事を言いたいのではなかった。何故いまさらながら「姑獲鳥」を購入したか、だ。

 「姑獲鳥」から「塗仏の宴−宴の始末」までシリーズ7作。足かけ4年を費やしている。次の長編「陰摩羅鬼の瑕」がシリーズ最新作であり、それを読めばもう後はない。ここらでシリーズを振り返るのもいいのではないか。いや、そんな悠長な事ではなくて「塗仏」まで読み継いで、本シリーズの壮大さに触れてしまったのが最大の理由だ。実は箱本と呼ばれるくらい長い長編が一話完結ではなく、作品間でリンクしているのだ。

 登場人物は脇役を含めて使い捨てではない。次から別の意味で主要な人物に化ける脇役もいれば、脇役どうしが新たな関わりを持ったり、実は発端から別の作品に登場する脇役どうしがつながっていたりする。つまり一作一作に出てくる多様な人物たちは、さらに京極堂を求心力の中心としてすべてつながっているというのが、このシリーズのもう一つの仕掛けであり、著者の際限のないサービス精神の現れなのだ。

 もちろんそんな著者の遊び心に付き合わないというのも一つの見識と言えるだろう。だから、各々の長編の脇役たちにフォーカスを当てた10の短編からなる本作を単に妖怪に魅入られた人々の物語として読んでも決して悪くはない。悪くはないが、物語の行く末には結末がない。しかし僕らは知っている。彼ら脇役たちにどんな運命が待ち受けているか。長編ではどんな役を割り振られていたかを知っている。
 
 だからこそ、もう一度「姑獲鳥」なのだ。使い捨てでなかったはずの登場人物を味わいつくし、各々の事件が完結していないものとして再現する事で、あらためて著者の作り出した望楼を一段一段登って行く。その行き着く先に何があるのか。まだ誰も知らない。
(2005/5/29初出)


[追記(2012/5/14)]
 驚くべき事に、つい最近「百鬼夜行―陰」の定本版が刊行された。非常に変わった判型で、ほぼ真四角に近い。京極夏彦の事だから、単に判型が変わるだけでなく、レイアウトに合わせた推敲などを含めていろいろと手を入れているのだろう。しかし、そもそも「百鬼夜行−陰」は、メインの京極堂シリーズからのスピンオフ作品であるだけでなく、この書評に書いたとおり、ほとんどが脇役に光を当てる趣向なのだ。つまり、この短編集を楽しむためには本編にあたる京極堂シリーズの記憶を新たにしなければならないという、誠にファンにとってはやっかいな短編集なのだ。

 その上、今回の出版は新作「百鬼夜行−陽」のために考えられた同時発売なのだと思う。さて、この「陽」はどういう位置づけなのだろうか。さらにスピンオフの続編だとすると、語られなかった脇役についての物語なのだろうか。興味があることはもちろんだが、こちらも年をとって記憶が風化しているというのに、いったい作者の中で京極堂の世界観はどれだけ一貫してどこまで持続できうるものなのだろうか。読みたい。読みたいのだが、また本編を読み直さねばならないのではないだろうか。そう思うと、まことにまことにやっかいな代物だ。
posted by アスラン at 12:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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