2011年11月29日

白き手の報復 渡辺淳一(2004/07/06読み終えず)

 かなり昔にテレビで見たドラマ「きりぎりす」の原作が渡辺淳一の「少女が死ぬ時」という短編だと知って、それが入っている短編集を借りて読んで見る事にした。作者の渡辺淳一は「失楽園」や「白い影」などに代表される恋愛小説作家であると同時に、評判によると自分の作品を自画自賛する事にかまけるような人間であると聞いて、あまり読んでみたい作家ではなかったのだが、あのドラマを見た当時、子供心に非常に心を揺さぶられる程の衝撃を受けた事は今でも鮮明に覚えている。だから、つい読んでみる気になった。

 「虫かごのキリギリスが鳴いたら蘇生術をやめる」という選択は、残酷でありながら人間が人間の死をもてあそぶ事の対極にある。医者は神ではない。しかし同時に心ない機械でもない。ならば人の死は誰が決めるのか。TVドラマは、問いかけの感傷的な部分を原作からいくらか増幅させた形で提供してみせた。

 蘇生術を施すベテラン医師に緒方拳。人の死に直面してたじろぐ新人医師に若き日の奥田瑛二という、今から考えるとベストな配役だった。蘇生を止め死亡を確認して空しく病院を後にする緒方を、外に迎える妻は倍賞千恵子だっただろうか。子供心にインパクトがあり、伝わるものも大きかった。

 一方、原作はただただ冷静だ。ドラマチックな感傷は若手医師の呑み込んだ一言に圧縮されてしまう。どこにも山場はない。これは感傷的に読むものではない、現実だ、と突き放す作者の顔が見える。他2編読んだが、救われない医療の現場の醜さを切り取っているものばかり。これは一体何なんだろう。
(2005/5/15初出)


[追記(2011/11/29)]
 僕が見たドラマは、1981年11月14日にフジテレビで放映されたもの。制作は関西テレビで、その年の第36回芸術祭優秀賞を受賞している。さもありなん、だ。81年というと19歳か。子供ごころに覚えているというのは都合のいい記憶の改ざんで、大学に入った年だったか。そうか、そんな頃だったので大人の分別は持ち合わせていただろうが、前年、前々年の大病を身のうちに抱え込んだ青年としては、ひとしお心に響くものがあった。それにしても素晴らしい脚本と演出だった。
posted by アスラン at 19:00| Comment(2) | TrackBack(1) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
アスランさん、どうもです。
わたしもトラックバックさせていただきました。
意味わからず、悪戦苦闘して、今ついに、
初トラックバックですーーー!
初体験させていただいて、ありがとー!
(え?勝手にどーぞって?)
では、今後ともよろしくお願いしますです。。。
Posted by ririe at 2006年02月06日 14:05
 ririeさん、初めまして(笑)。

トラックバック勝手にどうぞ、です。
僕もブログ始めた時に意味が分からず、出すまでにいろいろと躊躇しましたよ。

 「ブログをもっと…」の本に書いてあった定義になるほどねぇと納得させられました。参考にしてください。
Posted by アスラン(参考:ブログをもっと楽しく活用する本) at 2006年02月07日 23:46
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「愛ルケ」だけで渡辺淳一さんを語ることなかれ??「雪舞」
Excerpt: 日本経済新聞文化面に連載されていた、 渡辺淳一さん著の「愛の流刑地」が昨日終了しました。 以前、「失楽園」などで世間を騒がせていた氏の小説、 今回もアノ場面の描写の激しさなどで話題騒然(?)..
Weblog: ??せせらぎ??
Tracked: 2006-02-06 14:01
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