2012年07月10日

69 村上龍(2005/06/02読了,村上龍自選集1より)

アダマは信じている。僕を信じているのではない。アダマは、千九六〇年代の終わりに充ちていたある何かを信じていて、その何かに忠実だったのである。(「69」より引用)


 僕は一度「69」を読んでる。「コインロッカー・ベイビーズ」を読んでぶっとんだ直後だったから、ミーハーな僕はさっそく書店で村上龍の平積みになった最新巻を買って来たのだ。が、まったく内容を覚えてない。あまりに期待してたものと違ったので無視を決め込んだのかもしれない。

 当時会社の昼休みに読んでたら、ちょっと小太りでちょっとブスのタマビだかムサビのアルバイトの女の子が目ざとく見つけ、読み終わったら貸してと頼まれた。僕は次の日に読み終わった事にして貸してあげた。優しくしたらヤラセてくれるかとの下心からだが、彼女は借りたまま月末に辞めてしまった。

 半年後、会社を辞めた僕は、することもなく見に行った映画館のロビーで彼女と再会した。彼女はちょっとだけ綺麗になっていて「69、良かったね」と笑顔で言った。かなりドキュンときた。飲みに行った二人はお決まりのようにその後でHした。彼女はベッドの上で「本のお礼よ」と笑って言った。

 というのは嘘で、僕は今も同じ会社でちまちま働いてるし、彼女から返ってきた単行本は会社のロッカーに放り込んだままだ。まあ、そういう大嘘つきの高校生が主人公の青春物語だ。1969年にまだガキだった僕にはアダマが忠実だった何かなど想像もつかず、ヤザキが嘘ぶいていたランボーも「太陽に溶けた海」もゴダールもカミュもベトナムも全共闘も存在しなかった。

 でもひとつだけはっきり言える。

 僕は僕にとっての「69」をもっている。それは1979年かもしれない。そして僕はヤザキではなかった。ヤザキのようには生きられなかった。時代の何かに忠実なアダマに過ぎなかった。だからあの頃を思い出すと何かやり残した気がして物悲しい。
(2005/6/2初出)
posted by アスラン at 19:42| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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