2006年12月07日

そこに句読点を打て! 大類雅敏

 久々につっこみどころが多い本にぶつかった。最近、仕事で文章をずっと書いたり、人の書いた文章を校閲するような作業が続いたので、どうしても句読点の打ち方について意識的にならざるをえなかった。

 そこにたまたま、自宅最寄りの図書館で「日本語とテンの打ち方」という本に出会って、改めて句読点の用法(句読法)について突っ込んでお勉強しておこうと思った。本書は、前述の「日本語と…」の参考文献に挙がっていた本で、タイトルに惹きつけられて借りた。

 ただし、句読点とくに読点の打ち方については、本多勝一「日本語の作文技術」の内容を学ぶ事に尽きる。「日本語と…」にしても本多勝一の読点の打ち方に基づいて、さらに分かりやすく説明しているという印象だ。本多勝一の本がなければ、あそこまで分析的には書けなかったはずだ。

 ところで本書はというと、自信満々なタイトル同様に、内容も自信過剰な文章で綴られるのだが、如何せん、主張が支離滅裂、一貫性がない。著者は高校の教師で、大学では哲学を専攻していたらしい。哲学の素養には論理的思考が不可欠だと思うのだが、この著者には無用だったらしい。

 うがって考えると、本多勝一が「日本語の作文技術」を書く動機には、本書のような句読点の参考書しかない事も含まれていたかもしれない。「日本語とテンの打ち方」の序でも本書に言及して、「『そこに句読点を打て!』なんて本がある」と、なにやら否定的に書かれていた。

 まず、本書は句読点の列挙から入る。そして実は誰もがびっくりさせられる。句読点とは句点(。)と読点(、)の事ではない。もちろんこれにピリオドやカンマや疑問符や感嘆符を含めたものでも届かない。コロン、セミコロン、ダッシュ、リーダー、中点、さらには括弧全般、参照用の飾り記号までを含めて句読点と言っている。

 おいおい冗談でしょ、と思うのだが、著者はいたって真面目に列挙し、列挙だけでは不十分だと言って分類する。6つほどの分類の重要性を示唆するわりには、以降でこの分類が活躍する場面はない。英語の符号や括弧までを含めて「句読点」と考える根拠はなんなのか。そもそも定義が一切書かれず、列挙と分類だけですましているので、読者の当惑は最後まで持ち越される。

 著者は第四章、第五章になってようやく句読点の使い方めいた話をしだすのだが、くそ真面目な(失礼!)著者は、一々ピリオドやカンマの使い方まで詳説し英文を使った演習まで用意している。あれ?と思わないだろうか。日本語の句読法の本ではなかったのかと。

 著者の中では英文も句読法の対象のようなのだ。普通に考えると、ピリオドやカンマを俎上にのせるのは、日本語の文章でも句読点として用いられるからだ。その用法についてのみ解説すればいいのに、何を思い違いしたのか延々と英語のパンクチュエーション(句読法)の話をする。この部分が直接日本語の句読法の参考になるなら、まだ筋がとおるが、英文と訳文との句読点の位置をそれぞれ吟味して分析はオシマイなのだ。ここでわかるのは、せいぜい両者の句読法の違いである。比較言語論に興味がある人ならば回り道もまた楽しいだろうが、僕を含めて「日本語の句読点」の打ち方を本書で学習したいと思っている人にとっては余計な道草としか思えない部分だ。

 もう一言言わしてもらうと、なぜ英語だけなのか理解に苦しむ。著者の考えを演繹すると他の言語の句読点も考慮しなければならなくなる。英語を学習する高校生への配慮だろうか。たぶんそうなのだろう。しかし国語の教師の範疇を越えてはいないか。何より英文の対訳を自前で用意しているが、中高生の英作文のような出来だ。

 では肝心の日本語の句読点の打ち方についてはどうなっているか。もちろんちゃんと説明している。「ちゃんと」というのは著者なりの「ちゃんと」であるが…。

 第四、五章で法則を列挙する。またもや列挙だ。そのあとに、一つ一つの例と、例における用法の説明がある。しかし問題は、例示とその場合の打ち方ではなく、どう打てばいいかという原理・方法論なのだが、本書では一切書かれていない。

 各例の説明にしても、打つ場合もあれば打たなくてもいい場合もあるという情況依存の説明があるようでは、学習者は戸惑うだろう。ましてや列挙した法則が相反する場合にどうしたらいいかという、句読法の核心とも言うべき問題については言及される余地がない。列挙すれば事足りると思っている著者には思いもよらない事なのだろう。

 さらに著者の迷走は続く。第六章では、文学作品の中で句読法を学ぶ章になっている。著者の主張は「効果的な句読法は、文学作品から学ばねばならない」と言う。ところが舌の根も乾かないうちに「だからと言って、そのまま実用に供するのは間違いですし、早計です。文学の文章と実用の文章とは、やはり違うものです。」と最初の主張を打ち消すような事を言う。

 つまり著者は、実用の文章とは違う文学作品の中で句読点の初歩から上級編までも教えようとしている。これほど愚かな方法論もないだろう。しかも、この章で扱う文学作品として、プロレタリア短歌・詩・樋口一葉の小説などに各節を設けて詳細に検討している。ちょっと考えれば分かるだろうが、以上の文章形態は、句読法を実地に学ぶにはふさわしくない。短歌や詩などは段落分けや分かち書きを含めて考えなくては意味がないし、そもそも修辞的な表現として段落分けする事も多い。句読点の実用とはもっとも遠いところから著者は入っている。現代文としては唯一、後藤明生の文章と取り上げているが、なんと疑問符の使い方についての分析だった。なぜ句点や読点についても考察してくれないのでしょう。

 著者は、本書の冒頭の「序にかえて」で以下のように述べている。

解れば句読は要らない、という考えをしているかぎり、よい文章は生まれないでしょう。句読点は、文の意味や抑揚や調子や文脈や文体に関わる、文章の大切な標識です。

 非常にもっともらしい考えではあるが、「標識」の内容(またしても列挙だ!)によって、句読点を打つべきかどうか、どこに打つべきかが変わってくる。「まず読点ありき」というわけではない。「解れば句読は要らない」のだ。この「解れば」が手前勝手の書き手だけの事ならば、著者の言葉は警句として成り立つ。しかし万人が解るのならば、その句読は要らないはずだ。その解る解らないの判別を原理的に説明しないのであれば、学習書の名に値しないと思う。

 著者は文学作品にも句読点を正しく打ってないものも多いとして、例示する際に勝手に作品に句読点を打っている。もちろん原文をのせた上で句読点を打った例を併記するならば、なんの問題もない。しかし句読点を挿入して改編した例を挙げて、改編したよと書いてあるだけでは、どの句読点が著者の手になるものか区別がつかないではないか。まったく手前勝手とはこういう事を指す。

 さらには幸田文の文章を引用して、こんな事を書いている。

全体的に言えば、もっと読点が欲しいと思います。が、ここでは、そのことは問いますまい。

 幸田文のどの作品の文章を引用したのか書かれていないのも問題だが、引用された文章は、僕が読む限りなんの誤解もなくすらすらと頭に入る。要するに、必要不可欠な句読点は打たれているのだ。さらに「もっと読点が欲しい」と言う著者の主張は、作家の表現に踏み込む越権行為だ。単なる著者の嗜好にすぎないのであれば「何をか況わんや」である。

 そもそも著者には、文章の意味を明確にするための句読法と、間(ま)や表現のための句読法とを区別する思考がない。これを一括に扱おうとするから、上記のような暴言が吐かれるし、本書全体に統一した原理が欠如する原因となっている。

 本多勝一が、いみじくも「思想のテン」と名付けて対象外にした用法は、実用の句読法からは、やはり区別すべきだ。そうしないと、例えば著者の挙げた読点の法則13に「文の主題となる語(を含む文節)のあとに打て」とあるが、以下のような文章に本当に必要なのかどうかが見えなくなってくる。

 (A)象は鼻が長い。
 (B)象は、鼻が長い。

 文の主題であるからと言って、「象は」のあとに読点を打つ必要などない。著者は、法則の注釈で「一律にはいきません」と言い訳しているが、要は「必要なければ打たなくていい」のだ。では、なぜ(B)もありうるのか。そこに実用としての句読法以外の、表現としての、作者の思想を表す句読法があるからなのだ。これについては、これ以上書かない。

 悪いところばかりつっこんでしまったが、では列挙が役に立たないかと言えば、そうではない。どんな使い方があるのか念頭に置くのはいつでも重要だ。しかも意外とすべての用法を列挙してある文献は少ない。その意味では、法則が書かれている第四章、第五章だけでも抜き出して手元に置いておきたい気がする。

 特に句法(句点の使い方)の法則の中に、箇条書きの末尾に句点を打つ場合と打たない場合の使い分けが記述されているのはありがたい。文章を検討していて、箇条書きの正しい書き方について何か言える人が誰もいないのだ。その点では、著者の記述は参考になった。

↓クリックの応援よろしく!
banner_04.gif
人気ブログランキング
posted by アスラン at 13:25| Comment(2) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 こんばんは。
お久しぶりです。
前に教えていただいた本ですね。
いつも利用している図書館で検索したのですが、見当たりませんでした。
私も仕事柄、自分で文章を書いて誰かに見せるとか、誰かの書いた文章を読んで、その内容を把握するというか、その文章の行間を読むというか・・・そんな時があるので、こういった本は一度読んで見たいと思っています。
今はメールの時代になってしまって、大人同士でも「あなたと私はお友達じゃない」って思う文章によく出会います。
そんな時代だからこそ、仕事の中ではきちんとした文章を書きたいって思うんですよね・・・。
Posted by とも子 at 2006年12月08日 00:19
見あたらなくて正解だと思いますよ。
とも子さんみたいな関心と必要がある方ならば、読点の打ち方の本は面白いだろうし、役にも立ちます。ですが、まず一番オススメしない本から書評を書いてしまいました。

できれば文中にもあるとおり本田勝一さんの「日本語の作文技術」と「実践・日本語の作文技術」などを通して読むといいと思うのですが、すこし理屈で捉えすぎているところもあります。僕自身は理屈っぽい人間なんで非常にフィットしたんですが、もう少しかみ砕いてくれた方がいいかもしれまん。

それを本田さん自身思ったのか、「中学生からの作文技術」という本を最近出版しました。これは実は内容的には
「日本語の作文技術」を中学生向けにわかりやすく書き直したものです。これは分量的にも内容的にも読みやすいので、オススメします。

ところで僕としては、読点について書いた本をしばらく読むつもりで、このブログでも追って紹介していきます。
Posted by アスラン at 2006年12月11日 03:40
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。