2007年01月10日

中学生からの作文技術 本多勝一(その2)

 引き続き「中学生からの作文技術」の解説を書く。

[テンやマルの打ち方]

・テンは適当(いいかげん)にうってはならないし、うつべきテン、うってはならないテンがある。
・長いかかる言葉が二つ以上あるとき、その境界にテンをうつ(第一原則)。
・語順が逆順の場合にテンをうつ(第二原則)。
・筆者の思想としての自由なテンもある。

 この章ではテンとマルの打ち方両方を説明しているが、著者の力点はテンにある。いや本書のメインディナーと言ってもいい。なのでテンについてのみ取り上げる。

 この章の導入がもっとも興味がそそられて学習意欲がわくと思われるが、それは本書を実際に読んでもらうとして、ここでは要点だけを解説する。

 「血まみれになって逃げ出した賊を」&「渡辺刑事は」→追いかけた。

という係り受け構造をもつ表現を文章にすると、

 (8)渡辺刑事は血まみれになって逃げ出した賊を追いかけた。
 (9)血まみれになって逃げ出した賊を渡辺刑事は追いかけた。

という2通りの文章が書けるが、いうまでもなく(9)の方が分かりやすい。(8)では「血まみれ」になっているのが渡辺刑事なのか賊なのか分からないからだ。前の章で挙げたなじみ具合いの問題だ。しかし本多理論の要である「長い方を先に」という原則に従えば、(9)を選択すべきなのは一目瞭然だ。

 ただし語順が(8)のままでもテンを使って、

 (8')渡辺刑事は、血まみれになって逃げ出した賊を追いかけた。

という改良を加えれば、誤解もなくなるし語順も「長い方が先」でなくてもよくなる。つまり本多理論で言うところの正順(長い方が先)に対して、逆順の場合にテンをうつのが「テンの第二原則」だ。

 ところで「血まみれ」になったのが渡辺刑事の方だった場合は、

 「渡辺刑事は血まみれになって」&「逃げ出した賊を」→「追いかけた。」

という係り受け構造になる。本多理論の原則「節を先に、句をあとに」に従えば(8)のままでいいはずだが、「血まみれになって」が「逃げ出した」にもなじみ具合いがいいので、このままでは誤解が生じる。

 語順を変えるならば、

 (10)逃げ出した賊を渡辺刑事は血まみれになって追いかけた。

となるが、「テンの第一原則」に従えば(8)の語順にままでも、かかる言葉の境界にテンをうつことで、

 (8'')渡辺刑事は血まみれになって、逃げ出した賊を追いかけた。

という、やはり誤解のない文章に改良できる。

 著者はこの章で、いやこの本で作文技術として扱えるテンや語順のみに限定している事に注意して欲しい。その目指すところは一点だけ。「読み手がわかりやすい文章を書く」という事だ。

 だから表現として意図的にうつテン、著者の言葉で言うところの「思想としてのテン」を否定してはいない。自由にうってよいとしている。

 一方で「思想としてのテン」でもない過剰なテンについては慎むべきだと著者は強く主張する。例えば前述の(9)は「長い方が先にかかった」分かりやすい文章だが、

 (9')血まみれになって逃げ出した賊を、渡辺刑事は追いかけた。

というように点を加えるのは過剰であり、著者は「重要でないテン」だとしてうつべきではないとしている。

 これは、以前にこのブログで紹介した「そこに句読点を打て!」の主張とは真逆と言っていい。もう一度「そこに…」の著者の言葉を挙げてみよう。

解れば句読は要らない、という考えをしているかぎり、よい文章は生まれないでしょう。句読点は、文の意味や抑揚や調子や文脈や文体に関わる、文章の大切な標識です。(「そこに句読点をうて!」より引用)


 本多勝一とのスタンスの違いが分かるだろうか。高校の国語教師でもある「そこに…」の著者は、「解る文章」を書くだけでは不十分だから「文の意味や抑揚や調子や文脈や文体」に影響を与える句読点の用法を学んで実践するように主張する。もちろん高校生に高度な句読法を教授したい意気込みは買うが、そもそも「解る文章」を書く事にすらつまずく彼らには荷が重すぎる。

 しかも、実際にこの著者が説明できているのは実用としての句読点、すなわち「解る文章」を書くための句読点の用法の紹介にすぎない。大風呂敷を広げているが、内容がともなっていないのだ。

 脱線したので本書の解説に戻ろう。ここまでが著者の作文技術のエッセンスの中のエッセンス、最重要項目だ。ついでにもうひとつ、助詞のつかい方、特に助詞「ハ」の使い方について言及しているので見ておこう。

[助詞の使いかた]

 ・題目の「ハ」は格助詞「ガ・ノ・ニ・ヲ」を兼務し、その題目としての役割がテンやマルを跳び越えることもある。


 助詞「ハ」には様々な用法があるが、著者は特に、題目の「ハ」と対照の
「ハ」を取り上げている。

<題目の「ハ」>
 前回の語順の時に「日本語は語順に融通が利く」言語だと書いた。

 「母が」&「彼を」&「私に」→「紹介した。」

という表現の場合、3つのかかる言葉は平等で、どの順に並べても問題ない。しかし助詞「ハ」を使うと事情が一変する。

 (11)母は彼を私に紹介した。
 (12)彼は母が私に紹介した。


それぞれ助詞「ガ・ヲ」を「ハ」に置き換えた文章だが、「ハ」を使ったかかる言葉が最初に来る。これは題目の「ハ」と言われるもので、「…について言えば」の心持ちが含まれる。だから著者が言うように、それぞれ

 「母が紹介した。」
 「彼を紹介した。」

がもっとも言いたい事で、残りのかかる言葉は付属物または補足となる。

 という事は「母は」「彼は」それぞれには「母が」「彼を」が隠れているわけで、単に置き替わっているのではない。この事を指して「ハ」の兼務と言う。

<対照の「ハ」>
 題目の「ハ」の機能から派生したものと考えてもいいが、「ハ」には他のものと比較対照する意味が含まれている。例えば(11)を以下のように表現を付け加えてみる。

 (13)母は彼を私に紹介したが、父は別の男性を私に紹介した。

 すると、「母は」という表現は単なる題目の「ハ」の用法というより、「母」と「父」を比較対照する役割を担っていると言える。

 これは元々の(11)のままでも「母は」という表現に対照の役割があると見なしてもよい。例えば「象は鼻が長い」と言うと、言外に「猫は鼻が短い」のように象と比較対照するものが存在する事が感じられるからだ(もちろん猫に限った事ではなく、象以外のものならなんでもよい)。

 さてこれでほんとうに本多技術のエッセンスのエッセンスはおしまいだ。最後に著者の見事な文改良の例を挙げてみたいが、その前にちょっと著者のやり方で納得がいかない一点を書いておこう。別にこれを指摘しても著者の理論の瑕疵にはならないだろう。

 それは引用のかぎ括弧の使い方だ。著者は「隗(かい)より始めよ」という中国の古い故事を引用して、

 「隗より始め」る意味で自分自身のことを考えてみますと…

という文章を書いている。なぜ「隗より始める」という括り方にならないかというと、引用元が「始めよ」という命令形なのに対して、それを連体形に変えて使用しているからだと著者は主張する。引用の正確な意味としては「隗より始め」まででかぎ括弧を閉じるのが正しいというわけだ。しかしこの括り方には非常に違和感がある。著者と同業の記者がおかしいと指摘したが、著者はおかしくないと強弁している。

 もちろん理詰めを押せば著者の主張どおりなのだが、こういう押し方は断じて理系のそれではない。理系の方法論というのはもっと柔軟性に富んで、どちらかというとエレガントな解法を好むものだ。だから

 「隗より始める」意味で自分自身のことを考えてみますと…

と書いた方が分かりやすい。下手な理詰めよりも意味がすっきり通ること、使い物になることの方が理系では優先される。もしくは著者のこだわりのように一文字たりとも引用元を変えてはいけないというのならば、そもそも連体形に変えた著者の引用の仕方の是非を問わざるを得なくなる。

 「隗より始めよ」(という故事)にならって自分自身のことを考えてみますと…

ならば誰からも文句はでないだろう。

 では本書の最終章にある「文章改良の一例として」で、著者自らの見事な作文のお手本にうならされてみよう。

まず、以下の文を見てほしい。

 (14)芝生をいためる球技等の行為は厳禁する。

 公園などでよく見かける文言だが、言いたい事はわかるにしても突っ込みをいれやすい文だ。「芝生をいためない球技ならいいんだろう」とか。

 「芝生をいためる」&「球技等の」→「行為は」→「厳禁する」

という係り受け構造になるが、さきほどの突っ込みは「芝生をいためる」が直後の「球技」となじみ具合がいい事から、

 「芝生をいためる」→「球技等の」→「行為は」→「厳禁する」

という係り受け構造にも解釈される事からきている。よって語順を変えて、

 (14')球技等の芝生をいためる行為は厳禁する。

とする。「球技等の芝生」は論理的にありえない解釈だが、著者は「AのB」という結びつきが強すぎることを理由に、「の」をとって以下のように表現を少し修正する。

 (14'')球技等芝生をいためる行為は厳禁する。

これだと漢字ばかり続いて読みにくくなるため、「等」を「など」に変更。

 (14''')球技など芝生をいためる行為は厳禁する。

これでだいぶすっきりしたけれども、ここで著者らしく理詰めではなくて嗜好が入る。「厳禁する」とは「傲慢で悪代官的」だと見事に切り捨てる。

 (14'''')球技など芝生をいためる行為は禁ずる。

これなら文句ないでしょう。ところが助詞の「ハ」の使い方が気になる。例の対照の「ハ」だ。「芝生をいためる行為」は禁ずるけれど、それ以外の行為、例えば「物を売ったりとかゴミを捨てたりなどの行為」は禁じないと屁理屈をこねる不逞なやからが出てきそうだ。

 そこで最後に「ハ」の兼務を解くと、助詞「を」に戻る。

 (14''''')球技など芝生をいためる行為を禁ずる。

お見事!

(参考)
 中学生からの作文技術 本多勝一(その1)
 そこに句読点を打て! 大類雅敏
 本多勝一集19 日本語の作文技術

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posted by アスラン at 19:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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