2012年05月09日

漱石と三人の読者 石原千秋(2004年11月13日読了)

 久々に漱石本を読んだ。一時期ちくまの全集を読破して、以来漱石の追っかけを自称してる僕としては、こうした評論を読む事も楽しみのひとつだ。漱石に関する山のような批評に新たに付け加える事などないという議論がある一方で、やはり言い足りない研究家も後を絶たない。本書もその一冊だが、期待させた割に中身がお粗末だ。

 タイトルにある「三人の読者」は、身近な読者(同業者など)、顔の見える読者(一般読者)、想定外の読者(読者でない人)を意味する。つまり漱石が誰に対して書いたかと、誰に読まれたかを分析する事で、新たな批評を打ち出そうという試みだ。試み自体は面白いと思うが、志なかばと言うか上手い手際とは思わない。

 著者自身は漱石研究家ではないと断っておきながら、あまりに先の研究家から負っているものが多いし、トリビアな事をあげつらう論調も気になる。また「三人の読者」という切り口を無理に漱石作品全作に当てはめようとして果たせず、淡白にやりすごした作品もある。

 一番気にくわないのは一般読者を見くびった書き方だ。この書で山場にあたる「三四郎」の三四郎池での美禰子との出会いの場面の分析など、いかに研究者が小説を小説として読まず、テキストだけを読んでるかの好例かもしれない。

口直しに漱石を読みたくなった。
(2005年5月27日初出)


[追記(2012/5/9)]
 その後、同著者の「漱石はどう読まれてきたか」という本が出版されて、性懲りもなく読んでしまった。学際的な著者の手つきは気にくわないが、現代において漱石を取り上げる姿勢は買いたい。そのジレンマを抱えて、ついまた懲りずに読んだわけだが、結果的には「漱石はどう読まれてきたか」は面白く読めた。

 その理由の一つは、著者自身が大学における漱石研究に飽き足らなくなってしまったという事が挙げられる。テクスト論からのアプローチだけではなく、書評家や作家、あるいは市井の一研究者の労作にまで目配せした上で、漱石と漱石作品をどう捉えるかという事の一助にしようという動機はきわめて真っ当だと思うからだ。
posted by アスラン at 16:40| Comment(1) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
小説とは無縁の人……ですね。
Posted by アドレス at 2011年07月11日 13:04
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