著者の言う「野蛮な読書」というのは、言ってみればごくごくパーソナルな趣味嗜好であって、それを赤裸々に洗いざらいぶちまけているところが、まさに野蛮なところなのかもしれない。
例えば、著者自身はきわめて美食家であり、食べる事のエロチックな感覚も十分に知り尽くした上に、うまいものをむさぼるという醜い欲望を自らの皮下脂肪に蓄え続ける。一方で年に一度、絶食療法の合宿に参加する事の理不尽には目をつぶり、次第に食事の量が減っていった先に一杯のおかゆの陶酔にたどり着く。これこそが、著者が生きてきた人生の中に芽生えた野蛮そのものなのだ。
だからこそ著者は、宇能鴻一郎の後半生にたどり着いた「あたし、濡れるんです」の文体の中に、彼の抑えようのなかった欲望の闇から結実した達成を見る。あるいは獅子文六のわがまま放題、身勝手な美食にも共鳴する。さらには女優・沢村貞子が一人の男へ捧げた人生すら、美談ではなく「野蛮な美食」であったのだと思う著者は、そのあっけなくも突然の終わりを見届けようとするのだ。