2012年05月07日

将棋の子 大崎善生(2012/3/20読了)

 最近将棋に関する本をかならず一冊は図書館で予約するようになった。それというのも、うちの7歳になる息子が「将棋を指す」ようになったからだ。うちのこどもには「将棋を指す才能がある」。と言えれば話は簡単なのだが、そうではない。うちの子供にあるのは、今のところ「将棋を好きになる才能」なのだ。

 そもそも一年前には将棋の駒の動かし方どころか将棋の存在さえ知らなかった息子は、たまたま就学前の学童保育所の見学で、将棋に興ずる上級生と一緒に遊んだのがきっかけで家でもやりたいと言い出した。それから親の方が大慌てになった。将棋のやり方などうろおぼえだったからだ。将棋盤などもちろんない。小学校に入学すると同時に旅行用のミニ将棋盤を買い与え、一緒になってルールを覚えて、「将棋を指す」毎日が始まった。

 そのときはまだ父親が教える役を果たせたが、あっと言う間に役立たずになる時がくるとは、さすがに気づいていなかった。息子は、買い与えたり図書館で調達したりした将棋の本をあれこれと読みあさり、将棋の金言から基本の手筋にいたるまで次々に吸収していった。そこで、先を見通したママが隣町で見つけた将棋教室に通わせることにした。

 将棋を楽しむ子供をもつ親なら誰もが知っている、あの「JT子供将棋大会」にも出場した。まさかあのようなすさまじい規模の大会になるとは思いもしなかったが、午前の部を終わってみれば予選を3勝して勝ちあがるという上出来の結果だった。親は満足だったが、息子はトーナメントに勝ちあがった事に舞い上がってしまった。まだ1000人近くが残っているというのに。

 決勝トーナメントの初戦で、強面の対戦相手にあっと言う間に負かされたのが悔しくて悔しくて、息子はさんざん泣いた。同日に渡辺明竜王との早指し対局を制した羽生善治九段が帰り際に握手してくれるというオマケまでついてきたというのに、息子は超不機嫌状態で家路に着いた。今の羽生びいきぶりを見るにつけ、本当にもったいないことをした。

 さてうちの子は将棋を始めて一年がたち、誰がみても「将棋の子ども」となった。だが、この本のタイトルである「将棋の子」は、息子を含めて日本に何万人もいるであろう〈将棋好きの子供〉を意味するわけではない。プロ棋士を目指して果たせなかった奨励会退会者たちのことを、間近に見てきた著者ならではのいとおしさをこめて「将棋の子」と呼ぶ。

 不祥事続きの相撲界では、旧態依然としたしきたりに何かと批判が集中しているが、将棋の世界の決まり事は、相撲界の比ではないかもしれない。まさに「あべこべの世界」と言ってもいい。その最たるものが奨励会制度だ。プロを目指す者は必ず奨励会に所属する。奨励会では6級からスタートして4段への昇段を目指す。4段になるとプロとして社団法人「日本将棋連盟」の会員、いわゆる社員となるのだ。しかし、そこには厳しい年齢制限があり、

「満23歳(※2003年度奨励会試験合格者より満21歳)の誕生日までに初段、満26歳の誕生日を含むリーグ終了までに四段になれなかった場合は退会となる。」


と定められている。この決まりがあるため、期限までに到達できなかった者はどんなに将棋の才能があろうとも、二度とプロにはなれない。将棋の世界にはトライアウトなどないのだ。

 なぜこんな厳しい決まりになっているかというと、そこには将棋という文化の特殊な事情がある。そもそも四〇〇年前に徳川家康が当時の棋士第一人者に扶持を与え、名人が誕生した事から、日本のプロ将棋の歴史は始まる。つまりは為政者のお抱え棋士だった。それから時を経て、近代将棋を確立するために日本将棋連盟が発足し、棋士たちはすべて社員となった。日本将棋連盟は社団法人ではあるが、言ってみれば成長が少ない分野でほそぼそと食いつないでいる中小企業のようなものだ。だから、新入社員は年に2名と決められている。それも奨励会から選抜され昇段した四段棋士2名のみ。

 やっとの思いでプロになった者もいれば、すんなりプロ入りを果たしてさらに高みを目指す者もいる。確かなことは、彼らプロ棋士の影には、退会規定や自らの事情に阻まれて人知れず姿を消したたくさんの「将棋の子」がいたという事だ。

 本書では、いわゆる羽生世代と呼ばれる、現在の将棋界をリードするトップ棋士たちの少し前に奨励会入りし、嵐に巻き込まれるかのように次々と羽生たちに遅れをとって退会をやむなくした「将棋の子」たちにフォーカスしていく。彼らこそが、将棋の楽しさも苦しさも味わってきた生き証人だからだ。

 僕は正直「聖の青春」の著者が、雑誌『将棋世界』の編集長をつとめた年月に暖めてきた企画ぐらいにしか思ってこなかったが、いざ将棋に熱中する子をもつ親として将棋に関わるようになって、著者のいわく言いがたい思いが伝わってきた。将棋が好きというだけで将棋に人生を賭けてきた彼ら将棋の子たちに、むなしいだけの第二の人生を与えるのが「将棋」なのか。将棋は彼らにとって、そして著者にとって、どんな意味を持つのか。それを確かめたい。著者の切なる思いは、僕ら親にとっても無視できない大きな問いかけなのだ。
posted by アスラン at 19:29| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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