2014年06月27日

2014年6月の新刊

06/05 宮崎駿ワールド大研究 別冊宝島編集部(宝島SUGOI文庫) 756
06/06 駄作 ジェシー・ケラーマン(ハヤカワ・ミステリ文庫) 1080
06/06 評伝 ナンシー関「心に一人のナンシーを」 横田増生(朝日文庫) 878
06/10 プラグマティズムの帰結 リチャード・ローティ(ちくま学芸文庫) 1836
06/10 公園/卒業式 小島信夫初期作品集 小島信夫(講談社文芸文庫) 1728
06/10 小林秀雄の思ひ出 郡司勝義(文春学藝ライブラリー) 1663
06/10 誰かに教えたい名短篇 北村薫(ちくま文庫) 972
06/10 本が多すぎる 酒井順子(文春文庫) 983
06/12 ハックルベリー・フィンの冒険(下) トウェイン(光文社古典新訳文庫) 未定
06/12 ハックルベリー・フィンの冒険(上) トウェイン(光文社古典新訳文庫) 未定
06/12 推理作家協会賞全集91 本格ミステリの現在(上) 笠井潔(双葉文庫) 750
06/12 推理作家協会賞全集92 本格ミステリの現在(下) 笠井潔(双葉文庫) 730
06/12 推理作家協会賞全集93 ホラー小説大全 ドラキュラからキングまで 風間賢二(双葉文庫) 710
06/13 ぼくには数字が風景に見える ダニエル・タメット(講談社文庫) 未定
06/23 からごころ 日本精神の逆説 長谷川三千子(中公文庫) 972
06/25 アメリカ銃の秘密 エラリー・クイーン(角川文庫) 821
06/26 道草 夏目漱石(集英社文庫) 未定
06/27 森見登美彦の京都ぐるぐる案内 森見登美彦(新潮文庫) 未定
06/27 晴天の迷いクジラ 窪美澄(新潮文庫) 680
06/27 文人の食アンソロジー(仮) 嵐山光三郎(新潮文庫) 未定


 別冊宝島編集部「宮崎駿ワールド大研究」。ムック本のコーナーに行くと、そそられるタイトルが結構ならんでいたりする。でも買えない。なんだってムック本ってあんなに高いんだろう。本格ミステリー好きで、かつ「密室」好きでもあるので、「有栖川有栖の」と冠が施されている密室ミステリーに関するムックが再刊されているのに飛び上がった。よく見ると改めて内容を一新したもののようだ。欲しいなぁ。でも1600円ぐらいするんだよ。雑誌コーナーに混ざっていながら、この1500〜2000円という価格帯は贅沢品を買うに等しい。覚悟を必要とする。結局、指をくわえるしかない。かといっていくら待っても図書館で借りられるあてがないのが、ムック本のうさんくさいところだ。公的には書籍・雑誌の仲間と見なされていない。宝島から出版されるムックの多数もそういう扱いをされる事が多いのだが、文庫になってしまうと途端に図書館でも蔵書対象にしてくれる。僕にしても買いやすい値段帯に落ち着くので、おもわず飛びついてしまうわけだ。
「コロンボ」「金田一耕助」「ホームズ」「北村薫」「京極夏彦」「エラリークイーン」といったガイドブックが文庫としてならんでいるが、引退を表明した宮崎駿さんのガイドブックも欲しいかも。

 ジェシー・ケラーマン「駄作」。ケラーマンという名前に覚えがあるので、ついチェックリストに挙げてしまったけれど、有名なのはフェイ・ケラーマン。その息子さんの作品なのだそうだ。店頭ですでに平積みされていたので手に取ったのだけれど、他人の未発表原稿を自分の作品として出版してしまうという、けっこうありがちなストーリー。でも「本書には奇想天外な展開があることをあらかじめ警告します」という但し書きがあるので、そうか「シックスセンス」のようなトリックが仕掛けられているのかなぁとも思ったが、あの手の作品の場合は「結末は誰にも話さないでください」というのが常套句。という事で本当に「奇想天外な展開」になるのであれば、これはもうミステリーではないな。それで思い出した。以前読んだデイヴィッド・アンブローズの小説が、まさしくそんな「あれれ?」という展開のトンデモ本だった。そうそう「偶然のラビリンス」だ。まあ、今回の作品がそれと同じというわけではないかもしれないが、「奇想天外な展開」にちょっとそそられるなぁ。

 横田増生「評伝 ナンシー関「心に一人のナンシーを」。ナンシー関。どの雑誌にもなんらかの形でナンシー関の消しゴム印のデザイン画が掲載されていたので、なんとなく名前は覚えたが、特に強い関心もなかったので、「ああ、面白いね」ぐらいにスルーしていた。いざ、若くして亡くなってみると、あの、いつでも見ることの出来た軽快な芸能批評をもう二度と味わえないのだなと、身勝手な郷愁を感じている。彼女はいったいどんな出自で、どんな人生を全うしたのか、いや全うせずに急逝したのか、知りたくなっている。「伝えたい事などない」と自らの作品について言い切ったという、彼女の言葉に作品に人生に出会ってみよう。

 リチャード・ローティ「プラグマティズムの帰結」。ローティってあれかなぁ、ハーバード大のサンデルさんとなんか関係なかったっけ、などと思ってチェックいれたんだけど、あれはジョン・ロールズだった。「ロ」しかあってないじゃないか。ただ、プラグマティズムについては、社会人になった頃に鶴見俊輔さんの「アメリカ哲学」という本でちょっとおさらいした事があったので、それが30年の時を経て、どう結論づけられたのかと「タイトルにそそられた」わけ。でも店頭で既に売られているのをちょっと見てみたんだけど、素人には歯が立たないかも。結構厚くて文字がギュッと詰まっている。そんなに言い尽くさないと「プラグマティズム」は終わらないのかなぁ。

 小島信夫「公園/卒業式 小島信夫初期作品集」。決してなじみ深い作家ではないのだけれど、高橋源一郎さんが尊敬し、「こういうふうに書きたい」とまで思ってべた褒めしている作家なので、一度は読んでみたいと思って本を借りては読み切らずに返却する、の繰り返しだ。彼の作品は実は「抱擁家族」を購入して書棚に積んでおいたはずだ。これは誰の受け売りだったか。もしかしたら吉本隆明「マスイメージ論」だったような気もするし、あるいは蓮實重彦「反=日本語論」だったかもしれない。でも、そのときも読み切れなかったのは、結局自分はそれほど小説というジャンルが好きというほどではなく、関心が続かないという点が挙げられる。ミステリーは未だにジャンルとしては関心がつながっているし、ノンフィクションも好きだし、評論なども好き。特に本の本のような自己言及的な解説本には目がない。でも、作家に対する愛着は人並みにはあるので、好きな現代作家も昔の作家の小説も好きだ。でも、なかなか続かない。一冊読めばお腹がくちて、当分は読まなくていいかなぁと思ってしまう。そんな感じだ。でも、小島信夫さんの作品は、まだ一度もそこまでたどり着いていない。きっと文章(文体)に秘密があるんだよね。文体を味わうには、ちょっとしたきっかけと、ゆとりが必要。のんびり時間に追われる事なく、私小説風なストーリーがあってないような雰囲気のある映画をミニシアターで観る時の気分に似ている。それを味わうだけのゆとりが、今の自分には欠けている。あぁ、三日ほど自分のためだけに休んで、「小島信夫初期作品集」を読んでみたい。

 郡司勝義「小林秀雄の思ひ出」。これも単行本を借りて読めずに返してしまった本だ。郡司さんは、以前「ノーサイド」という雑誌に小林秀雄の最晩年の様子を描いたエッセイを寄稿していた。そこには晩年に一度は中断してしまったベルグソン論「感想」をやり直したいという意思を表明する小林秀雄の様子が描かれている。残念ながらその願いは果たされず小林はガンに倒れた。郡司さんはベルグソンと格闘していた際に読み込んでいた岩波文庫版の「時間と自由」を譲り受けた。それは余りに読み直したために型崩れして、一部が落丁して失われていた。「もし残りが見つかったら、それも頂戴したい」と言いおいて辞去したら、日を置いて呼び出されて残りが見つかったと差し出された。奥様が「そんなぼろぼろのものではなく新しいのを差し上げたら」と言ったら、「これはそういうものではない。これは一種の地図のようなものなのだ。」と言ったそうだ。それをうかつに譲り受けた郡司さんは大変に恐縮したと書いている。郡司さんも2007年に鬼籍に入ったと調べてわかった。あの〈地図〉でもある「時間と自由」は一体どうなったのだろう。

 北村薫「誰かに教えたい名短篇」。先月も一冊出たばかりだ。あれはなんていうタイトルだったっけ?なんか似たようなタイトルだった気がする。調べてみたら「教えたくなる名短篇 」だって。今度は「誰かに教えたい」か。いや、これってわざとでしょ。きっと今でも北村薫と名が付けば買いあさる追っかけファンにとっては、絶対に「名短篇」シリーズをだぶって買ってしまった経験があるに違いない。さらに先々月にも「読まずにいられぬ名短篇」というタイトルで一冊出ている。三連チャンかぁ。それに確か北村薫さん本人のエッセイ「書かずにはいられない」が出ている。うーむ。これはもはや神経衰弱ゲームと言っていいのでは?

 酒井順子「本が多すぎる」。本に関するエッセイなんて山ほど出してるんでしょ。まだ未読だけど、超ぶあつい書評本「本の本」だって自宅の本棚に鎮座してるし。と思ったら、あれは斉藤美奈子著だった。調べてみたけれど、タイトルで判別する限り、書評本は書いてなさそうだ。どうやら冒頭に書かれていた「本は好きだけれど、読書は苦手だ」というのは嘘ではないようだ。本は好きだからこそ、本との出会いが別の本を呼ぶという「本がつながる喜び」を書き綴ったエッセイ。なんだ、僕が今書いている文章もほとんど、そんな感じなんですけど。

 トウェイン「ハックルベリー・フィンの冒険(上)(下)」。いきなり「トウェイン」という作家名が書かれているのを見ると、あの「トムソーヤの冒険」の作者であり、アメリカ合衆国の国民作家でもあるマーク・トウェインだとは気づかないんですけど。今回だって「ハックルベリー・フィン」の知名度に支えられて、ようやく「ああ、マーク・トウェインなのか」と気づく始末。だからなんだっていう話でもないんだけど、いや、いまさらハックルベリー・フィンの新訳が供給されてもなぁという気分でもある。だって角川文庫からトウェイン完訳コレクションと銘打って大久保博さん訳が出版されているじゃない。あれを確か古本屋で入手してあるんじゃなかったかな。いや、中学か高校の頃にどちらも読んでいるので、特に「ハックリベリー・フィンの冒険」の面白さは心に残っているから、いつか再読してやろうと思っているわけなんだけど、さらに新訳が出てしまうと心に迷いが生じてしまうではないか。蔵書を読むべきか、新刊を図書館で借りて読むべきか。うーむ。

 笠井潔・編「推理作家協会賞全集91 本格ミステリの現在(上)」
 笠井潔・編「推理作家協会賞全集92 本格ミステリの現在(下)」
以上、二冊まとめて。笠井さんというと「ミネルヴァの梟は黄昏に飛びたつか?」が雑誌に長期連載されていて、同名のタイトルで括られるミステリー評論のシリーズが何冊も出版されている。僕もその中の一冊を読んで、特にエラリー・クイーンの著作に見られるメタ・ロジックの問題についていろいろと考えさせられた。ただ、それ以前に「本格ミステリの現在」という著作が出版されていたのは知らなかったよ。どういう内容なんだろうと思って調べてみたら、ああ、こいつもオムニバスだったか。大洋社の文庫発売予定一覧は非常に重宝しているので大きな声で文句は言えないけれど、著者なのか編者なのか区別が付くようにしていただくとありがたいです。ぜひ、ご一考くださいませ。
内容だけれども、綾辻行人から始まった新本格ミステリーのムーブメントの全体像をとらえるために、代表的な16人の作家についての評論となっている。以下、目次を掲載しよう。何より自分が読みたいというモチベーションを上げるために、だ。
(上巻)
竹本健治論―尾を喰う蛇は“絶対”を夢見る(千街晶之)
笠井潔論―大量死と密室(法月綸太郎)
島田荘司論―挑発する皮膚(法月綸太郎)
東野圭吾論―愛があるから鞭打つのか(北村薫)
綾辻行人論―館幻想(涛岡寿子)
折原一論―決算後の風景(田中博)
法月綸太郎論―「二」の悲劇(巽昌章)
有栖川有栖論―楽園が罅割れるとき(千街晶之)
(下巻)
宮部みゆき論―語りと灯(涛岡寿子)
我孫子武丸論―メタ・ヒューマニズム序説(夏来健次)
北村薫論―可憐なる巫女たちの物語(加納朋子)
山口雅也論―パンキー・ファントムに柩はいらない(有栖川有栖)
麻耶雄嵩論―形式の大破局(佳多山大地)
井上夢人論―意識・身体・小説・現実(田中博)
二階堂黎人論―怪人のいる風景(鷹城宏)
京極夏彦論―フロイトの「古井戸」(武田信明)


 風間賢二「推理作家協会賞全集93 ホラー小説大全 ドラキュラからキングまで」。これは地元の行きつけの図書館で見かけた事がある。基本、ホラーは苦手なんだけれど、怖い物見たさのミーハー的興味はある。ホラー映画の名作と言われるものを一時期レンタルして見ようとした事がある。何故って、映画館通いをしていた頃にも、ホラー映画はほぼよけていたからだ。「呪怨」などもその後レンタルしてなんとか見たけれど、あれを映画館で観るのは不可能だ。文章になれば読めるだろうと思うだろうが、文章の方が後に頭の中から怖い場面が離れなくなってしまうので、なおさら心して掛からないといけない。こんな本を読むと、きっとホラー小説の「読みたいリスト」を作ってしまいそうだ。いや、きっと作るだろうな。そうして、冷や汗をかきまくる夏の夜が続くのだろう。小野不由美の「屍鬼」を読んだ、あの夏のように。

 ダニエル・タメット「ぼくには数字が風景に見える」。サヴァン症候群というと、例の映画「レイン・マン」でダスティン・ホフマンが演じた、人並み外れた記憶力を持つ男のように特異な才能を発揮する事が多い障害の事だ。このタメットという人は、文字が色や形に見えてくるらしい。それだけでなく、発達障害の一つであるアスペルガーでもあり、そのために現在にたどり着くまでにいろいろと大変だったわけだ。「大変だった」と書くと他人事のように聞こえてしまうが、個人的には発達障害は僕にとっても他人事ではすまされない関わりがあるので、この本は非常に関心がある。以前に単行本で借りたのだが、ちょっとサヴァンの話なのかアスペルガーの話なのかというところで、僕の方の関心のポイントがずれてしまい、読了できずに返してしまった。もう一度ぜひチャレンジしたい。

 長谷川三千子「からごころ 日本精神の逆説」。長谷川さんは「バベルの謎−ヤハウィストの冒険−」の著者だ。これは複数介在するであろう作り手の狙いを分析する事で、聖書成立の謎を明らかにする非常にエキサイティングな評論だった。今度は、あの「からごころ」がテーマだ。〈あの〉というのは本居宣長が「さかしら」だと批判した「唐心(からごころ)」だからだ。これが、エキサイティングな批評にならないわけがあろうか。小林秀雄は本居宣長の墓を見て「やまとごころ」のなんたるかを、どう本居宣長の言葉から引き出そうかと腐心したわけだが、この著者はまったく逆向きのアプローチをとることによって、結局は小林秀雄と同じ到達点に、あるいはその先に立とうという刺激的な試みに違いない(推測が入ってますけどね、まだ未読だから)。なんか楽しみになってきた。

 エラリー・クイーン「アメリカ銃の秘密」。えーと、すでに先日買っちゃいました。このブログでもすでに「アメリカ銃」については書評とネタバレ分析とを思う存分書いた。その上で、何を新訳で読む事があるか、などと野暮な事をいってはいけない。この角川の国名シリーズは、翻訳があの越前敏弥だし、解説が「エラリー・クイーン・パーフェクト・ガイド」の飯城勇三なのだ。訳にもそこらにはないドライな切れ味があるし、あとがきには既に手垢のついた情報を並べるなんて事は金輪際ない。またまた一度で二度も三度も美味しいエラリー・クイーンの新訳が誕生した事になる。えーと。だから、読まなくちゃね。実はすでに「ギリシャ棺」「エジプト十字架」そして今度の「アメリカ銃」と三冊も未読状態。どうしましょう。「フレンチ白粉」の読後感想と分析を書くのが先だと思って、ついつい読み控えしてしまったのだ。馬鹿な事をしたもんだ。もうそろそろなんとかしよう。

 夏目漱石「道草」。集英社文庫の漱石コレクションもいよいよ大詰め。あとは未刊の大作「明暗」を残すのみとなる。解説が谷根千に暮らした文豪達に詳しいノンフィクション作家の森まゆみさんで、鑑賞が古書店経営者にして小説家の出久根達郎さんという取り合わせも、新潮文庫や岩波文庫などとはひと味違う工夫だろう。集英社文庫版は活字も大きいし、ごてごてした注も少ないので読みやすい。おすすめです。と言って、自分で買うかというと悩みどころだ。きっとずるずると漱石コレクションを集めまくってしまいそうだから。昨日、書店で見かけて中身をあらためた。前から思っているのだが、集英社文庫で出している明治・大正・昭和の文豪たちの作品はお値打ちだ。価格が安い上に、年表が充実している。下段に写真が入っているし。漱石の現存している写真は少なくて、たぶんほとんどの有名な写真は、この年表に収まっているはずだ。

 森見登美彦「森見登美彦の京都ぐるぐる案内」。「太陽の塔」で日本ファンタジーノベル大賞を受賞して作家デビュー。「夜は短し歩けよ乙女」で大いにブレイクした感のあった森見さんだけれども、最近は話題になることが少ないように感じているのは僕の勝手な思い込みだろうか。思い込みならば失礼だとおもって、念のためにWikiってみた(とは言わないんだよね、ググってみたとはいうけど。念のため)。なんと体調を悪くして1年半近く作家活動を休止していたそうだ。なんか森見さんの作品に登場する主人公の男性(たぶん著者自身が投影されている)をイメージする限り、京都の学生向けの下宿住まいで不健康な生活をしている線の細さと優柔不断さが感じられた。まさか本当に健康を害する目にあっていたとは。でも活動を再開したのは何よりです。森見さん独自の視点での、勝手知ったる京都観光案内は楽しそうだ。

 窪美澄「晴天の迷いクジラ」。個人的には、今現在もっとも信頼が置けて、次作が文句なしに期待できる作家だ。「ふがいない僕は空を見た」の読後、本屋大賞の候補作にノミネートされているのを知り、大賞を確信したのだが、受賞を逃してがっかりした。いや、がっかりしたというのは嘘だが、代わりの受賞作が「謎解きはディナーの後で」だったのには、本屋大賞の限界が見えて落胆したというのが正しい。だって全国の書店員が「今何を読めばいいか」というお客様に、なにはさておき「この本がオススメです!」と言えそうな本でなければいけないわけだ。僕のようにきっと勧められて内容にがっかりはしないけれど、なんとなく「これはどうかなぁ」と疑問符が付くお客もいるだろうけれど、「ふがいない僕は…」を勧めて、あとで「なんて本を紹介してくれたんだ、あんな内容だとは思ってなかった」と言われる危険性をあらかじめ回避してしまうのが、本屋大賞の、あえて「限界」と言わせてもらおう。それくらい「ふがいない僕は…」はもっともっと読んでもらっていい作品だ。当然なことに、その次回作である「晴天の迷いクジラ」も傑作です。

 嵐山光三郎「文人の食アンソロジー(仮)」。嵐山さんと言えば「文人悪食」「 文人暴食」で、文豪達の悪食(あくじき)の数々を暴いて、僕ら読者を唖然とさせてくれたが、今回の「食アンソロジー」とはどんな趣向なのだろうか。新潮文庫のサイトをのぞいても紹介が見当たらない。どうやら6月も7月も出ないのかも。では、また改めてこの新刊記事で紹介できるだろう。
posted by アスラン at 12:58| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あっ、これ読みたい | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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