2007年04月19日

リュはルパンのリュ 〜翻訳を読むということ〜(その1)

 柳瀬さんの「日本語は天才である」を読んでいろいろと思うところがあり、書評に書き綴った。しかしその後、古い翻訳本を期せずして立て続けに読んで、あらためて日本語がいくら天才だったとしても、翻訳家が柳瀬さんみたいな狂気の人でなければ役に立たないのだと実感した。

 たとえばだ。

 モーリス・ルブラン著「怪盗紳士リュパン」(創元推理文庫、石川湧・訳、初版1965年)

を読んだ。内容自体はルブランのルパン物の短篇集だ。リュパンという表記がふるめかしいが、実はリュパンというのがルパンより正確な綴り方のようだ。ただ日本ではルパンの方が一般的な表記として定着してしまった。

 問題は、ルパンシリーズと言うと子供が読んでワクワクするような明快なストーリーのはずが、訳の古さと不味さに損なわれているという点だ。

 この短篇集の中でもっともページ数が多い「ハートの7」は、それだけルパン物の醍醐味が凝縮された作品であり、この短篇集のクライマックスとも言える。ところが実は肝心の謎解きの部分がよく分からないのだ。

 ネタバレになるから詳しくは書けないが、ルパン物を読んだことがある人にはおなじみの秘密の隠し場所にたどり着く仕掛けがあり、手順を説明するルパンの言葉が一読して曖昧だった。何度か読み直したがやはりピンとこなかった。

 実はハヤカワから近年新訳がでた。

 「怪盗紳士ルパン」(ハヤカワ・ミステリ文庫、平岡敦・訳、初版2005年)

がそれだが、こちらを読み直してみたら一発で分かった。それでもう一度創元の方に戻ってみたら、なるほどそれらしき事が書かれている。でも創元だけ読んでもよくわからなかっただろう。

 それだけではない。訳が古い例として、壁に年老いてひげをはやした皇帝のモザイクが装飾されているのを説明する場面で「白髯(はくぜん)の老王」などと書かれている。この言葉って初訳時にはみんな一読して頭に入ったんだろうか。1965年初版だが、実は1960年に全集として刊行されたものを文庫化したものらしいので、今から47年も経っている事を割り引いても古風な言い回しだ。

 だが、確かに難しい言葉ではあるが意味が分からないわけではない。でも耳慣れない二文字の「白髯」は、野暮ったいがより簡単な「白いヒゲ」と書かれるのと比べてはるかに読み落としやすい。このモザイクが結末に重要な意味をもつとなればなおさら不用意な訳ではないだろうか。

 しかしもっと変なのは会話の部分だ。「ハートの7」では、ルパンがワトソン役の〈私〉に、最後に謎解きをする。手品にも似た種明かしをされるとバカバカしく聞こえる。そこで〈私〉は、

 「もちろん!」

と言う。するとルパンはこう答える。

 「もちろんにはちがいないが、考えつくことが必要なのさ。」

 なんのことを言ってるか分かっただろうか。「バカバカしい種明かし」と僕が書いたからこの記事を読んでる人には分かって当たり前なのだが、翻訳を実際に読んでもらえば「なんか変?」という僕の気分がわかって貰えると思う。正解は、ハヤカワ・ミステリの訳をあげておこう。

 「あたりまえじゃないか!」
 「たしかに、あたりまえだけどね。でもそこに、気づかねばならなかったんだ。」


 これならなんの疑問も引っかかりもない。

 驚いたのはハヤカワのを読んで、創元の致命的な訳に気付いたときだ。ルパンの台詞がガニマール警部のそれに変わっているのだ。
「アルセーヌ・リュパンの逮捕」は、ルパン物の最初の短篇でありリュパンが初登場にも関わらず最後に逮捕されてしまうという非常にスリリングなストーリー展開で、当時も今も読者を引きつける重要な一篇だ。

 問題の訳は変装したルパンがガニマールに見破られるシーン。同じ客船に同乗していた〈運命の女性〉が去っていくのを見送りながらルパンが悲しい気持ちに沈みこみ、その様子にガニマールが驚く。そこに以下の台詞が入る。

 ガニマールは驚いた。
「 とにかく、まっとうな人間でないというのは困ったものじゃ…」

 事情を知らないガニマールが、ルパンの悲しみを推し量れないで邪推した台詞と考えるならば意味は通じなくはない。しかし非常にロマンティクで感傷的な気分に浸るルパンと〈運命の女〉との別れのシーンにしては、あまりにそっけない。

 ところがハヤカワ版の訳では、この台詞はルパンのものになっている。

 ガニマールの驚きを尻目に、ぼくはため息をついてこう言った。
「まっとうに生きられないのも、つらいことさ…」

 僕は原文にあたったわけではない。もちろんフランス語の原文は手元にあっても読めないからいずれが正しいのかは本当は分からない。しかしハヤカワ版の方がなんといっても筋が通っているし、クライマックスとして申し分ない。

 というわけで「怪盗紳士リュパン」の訳の出来に不満を感じたので、ルパンシリーズはハヤカワ・ミステリ文庫の新訳で読む事にした。聞いたところによるとシリーズ全巻が新たに翻訳されるらしいが、完訳するまでにあと5年はかかるらしい。気長に読んでいくしかない。

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posted by アスラン at 04:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 評論・エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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