2006年11月08日

おくのほそ道 新版−現代語訳/曾良随行日記付き− 松尾芭蕉

 本文は文庫にしてたったの52頁にすぎない。行間には古典につきもののルビや注釈番号や底本別の表記異なりが挿入され、下段には脚注欄があるので、正味はもっと少ないだろう。だからあっけないほど短時間で読める。残りの250頁以上の大部分は編者の本文評釈と発句評釈で、そのあとに芭蕉に同行した弟子・曾良が残した「曾良随行日記」、年譜が続く。

 あっけない。確かにあっけないけれども、短い文章の中にこたえようのない愉しさが凝縮されている。そもそも古典の素養もなければ古文読解の能力もない僕の心をこれほど惹きつけるのは何故だろう。こんな事はいまさら言わずもがなの話だ。水戸黄門のように持ち歩かなくても、名前自体が印籠代わりと言える俳聖・松尾芭蕉が書いた紀行文なのだから、日本人なら誰しも惹きつけられて当然と言う人もいるかもしれない。何しろ玄人から素人まで俳句に関して一家言を持つ人なら誰でも、芭蕉の文章のすばらしさを言うであろう。

 はい、なるほど、そうでしたと引き下がる事もできるけれど、俳句のドシロウトが初めて向き合った「芭蕉の文章」というところに、何か言ってみる価値があるかもしれない。

 まず前提として知っておくべきことを二、三挙げておこう。松尾芭蕉は、元禄時代の江戸で人気を誇った俳諧師だ。俳諧というと難しく聞こえるが、ドシロウトの理解では単なる俳句作りや指南を生業にしているだけでなく、スポンサーの要請を受けて一門を率いて句会を開く興行師と考えたらいいか(今読んでいる雲英末雄「芭蕉の孤高蕪村の自在」によるとちょっとというかかなり違うのだが、とりあえずドシロウトが芭蕉に向き合った時点での解釈を挙げておく)。

 元禄は江戸の治世でもっとも町人の芸能や文芸が花開いた時期で西鶴が活躍したのは有名な話だ。だが芭蕉も同時期の人だとは、うかつにも失念していた。

 芭蕉は35歳で俳諧師として生計をたてる道を選び、ちょうど50歳でこの世を去る。言わばプロとしての文芸活動はたかだか15年という事になる。その間、「おくのほそ道」に至るまでに多くの紀行文を残していて、俳句だけでなく文章の才能も際立っていた。紀行文というだけに芭蕉と旅は切っても切れない。本作でも特にその点は明瞭で、同じく旅の途上で死んだ歌人たちに自分の人生を重ねて、死を厭わずに旅を続けたいという自らの漂泊の思いを文章に込めている。

 「おくのほそ道」は芭蕉最晩年の紀行文であり、亡くなる5年前の1689年に深川を出発して東北をめざし、北陸をまわって大垣に至るまでの旅を描いている。本作を書き上げた奇しくもその年(1694年)に大阪を旅し、病で亡くなる。まさしく旅の途中で逝ったのは芭蕉にとって本望としか言いようがない。

 前置きはこのくらいでいいだろう。では僕なりに「おくのほそ道」の面白さをたどってみよう。

 「おくのほそ道」の旅は、今から300年以上前の春に始まり半年後の秋に終わる。全旅程2400kmという現代人にとっては圧倒的な距離を、芭蕉はほとんど徒歩で踏破する。芭蕉翁などと称されるから侘びさびを知る老人をイメージしやすいが、実は非常に健脚で意気盛んな初老の人であった。本作では6ヶ月、2400kmという時空間を52頁ほどの文章の中に圧縮して、あっという間に追体験させてくれるので、読者はあたかも遊園地のジェットコースターにでも乗っているかのように旅のスピード感が味わえる。

 しかも老人と弟子の二人旅は文字通り山あり谷あり。野宿したり農家の軒先を借りて馬が小便をする中で眠れぬ夜を過ごしたり。言ってみれば現代のバックパッカーさながらの旅を続ける。芭蕉は、出羽に向かう山越えは物騒だからと道案内を付けるよう人に勧められ従う。無事越えたところで案内の青年から、普段は山賊の類がよく出没するのだがでなくてよかったと聞かされて、芭蕉が脅える場面がある。今どきの政情不安定な国を敢えて旅するかのような臨場感がある。

 元々芭蕉が奥羽の旅を思いたったのは、崇拝する歌人・西行の足跡をたどることにあった。芭蕉よりも800年も前を生きた西行の心に近づくには、歌に詠まれた史跡や風景をたどるのが何よりと信じて、時にただの石ころや松を探し求めて芭蕉はその土地その土地を歩き回るのだ。

 もちろん僕らには、芭蕉個人の感慨など本当のところはわかりようもない。芭蕉はいたるところで、「歌枕」と呼び習わされる歌人の足跡を見いだして泣く。感極まるといった体で泣くのだ。ここで嘘っぽいなぁなどと醒めた事を言ってはいけない。実は、この「泣く芭蕉」こそが、300年前を生きた芭蕉と現代を生きる僕らを繋ぐ肝心なポイントだからだ。

 例えばどこでもいい、温泉街で一泊して大きなホテルで大きな風呂につかり、美味しいが過度に贅沢な料理を楽しみ、ぬくぬくと清潔なシーツとふかふかの布団に包まれて深寝をし、朝風呂のあとにバイキング形式の朝食で朝から満腹になり、10時にはチェックアウトする。日頃慌ただしい生活から解き放たれる事の少ない現代人の旅は、なんと芭蕉の旅とは異なっていることか。

 さて帰りの電車までにはまだ間がある。そんなとき、慌ただしさが抜けきらない僕ら現代人は、なんとしてでも時間を潰すあてを求める。観光客向けに用意されたオルゴールやガラス工芸の美術館に足を運ぶか、あるいは第3セクター方式で作られた大仰で閑散としたプレイスポットに乗り込んで植物や動物を見たり自転車をこいだりソフトクリームを食べる。結果、空き時間を埋めた事に満足するわけだ。

 ところで、こういうときに神社・仏閣・史跡のたぐいを訪ねて面白がる事ができるかどうかが、「おくのほそ道」を楽しめるか否かの別れ道、試金石になる。僕らが石碑や古ぼけた鎧兜に目を向けるのは、そこに添えられた故事来歴を読んで、ホンの一時いにしえ人(びと)に想いを馳せるからに違いない。芭蕉も同じなのだ。

 そんな事で芭蕉を分かった気になるな、芭蕉と自分を同一視するなとどこからかお叱りの声が飛んできそうだ。でもどう言われようとも芭蕉がやっている事は今で言う「追っかけ」に他ならない。800年も前に残された西行ら歌人たちの言わば"サイン"をひとめ見ようと、芭蕉は期待に胸震わせて歌枕を尋ね歩く。

 そして、時にたどり着いた歌枕に感動した振りをしたり、時に幻滅したりしている。地元民から邪魔扱いされて放り出された石ころもあれば、地元ではまったく知られずついに見つからなかった花もある。芭蕉にとって、くちはてた歌枕から立ちのぼる無常感はかえって西行ら漂泊の歌人たちの声なき声に聞こえただろう。だからこそ「おくのほそ道」の文章のあちらこちらから聞かれる芭蕉の詠嘆は、「これこそ旅の醍醐味!」とあからさまに教えてくれる芭蕉流"旅を楽しむ極意"だとも言える。ならば芭蕉が嘘泣きしていようがどうでもいいことだろう。

 さて、そうは言ってもドシロウトの僕の理解では、本作の奥深さの万分の一にも届かない。それを思い知るのは、本文評釈や発句評釈を読んでからだ。僕は芭蕉が本作に仕込んだ分かりやすい文章、わかりやすい旅情の部分をそのままに受け入れたに過ぎない。言わば漢字混じりの文章から子どもが仮名だけ拾い読みをしたようなものだ。それでも楽しめるように面白く書かれているところが芭蕉の憎らしいまでに凄いところだが、本当の凄さは拾い読みから次のステップに進むとよく分かる。

 「おくのほそ道」にはいたるところにフィクションの罠が仕組まれている。決して6ヶ月、2400kmの時空間を圧縮しただけのルポルタージュではないのだ。先に挙げた「泣く芭蕉」もある意味フィクションには違いないのだが、芭蕉のフィクションはそれにとどまらない。例えば中尊寺のルポでは、見ることができなかった経堂内部の様子を見てきたかのようにドラマチックに描いているし、市振の宿では二人の遊女が同宿していて自らの境遇を哀れむという場面を持ち込んで旅の終盤の旅情を高めている。有名な「一つ夜に遊女もねたり萩と月」が詠まれるところだ。

 ドシロウトにはこれ以上の深入りをガイドもなしに読み込む事は難しい。学者が書いた本文評釈・発句評釈は高尚なガイドであり、微に入り細を穿つ内容で目を開かされる事は確かだが、長年にわたる芭蕉研究の積み重ねからくる断定はわかりにくいし、研究家どうしのトリビアな意見の相違については正直どちらでもいいんじゃない?という気にさせられる。さらには穿った解釈にはドシロウトながらにちょっと違うんじゃないかと思わせるところもある。

 それもこれも、芭蕉が時間をかけて周到にフィクションを準備し、推敲に推敲を重ねた文章で作り上げた見事な作品であるからに他ならない。芭蕉は、決して研究家のためにこの画期的な紀行文を残したのでない。実は伊賀上野の本家を守る兄に喜んでもらうために残した文章なのだ。ならば後世の僕らにしても専門家にゆだねたままではもったいない。ドシロウトの想像力を思いっきり働かせて自由自在に解釈し、思い思いに愉しむに越したことはない。

参考
悪党芭蕉 嵐山光三郎

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posted by アスラン at 05:24| Comment(4) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
本文52頁に対して、250頁以上の資料や解説。旅の行程がわかる『曾良随行日記』も併せて収録されているとなると、読みたいですね。現在積読50冊余り・・・・・・。先ずはこれを消化しなければ、先に進めません。(涙  ブックしておきます。
Posted by rago at 2006年11月10日 19:41
らごさん、お久しぶりです。

最終ページには旅程が書き込まれた地図が掲載されています。紀行文とは言っても、これほど解説しつくされて、いろんな資料が一緒になっている古典も珍しいと思います。やっぱりこれは現代人にとっては紀行文というより、今現在も「おくのほそ道」をたどるための旅のガイドブックなんじゃないかなぁ。

先日JRの駅に、東北新幹線でたどる奥の細道の旅の広告が出てましたよ。なんかタイムリーなので、すっごく惹かれるものがありました。

しっかと積んどいてくださいねw
Posted by エラリー at 2006年11月11日 15:08
今年107冊目の本読み中です。徐々に積読が減りつつある中、読みたい本のブックが増えて困っています。もちろんこの本と、『靖国問題』もブックしています。積読ってなくならないものなのですね。
Posted by らご at 2006年11月19日 18:48
またまた気の抜けた返事になって申し訳ないです、らごさん。

107冊ですか。今年は大きく水をあけられてしまいました。慢性的に仕事もプライベートも忙しく、読書時間が減ってしまい、残念です。積ん読はなくならないですね。僕の場合、心の積ん読を始めて以来、実際の積ん読は極力抑えてはいますが、それでも少しずつ増えてますものね。

お互いがんばりましょう。(何を?)
Posted by エラリー at 2006年12月04日 01:18
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