タイトルにある「三人の読者」は、身近な読者(同業者など)、顔の見える読者(一般読者)、想定外の読者(読者でない人)を意味する。つまり漱石が誰に対して書いたかと、誰に読まれたかを分析する事で、新たな批評を打ち出そうという試みだ。試み自体は面白いと思うが、志なかばと言うか上手い手際とは思わない。
著者自身は漱石研究家ではないと断っておきながら、あまりに先の研究家から負っているものが多いし、トリビアな事をあげつらう論調も気になる。また「三人の読者」という切り口を無理に漱石作品全作に当てはめようとして果たせず、淡白にやりすごした作品もある。
一番気にくわないのは一般読者を見くびった書き方だ。この書で山場にあたる「三四郎」の三四郎池での美禰子との出会いの場面の分析など、いかに研究者が小説を小説として読まず、テキストだけを読んでるかの好例かもしれない。
口直しに漱石を読みたくなった。
(2005年5月27日初出)
[追記(2012/5/9)]
その後、同著者の「漱石はどう読まれてきたか」という本が出版されて、性懲りもなく読んでしまった。学際的な著者の手つきは気にくわないが、現代において漱石を取り上げる姿勢は買いたい。そのジレンマを抱えて、ついまた懲りずに読んだわけだが、結果的には「漱石はどう読まれてきたか」は面白く読めた。
その理由の一つは、著者自身が大学における漱石研究に飽き足らなくなってしまったという事が挙げられる。テクスト論からのアプローチだけではなく、書評家や作家、あるいは市井の一研究者の労作にまで目配せした上で、漱石と漱石作品をどう捉えるかという事の一助にしようという動機はきわめて真っ当だと思うからだ。



