2011年12月26日

鉄人28号論 光プロダクション(2005/05/18読了)

横山光輝と言えば、僕の中では少年時代に赤塚不二夫と並んで大好きな漫画家だった。当時の少年誌に連載されていた「バビル2世」「闇の土鬼」「時の行者」は言うに及ばず、テレビアニメの「魔法使いサリー」や、実写版「仮面の忍者赤影」「ジャイアントロボ」までが、同じ漫画家の手から生み出された事をあとで知った時には、何か奇跡にでも出会ったような不思議な気持ちを抱いた事をよく憶えている。

でも「鉄人28号」は、僕らのものではなかった。「鉄腕アトム」が6つ年上の兄たちのものだったように「鉄人」のアニメもグリコを連呼した主題歌も、あとから再放送で知ったにすぎない。だから、本書の執筆陣が口々に言う「鉄人派、アトム派」というカテゴリ分けは、まったくと言っていいほどピンと来ない。横山作品が好きだとはいえ、次々にくりだされる新作漫画に酔う少年に過去を振り返る余裕などなかったのだ。

 だから昨年復活したアニメ「鉄人28号」には新鮮な驚きがあったし、昔と変わらぬ主題歌が如何に自分の中に刷り込まれていたかを改めて思いしらされた。僕は直接「鉄人」を語る言葉を持たないが、横山作品で一番好きだった「バビル2世」に「鉄人」の面影を見る事ができる。

「バビル2世」は当時流行った超能力が題材ではあるが、その実、メインストーリーはバビル2世と宿敵ヨミとの壮絶な肉弾戦に等しい。超能力者が持てる超能力には限りがあり、常人の一生を圧縮した力が出せるに過ぎない。この過酷な現実をつきつけられた時、二人が取った最善の手は消耗戦だった。この構図は、武器を持つことを禁じられた鉄人のジレンマにどこか似ていないだろうか。しかも、ストーリーの中盤でヨミとバビル2世は、交換可能な存在だったという驚くべき事実があかされる。これは、リモコン次第で善にも悪にもなる鉄人の世界観の再現なのだ。

この本の執筆者の一人が「壮大なワンパターン」と喝破しているとおり、横山作品の本質をこの本1冊で余すところなく堪能できる。

「壮大なワンパターン、なのに第一級のエンターテイメント!」
(2005/5/18初出)


[追記(2011/12/26)]
 今でも横山光輝の最高傑作は「バビル2世」だと思っている。「鉄人28号」世代の方々から異論がとんできそうだが、本文に書いたとおり「鉄人」は僕のとってリアルタイムのアニメや漫画でなかったために、今ひとつ思い入れがわかない。しいて言えば鉄人よりもジャイアント・ロボの方に愛着がある。実写特撮版のテレビにどんなに瑕疵があろうとも、だ。

 「バビル2世」がいまだに最高傑作と思う理由の一つは、あれが当時ブームであった超能力をテーマにした先見性にあるのではなく、少年誌の枠におさまらない人間ドラマを描ききっている点にある。ヨミとバビル2世のお互いの出自が交錯し、単なるコンゲームではなく兄弟(肉親)としての愛憎劇こそが、SFストーリーの裏に隠されている。絵や設定が既に陳腐化したとしても、この人間ドラマは何度でも再生可能だ。

 だから「その名は101」という続編を横山光輝さんが描いていたと知った時は、「バビル2世ふたたび!」と色めき立ったが、この作品はヨミという宿敵を失ったバビル2世が自死を遂げるという、きわめてストイックで哀しい物語だった。これで終わらせて果たして良かったのだろうか。もう一度という思いは、横山さんの心に浮かばなかったのだろうか。

 そんな悶々とした気持ちを抱き続けていたのだが、最近「バビル2世 ザ・リターナー」という漫画が若手の作家の手で生み出されている事を知った。仮面ライダーが「仮面ライダーSPIRITS」という形で甦ったのと同様に、バビル2世もドラマツルギーだけを頼りに、装いも新たに甦ったようだ。これはぜひ読まねばなるまい。
posted by アスラン at 21:40| Comment(0) | TrackBack(1) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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ダイモス
Excerpt: 巨匠「横山光輝」さんの作品にしては現在あまり知られていない「ダイモス」ですが、1
Weblog: オヤジマンガ図鑑
Tracked: 2005-05-23 21:35
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