2006年12月06日

芭蕉紀行 嵐山光三郎

 「おくのほそ道」読後の感想で、芭蕉は素人にも楽しめる旅行ガイドをのこしてくれたので、僕のような人間にも理解が届くし分かりやすくて面白いと書いた。その一方で深入りするには、先達の助けが必要だとも書いた。

 「悪党芭蕉」で芭蕉の俳句の楽しみ方を教えてくれた著者は適任と言える。いまさらその道の専門家に教えを請うのは面倒だし、何より楽しくない。欲しいのは芭蕉の旅を案内してくれるツアーガイドなのだ。

 解説で、江戸研究家・田中優子は、本書を読んで「文学は足で読むべきだ」という持論への確信を強めたと書いている。芭蕉の紀行本、いや「おくのほそ道」に関する限り、まったくの同感で、言いあぐねて余りある著者の胸のうちや、その場所から立ち上る詩情や歴史の痕跡が、自分の肉体感覚を通じて浸透してくるはずだ。

 まことにもっともな言い分ではあるが、何分にも多忙な現代人には、芭蕉の旅を追認するような暇も金も、さらには体力もない。そうとなれば、自ら「風狂の人」を自認する著者の「足で芭蕉を文学する旅」に付き合わせていただくにしくはない。

 「おくのほそ道」は著者の「悪党芭蕉」に刺激されて読んだ。芭蕉には、その他にいくつかの紀行文が残っている。「野ざらし紀行」「鹿島紀行」「笈(おい)の小文」「更科紀行」である。「おくのほそ道」は最後の紀行文であり、もちろんもっとも有名で最も完成度が高く、そしてもっとも面白い(のだと思う)。

 でも、旅の達人、紀行文の達人である芭蕉が旅して書いた文章である。面白くないわけがない。本書では、著者のややいかがわしい旅の作法に従って、これらの紀行文の旅を僕らも疑似体験できる。その先には、岩波文庫の「芭蕉紀行集」と本書を持って、芭蕉の見い出した俳枕(歌枕同様、過去の俳人たちが句に詠み込んだ風景や史跡を指す)や芭蕉を記念した句碑を探し歩く旅を、自分の足でいつかやってみたい。そう思わせる本だ。

 芭蕉の文章には、旅の後に時間をかけて句の推敲とともに再構成されたフィクションの罠があちこちに仕組まれていると、「おくのほそ道」の評釈を読んで知った。しかし本書を読むと、それどころの話ではなく全編いたるところに芭蕉の想像力と、俳諧師としての構成の目が光っている事になる。

 例えば、「おくのほそ道」には、旅に随行した弟子・曾良の句が挿入されているが、その多くが芭蕉の手になるものだと書かれている。本当?と首を傾げたくなるが、著者の独創なのか研究家の常識なのかは示されずに断定されている。

 論拠は、地の文から透けてみえる芭蕉の構成の痕跡と、現地に行って初めて触れる事のできる肉体感覚などから自然と立ち上ってくると著者は考えている。著者の言葉で言うところの「芭蕉の旅を幻視する」わけだ。

 「言った、見た」と書いてあっても曾良の随行日記に照らせばフィクションとわかるのだが、曾良と別れて一人旅になってからも、例えば「芭蕉は永平寺には行っていない」と、著者は直感する。旅をして実際に芭蕉の足跡をたどってみての実感なので、有無を言わせぬ力強さがある。

 随行日記を見ると、日付さえも変わっていたり、旅の行き先が前後したりする。それはなぜかというと、著者の考えでは芭蕉が紀行文の構成に、歌仙の構成を持ち込んだ結果だと言う。俳諧連歌では、月・花・恋を順に詠んでいく。だからこそ、どこどこで月見をしたと書けば、次にどこどこで花をめでた、というように構成を組み立てる。それにふさわしいエピソードが書けるのであれば、実際の旅程を少しばかり作ってもかまわないというのが芭蕉の創作法である。

 恋という題材を取り入れるために、少々浮いた話の1つや2つ都合良く持ち込まねばならない。佐渡で七夕の出会いを夢想した句を詠んだのも、遊女が同宿した話を作ったのも、ひとえに歌仙のモチベーションにあわせるためだったのだ。恐るべし、芭蕉!

 ところで著者は若い頃に一度、「おくのほそ道」をたどる旅をやったそうだが、本書でも再び三たび旅をしている。あとがきにも書いているように、芭蕉がたどった歌枕や、関係する人々の墓所などを探すのは並々ならぬ苦労があったようだ。それでも、あれから300年も立つというのにいまだに、現地の人々に引き継がれている墓碑や地蔵などがある一方、再開発された墓所の片隅に忘れさられたような碑もある。

 著者が言うには、国道やバイパスが近くにできると、旧道など芭蕉がたどった地域一帯がその当時の雰囲気を残して存在しているのがうれしいとある。逆の場合は、芭蕉の痕跡が残らずテーマパーク化してのっぺらとしたイメージしか醸さない。島崎藤村の故郷である馬籠(まごめ)の町並みがそうだと書いてある。馬籠は明治の大火で木曽路沿いの町家の家並みはすべて焼失した。今あるのは再現であり、観光客目当てのギミックにすぎない。たまたま僕も学生の頃訪れた事があるので、その意味するところはよく分かる。

 そういう栄枯盛衰じみた事も旅をしてはじめて分かることだろう。なんだか無性に、芭蕉を幻視する旅がしたくなった。

(参考)
 おくのほそ道 新版−現代語訳/曾良随行日記付き− 松尾芭蕉
 悪党芭蕉 嵐山光三郎

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posted by アスラン at 12:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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