2011年06月13日

図書館危機 有川浩(2007年3月20日読了)

 前作「図書館内乱」の書評で、このシリーズの読み方を間違っていたと書いた。だから本作以後、このシリーズの感想は作品の安直さを単純に楽しむことにするべきだろう。ただし一作目「図書館戦争」で僕を期待させた罪は大きいので、恨みつらみを吐き出す意味で不満から書いていく。(要するにおじさんの怒りは、まだ静まっていないわけだ。)

 第一作「図書館戦争」の時から巻末に参考文献を挙げていた。今回もまったく同じページが用意されている。そこには、こう書かれている。

一巻『図書館戦争』二巻『図書館内乱』と同じ

 これは著者ならびに編集部の決定的な失策だろう。読者に失礼極まりない。誰だってそう思うだろうが、最初から読んでいる読者しか相手にしないと言っているも同然だ。もしくはすでに連続ドラマ化したストーリーだから、一、二巻を読んだ人しか読まないだろうと高をくくった結果かもしれない。

 いずれにしても判ることは、著者は本作を書くにあたって前2作のようには「下調べ」をしていないという事だ。それだけで新鮮味に欠ける内容だと白状しているわけだ。あとがきで著者は、放送禁止用語の資料を「一応手元に置いてある」と書いている。その資料の内容から「あるエピソード」につながり、「床屋」の話が出来上がる。「一応」という姿勢から出来上がった物語は、こういう話だ。

 本シリーズおなじみの出版社が、あるトップアイドルの本を出版する事になった。ところが「床屋」という言葉が今の世の中では「規制用語なので使えない。出版社が勝手に「理髪店」や「理髪師」に言葉を置きかえた事から、そのアイドルの非難を浴びるという物語だ。だからと言っては何だが、第2作「図書館内乱」の感想でケチをつけたように、今回も差別用語の本質を見落とした解決になっている(ように僕は感じる)。構図は、前作の途中難聴者の女子高生の場合と同じなのだ。

 つぎに、やはり巻末に図書隊の職域と階級とが毎回掲載される。こちらは徽章のデザインまでご丁寧に載せている。しかも何故か上記の参考文献のようには省略していない。ここからある意図を見い出すことは難しくない。ひとつは、差別用語に関する参考文献を挙げない事で、作品が提示するシリアスな問題に対して実は真正面には取り組んではいないという著者の宣言(言い訳)であり、もうひとつは本シリーズが図書隊という架空組織を隠れ蓑にした「戦争物」に過ぎないという点だ。

 そうであるならば、階級やら職域やら日頃僕らには無縁の用語がことさら大事にされるのは当然であり、軍隊の規律重視の観点からも、それを省略する事などは著者には出来ない相談なのだろう。そして軍隊の雰囲気をかもしだす<意匠としての意義>も見過ごせないが、何より徽章のカミツレに格別な思いがこもっているというエピソードをあえて本作で書き込む姿勢は、今風に言えば<図書隊(軍隊)の品格>ひいては日本人の品格を描こうという自称プチナショナリストである著者の会心のもくろみでもある。

 もちろん国家や権力者を直接象徴する意匠ではなく、日本人としての感性に訴えかける野の花に、図書隊の理念を代弁させる著者のもくろみこそは<たわいもない>と言ってしまえばそれまでだ。ただし、ここまで見てきたように、エンターテイメント作家としては年季の入った著者の企みは、<たわいもない>ですまされるほど無邪気なものではなさそうだ。それが証拠に、茨城の美術館の展示のエピソードでは、司令・稲嶺の思いが込められたカミツレは、すべての正義を図書隊に背負わせる、言わば<代紋>と化している。そして、軍隊としての図書隊の意義を認めない団体「無抵抗者の会」を、まったくの反動組織として描くことで図書隊の〈正義〉を正当化しようとする。

 おまけに、この市民団体が結局はメディア良化委員会と裏でつながっていたと暴く結末にいたっては、もう好きにしてくれと言いたくなるようなばかげた設定だ。とにもかくにも図書隊とは何かと言えば、善意の主人公たちが正義を体現する「稲嶺指令の私兵」であることは間違いない。

 さて、ところで本作終盤でいよいよ稲嶺指令が勇退する。つまり私兵だった主人公たちは図書隊の理念そのものを正当化する後ろ盾を失う事になる。そのとき主人公たちは、果たして自らの正義をつらぬけるかが、次回完結編(のはず)の主要なテーマの一つになるだろう。メディア問題へのアプローチの甘さや、軍隊への安易なノスタルジーに目をつむれば、物語の展開は多少なりとも面白くなってきた。

 特に郁(いく)の同僚・手塚の兄は、これまで表立って図書隊の覇権を握ろうと行動してこなかったが、稲嶺が退く事で本格的に図書隊に介入してくる事は必至だ。そこをどう乗り切るかがクライマックスだと予想はつくが、はてそこまで手塚の兄が存在感のある悪役とは見えない。どうせなら権力に屈して図書隊自体が解体されるところまで描いて、それでもなお再生していく究極のヒーロードラマに仕立てて終わって欲しいものだ。

 しかしこのシリーズの読者ならば分かり切った事であろうが、最大の関心事は図書隊の行方ではない。もちろん、郁と堂上とのラブストーリーとしての展開がどう落ち着くのかという点だ。すでに郁にとっての〈白馬の王子様〉が堂上であったことを郁自身が知ってしまい、前作「図書館内乱」では困惑するところで終わってしまったが、本作では王子様ではなく堂上本人を恋愛対象として見直すようになる。しかし堂上は郁が知ってしまった事を知らない。

 そこらへんの気持ちの温度差とすれ違いを、まさに月9のように派手派手しく描いていけば、本当にドラマ化も夢じゃないかもしれない。(でもやっぱり図書隊という設定は月9向きじゃないと思うのだけど…。)
(2007年4月11日初出)


[追記]

 まだ「図書館戦争」の続編が出る頃には、三部作だ、いや四部作だ、いやいや別冊がなんと2冊もでるぞ、などとはついぞ知らなかったので、本作のあとがきで四部作になりそうだと明かされたときは、結構あきれた。そういう状況だったので、本作のように参考文献が「一巻『図書館戦争』二巻『図書館内乱』と同じ」などという粗雑な書き方は許されるものではないと、当時の「おじさん」はちょっといらっとしたのだ。いまや文庫ではシリーズである事は前提なので、第3作から買うバカもいないだろう。もはや僕の論点も賞味期限切れだ。
posted by アスラン at 19:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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