2007年02月14日

初恋温泉 吉田修一

 ちょうど高橋源一郎の「ニッポンの小説」を読み始めた。<文学は死んだ>などと声高に言いつのる西洋かぶれのエセ評論家たちとは違う意味で、<消えゆく文学の終わり>を見届けようとする著者ならではの画期的な文章だ。もちろん先のエセ評論家とはっきりと異なるのは、終わりを見届けるだけでなく<新たな文学の始まり>をも見定めようとする刺激的な試みなのだ。

 こんなことを吉田修一の「初恋温泉」の感想で書いているのには理由がある。「ニッポン…」所収の「その小説はどこにあるのですか?」という文章を読むと、今にふさわしい小説の読み方が描かれている。そこでヨシダシュウイチなる作家が登場するのだ。彼の小説は他でもない<JJ>という雑誌の322ページに掲載されている。

 しかもこの種の雑誌では目次を探すのが容易ではない(僕も以前からそう感じてた)からと前置きして、ゲンイチロウくんは表紙に溢れる見出しを拾い読むことから始めて広告・記事・広告・記事…と読み継ぐ。ようやく目次を見つけて掲載ページを見定めてからもページ順に雑誌を読んでいって、あろうことか小説の本文にすでに入っている事を読者に明かす。ヨシダシュウイチの文章は、小説であるにもかかわらず記事や広告に埋もれてしまっている

 もちろん熱心な読者なら気づいたのかもしれないが、僕のように鈍感な人間はまんまとゲンイチロウくんのワナに引っかかってしまった。そしてクローズアップマジックのように鮮やかな手際で見せてくれるのは、ヨシダシュウイチくんの文章が雑誌の読者にそのように読まれるべくして書かれているというまさにその事だ。

 このような文章(短編)はいずれはまとめられて体裁のよい単行本として出版されるだろう。そして単行本を最初から終わりまで脇目もふらずに熱心に読むという読み方は読書のあり方の一つを表しているにすぎず、本来ならば雑誌の中に埋もれた形で小説とも雑文とも広告とも記事とも区別がつかないような形で読まれる事が、今の<文学>を、いや<新しい文学>のあり方を意味しているでのはないかとゲンイチロウくんは考える。

 そして「世界と小説との戦いでは、世界の方に荷担せよ」と言いたいと書くゲンイチロウくんは、ヨシダシュウイチなる作家は雑誌JJの中に自分の作品が埋もれている事に自覚的であり、まさにそこを文学の「最前線」として戦っているのだと言う。

 ゲンイチロウくんのマジックはそこで終わらない。かつて明治40年6月23日付けの朝日新聞で、ヨシダシュウイチと同じように、小説が記事やコラムや広告文の中に埋もれてしまうような<最前線>を選んだ作家がいたことを示す。ヨシダシュウイチが明治の作家に、JJが朝日新聞に、「キャラメル・ポップコーン」があの「×××草」に、一瞬のうちに入れ替わる見事なイリュージョンだ。

 いやまたまたなんで「初恋温泉」の話から脱線してしまったのか。要するに言いたかった事は何かというと、吉田修一の「初恋温泉」は単行本の体裁で読むべきではないと、読んですぐに感じたという事だ。高橋源一郎のするどい批評など持たない僕でも、本書をこのままの形で読んだら面白くない、いや相応しくないのではないかとゲンイチロウくんと似たような事を思ったのだ。

 本書は、日本じゅうの温泉を舞台にして、それぞれに一組のカップルを登場させて様々な恋愛模様を描いていく短編が五つ揃っている。僕の体調が悪かったせいか、それとも文章自体のこなれ方が不足していたせいか、僕にはどの短編の出だしもなかなか頭に入ってこなかった。いや、こなれていなかったのではないのかもしれない。ラブストーリーや人間の悲喜劇を描く達人になってしまった著者が、何に埋もれるようにこの<温泉小説>を書いたのかが単行本では見えにくくなってしまったという事が関係しているようだ。

 集英社から刊行された本書に含まれる短編は、巻末の初出をみるといずれも月刊誌(残念ながら雑誌名は失念した)に掲載されたものだ。僕の推測では、掲載時に各短編の舞台となる温泉の紹介記事と写真がセットになっていたはずだ。いや逆か。カップルがゆっくりとした時間をすごせる極上の温泉を紹介する連載記事と地続きに、この<温泉小説>が記事やグラビアや広告にはさまれるように埋もれていたに違いないのだ。そしてそうであることを前提としたがゆえに、単独の短編としては読みにくさが残り、連作のようにまとめて読む事にも違和感を感じたのだと思う。

 その違和感や読みにくさが具体的にはなんだったのか、読後から少したってしまった今となってはうまく説明できない。ただ一言で言ってみると、温泉というシチュエーションに放り込まれた五組のカップルの物語が、短編という制約があるにしても、シチュエーションのためだけに切り取られてきた物語のように見えてしまうということだ。おそらく、薄っぺらとは言わないまでも作りすぎと言えそうな気がしたのだ。

 しかし、それはあくまで単行本として最初から最後まで読むという読書のあり方がそう思わせるのであって、雑誌掲載時のように記事やグラビアや広告に埋もれたままで一つ一つの文章を読めば、温泉の紹介記事の一部として<薄っぺら>も<作りすぎ>も意味をなさなくなるような読み方ができたはずだ。

 そのように雑誌の中で読んだときに初めて、別れ話を持ち越して温泉に来た夫婦の物語も、ふすま一枚隔てただけで同じはなれを別のカップルとシェアする羽目になるカップルの物語も、そして初めての体験を温泉に求めてやってきた一途な高校生カップルの物語も、相応しい居場所があったような気がした。

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posted by アスラン at 03:22| Comment(2) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
(* '-')ノ ハジメマシテ☆ 「酔芙蓉に恋をして」のkaorihonokaと申します^^ 
ご報告遅くなりましたが、TBいただきまして、どうもありがとうございました♪
Posted by kaorihonoka at 2007年07月21日 12:12
kakorihonkaさん、わざわざコメントありがとう。

こちらも返事がおそくなりました。

Posted by アスラン at 2007年07月24日 02:47
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