2014年02月12日

2014年2月の新刊

 急に寒くなってきた。かと思うと3月中旬〜下旬の陽気でジャケットとマフラーがじゃまくさくなったりする。しかし乾燥はいっそう度合いを増して、子供も親もノロウィルスやインフルエンザの猛威にやられまいかと汲々となる。「冬来たりなば春遠からじ」という言葉は、僕にとっては偉そうなご託ではなく、「エースをねらえ2」で宗方コーチの死から立ち直っていくヒロイン岡ひろみの、真正面を揺るぐことなく見すえた必死の姿を思い出させる言葉だ。早く息子にも僕らにも「春よ来い」。
 それではいつものように大洋社調べの文庫新刊案内より。

02/06 伊能忠敬 童門冬二(河出文庫) 882
02/06 街場のマンガ論 内田樹(小学館文庫) 650
02/06 手紙魔まみ、夏の引っ越し(ウサギ連れ) 穂村弘(小学館文庫) 700
02/06 将棋エッセイコレクション 後藤元気(ちくま文庫) 1050
02/06 生きることの発明 片山恭一(小学館文庫) 500
02/07 もっと厭な物語 夏目漱石(文春文庫) 630
02/07 映画を作りながら考えたこと 高畑勲(文春ジブリ文庫) 735
02/10 青天有月 エセー(講談社文芸文庫) 松浦寿輝 168
02/10 柄谷行人インタヴューズ1977−2001 柄谷行人(講談社文芸文庫) 1995
02/14 カジュアル・ベイカンシー(1) J.K.ローリング(講談社文庫) 未定
02/14 カジュアル・ベイカンシー(2) J.K.ローリング(講談社文庫) 未定
02/14 愛と日本語の惑乱 清水義範(講談社文庫) 未定
02/14 金閣寺の燃やし方 酒井順子(講談社文庫) 未定
02/14 坑夫 夏目漱石(岩波文庫) 693
02/20 彼岸過迄 夏目漱石(集英社文庫) 未定
02/21 SYNC なぜ自然はシンクロしたがるのか スティーヴン・ストロガッツ(ハヤカワ文庫NF) 987
02/21 空襲警報 コニー・ウィリス(ハヤカワ文庫SF) 882
02/25 夢違 恩田陸(角川文庫) 780
02/27 書物愛 海外篇 紀田順一郎(創元ライブラリ) 1050
02/27 書物愛 日本篇 紀田順一郎(創元ライブラリ) 1050
02/28 これはペンです 円城塔(新潮文庫) 452
02/28 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか(下) 増田俊也(新潮文庫) 788
02/28 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか(上) 増田俊也(新潮文庫) 746
02/下 ミクロコスモス(1) 中沢新一(中公文庫) 735


 童門冬二「伊能忠敬」。以前、「からくり儀右衛門」と呼ばれた偉人・田中久重の伝記「 小説田中久重−明治維新を動かした天才技術者−」を読んだ事がある。あの作品とどこかでつながっているんだろうか。田中久重は東芝の創業者であり、日本が技術大国の道へ至るために必要不可欠な第一歩を刻んだであろう不世出の人物の一人である。彼が若き日に「からくり儀右衛門」と呼ばれて地元久留米では有名だったというお話はNHKの少年ドラマでなじんでいた。そのドラマの中で、儀右衛門は日本全図を作るために訪れた伊能忠敬と出会っている。もちろんフィクションだろうが、大きな夢のあるエピソードだった。そのドラマの記憶があるせいか、伊能忠敬の生き方にも人一倍ロマンを感じてしまう。童門さんの伝記小説が面白いかどうかは、また別の話だ。

 内田樹「街場のマンガ論」。恥ずかしながら、この売れっ子哲学者の著者を一冊も読んだことがない。「街場」というのが彼を語るキーワードになっていそうなので、「街場の〜」をとっかかりにするのがいいようだ。「街場の現代思想」が代表作のようだが、「マンガ論」で今どきのマンガをどう料理するのか、お手並みを拝見してみたい。

 穂村弘「手紙魔まみ、夏の引っ越し(ウサギ連れ)」。不思議なタイトルだ。五七五のリズムに乗っているから、短歌の前半を切り取ってタイトルにしているのだろうか。最初の五(字余り)の意味がわからない。シュールだ。「夏の引っ越し」は暑さとともにすがすがしさがイメージされる。続く「ウサギ連れ」のイメージが効いてるからかもしれない。だが、抑制をかけるためだろうか。この連は括弧でくくられて控えめだ。何が狙いなのかは、穂村ワールド(エッセイ)にひたってみなければ分からない。

 後藤元気「将棋エッセイコレクション」。後藤元気という名前は最近、携帯でプロ棋士の対局を観戦する「モバイル将棋中継」の欄外のコメント欄で見かけた。将棋ライターだそうだ。将棋というのは非常に難解なゲームで、野球が「プロのようにはプレイできないが、見て理解するのは誰でもできる」というものではない。将棋に限って言えば「プロのようには(将棋を)指せないし、プロの試合を見ても分からない」。もちろん、まったく分からないとは言わないが、ただ見ているだけだと、プロの一手一手の意味を理解する事など出来ない。だから、解説が絶対に必要となる。では誰が解説をするかと言えば、同業者の「プロ棋士」が筆頭に挙げられるが、次は「棋士」になれなかった人が多い。将棋ライターの多くは、年齢制限により棋士になり損ねた人が将棋界の脇を固めているという事のようだ。なにはともあれ、将棋の本が文庫で出回る事も稀少だということが、ファンになって3面目というにわか将棋ファンにも身に染みているので、ぜひ読んでみたい。
 
 片山恭一「生きることの発明」。気取ったタイトルは相変わらずだが、以前のような「あざとい」オーラは感じられない。何のことだって。ほら、「世界の中心で、愛を叫ぶ」の作者ですよ。「セカチュウ」がドラマに映画に大ブームになった際に色気を出して読んではみたものに、タイトルほどには面白さは感じられなかった。で、別に久しぶりに読みたくなったというわけでもないが、タイトルに合わせて著者の創作にも進展があったのか、少し気になったまでのこと。

 夏目漱石「もっと厭な物語」。えーと、当然ながら夏目漱石さんが新作を書いたわけではない。こんなしょうも無いタイトルをつけるわけもないし。たぶん、「夢十夜」を中心にしたオムニバス短編集といったところだろうか。それはそれとして、漱石の新刊ともなると、やはり一度は書店で手にとって読んでみたくなるというものだ。

 高畑勲「映画を作りながら考えたこと」。世間では引退した宮崎駿さんの最新作「風立ちぬ」の海外映画祭の賞取りが取りざたされているが、高畑さんも5年ぶりの新作をようやくものして、あれこれとテレビや出版物で「名作」かどうかで物議を醸している。僕はと言えば、すでに「ホーホケキョ となりの山田くん」を映画館で観て、改めて高畑さんのすごさを実感しているので、彼が5年を掛けて今更ながら老け込まずに「本気」を出せる作家なんだということで充分です。あぁ、いますぐでも映画館に観に行きたかったが、週末は育児で時間がないのだ。せめて彼の著作で我慢しよう。

 柄谷行人「柄谷行人インタヴューズ1977−2001」。あぁ、そうか。勝手に対談集だと思ってしまった。インタヴュー集なんて出るんだ。ふつうこういうのって、文章の体裁を撮り直して、話し言葉文体の著作になるのかと思ったんだけど、あくまでインタビュー集として出すのは、評論家としては珍しいんじゃないかな。それだけ、結構人に自分の事を聞いてもらうのが好きな人なんだろうかな。

 J.K.ローリング「カジュアル・ベイカンシー(1)(2)」。つい最近だけど、著者本人がハリーポッターシリーズを振り返って、ハリーとハーマイオニーが結ばれるべきだったと言ったそうだ。もし、そうだったらその後のストーリーに大きな変化があるだろうか。まずはメインストーリーに影響はないだろう。後半はダンブルドアなどのハリーが生まれる前からの因縁に端を発する物語が核となっているから。あえて言えば、もしハリーとハーマイオニーが結ばれる設定だったならば、ロンは死すべき運命だったと思う。そうなるとしたら、彼の家族たちとハリーとの親密な関係がかなり損なわれる。その点ではシリーズ全編にわたる親しみやすさが失われる可能性がある。まあ、別のお話と言ってもいいだろう。もう済んだ話だ。すでにハリーポッターは伝説と化した。

清水義範「愛と日本語の惑乱」。清水義範は日本語を教える達人でもあるので、小説やエッセイにも日本語の乱れを題材にしておもしろおかしくとりあげた作品がある。これもその手の小説なのかな。やや揶揄する程度ならば「おもしろおかしい」のだけれど、それが例の「美しい日本語」を脅かすかのような文化論者の手つきで操作されると、途端に面白くなくなる。彼の作品は概して好きだが、教師的なモラリストの側面を出してくるとついていけなくなる。

 酒井順子「金閣寺の燃やし方」。三島由紀夫論だろうか。「金閣寺を燃やす」となればそういう事になる。いや、もう一人いた。水上勉だ。この二人をまな板にのせた文芸評論なのだそうだ。うーむ。ちょっと懐疑的。最近、彼女の「ユーミンの罪」という新書を読んだ。いや、途中まで読んで放棄した。理由は詳しくは述べないが、根拠はありそうだけれど「それってあなたの思い込みでしょ」と思える決めつけが多かったからだ。あの手際で三島作品を批評するのはちょっとやりきれない。「負け犬」分析は自分でまいたタネを刈り取っているだけだから、「どうぞご自由に」という気軽な気持ちで読めたんだけどね。

 夏目漱石「坑夫」「彼岸過迄」。集英社文庫から出ている漱石コレクション。あえて言うが、新作ではない。未発表作品が見つかったのは断じてない。昔から有名で昔からよく読まれてきた長編だ。ただし、集英社文庫ではラインナップから落ちていた。それを〈漱石コレクション〉と銘打って順次刊行するようだ。特に面白みのある企画ではないが、僕の愛読する「坑夫」が新刊で出るのであれば買っておこうという気になる。すでに実家に置き去りにしてきたちくま文庫の全集版では字が見にくくなっているからだ。新しい本を手元に置いておきたいし。

 スティーヴン・ストロガッツ「SYNC なぜ自然はシンクロしたがるのか」。自然科学ノンフィクション本だ。
シンクロ(SYNC)という不思議な現象を解説した本らしい。どんなに楽しい本なのかは、書店に平積みになる日を楽しみにしよう。

 コニー・ウィリス「空襲警報」。最近とみにコニー・ウィリスの著作が刊行されている。先月か先々月にも取り上げてなかっただろうか。ああ、そうか「ザ・ベスト・オブ・コニー・ウィリス」と銘打ったベスト短編集が二冊に分かれて出版されたようだ。前回が「混沌ホテル」だった。今回が「空襲警報」か。しまった、急に読みたくなったので、川崎市立図書館で予約をかけたら、もう10人もならんでいる。1冊に10人。一応予約したけれど、立川市立図書館に入るところをつかまえよう。

 恩田陸「夢違」。夢をデータ化できるようになり、夢判断が現実のものとなったという設定で起きるサスペンスだそうだ。恩田さんは設定した仮想世界に引き込む手際は最高。中盤のひっぱりもまずまず。だが、結末の付け方にいつも疑問を感じる事が多いのは何故だろう。この前読んだ本もそうだった。なんていうタイトルだっけ?ああ、「きのうの世界(上・下) 」だ。あれも完全に引き込まれた。大昔にやったアドベンチャーゲーム「月下夢幻譚」のような世界観が感じられた。なのに、だ。結末が正直肩すかしだったんだよなぁ。

 紀田順一郎「書物愛」海外篇および「書物愛」日本篇の二冊。図書館の予約システムで調べると「ときに至福、ときに悲惨、書物に憑かれた人生の諸相。書物の達人が選び抜いたアンソロジー。」という惹句が目に飛びこんできた。どうやら「書物愛」を描いた短編集を海外と国内からそれぞれ選んできたようだ。紀田さんがおそるべき書物愛の持ち主であり、集めてきた短編もただ本好きの主人公を据えた小説というより、作家自身が書物に取り憑かれていて心の内を登場人物に仮託したような作品ばかりを選んできたのではないだろうか。それを、さらに読書愛好者が読むという何重にも思い入れが重なりあったラビリンスがそこに生まれる。

 円城塔「これはペンです」。芥川賞を取る前から当然ながら名前も作品も目についていたけれども、今ひとつ触手が伸びない。非常に頭が冴えた人が書いたインテリ文学だと思えてしまうからだろうか。もちろん偏見には違いないが、でも冒頭から「読者」を置き去りにして自らの関心に終始してしまうと、なかなか距離感がつかめなくなる。特に最近は時間をかけてじっくりと読むという事ができなくなっているので(もちろん、これは僕個人の事情なので作家には何の落ち度もない)、もう少し読者に優しい作品であってくれればと思う。いや、これは実は芥川賞受賞作「道化師の蝶」を読んだ事さえ忘れていて、だから内容について思い出せもしない自分を正当化しようとしているに過ぎない。だから、こんなつまらない事をあえて書くよりもきちんと円城塔についての感想を言える作品であって欲しい。

 増田俊也「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか(上)(下)」。結構話題になったので一度は借りてみた。もちろん単行本だけれども。だが、読み出してみて木村政彦を知らなかった僕はなかなか序盤の文章にのめり込む事ができなかった。もちろん当時の男の子なら当たり前ではあるがプロレスには興味があった。古本屋で「ゴング」を立ち読みしては、今でいうならカルト的なレスラーたちに魅了された。もちろん「タイガーマスク」にあおられていたせいもあるし、ジャイアント馬場もアントニオ猪木もプロレスラーとして人気を誇っていた時期であったせいでもある。その頃、すでに力道山は伝説の人で、破天荒なエピソードばかりが耳に入ってきたが、それ以上に惹きつけられる存在ではなかった。そんな力道山その人ではなく、別の人物、それもおそらくは若い読者の大半にとって無名のレスラーの評伝でもある。それがそんなに面白い理由を本当は知りたいのだけれど、文庫ならば今度こそ序盤を乗り切れるだろうか。

 中沢新一「ミクロコスモス(1)」。ようやく今月の最後の一冊。ちょっと多めに拾いすぎたか。でも、良質な書店をぶらぶらゆっくりと品定めする余裕もなくなってきているので、せめて仮想的な個人書店を立ち上げて、平積みとなった新刊を矯めつ眇めつ眺めていたい。この本は中沢新一さんの著書。思えば中沢さんの著作をきちんと読む機会はあまりなかった。あの「アースダイバー」だけは東京の地勢を読み解く面白さに意表を突かれた。だが、知っている土地だからこその面白さであって、「大阪アースダイバー」の方には手を出していない。「ミクロコスモス」は本業の文化人類学の長編評論ではない。新聞や雑誌などに載った「評論やエッセイ、講義録など」を集めたものだそうだ。
posted by アスラン at 12:50| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あっ、これ読みたい | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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