2006年10月18日

ハリー・ポッターと謎のプリンス J・K・ローリング

 今回はいつもと違う。ハリー・ポッターが叔父さん叔母さんの家で鬱々とした日々を過ごす学年間の休みの描写から始まるのは確かにいつも通りなのだが、ハリーの鬱々は怒りの感情に彩られた明確な意志に取って変わられていて、何故か前作や前々作で感じた嫌味や皮肉屋の影は薄らいでいる。

 そして何よりもホグワーツ校長ダンブルドアの意外な訪問があり、ハリーの鬱々が解消していくのに同期して、ここ二作で停滞していた物語が一挙に動き出す予感が感じられる。

 それは単なる予感と言う以上に、ダンブルドア自身がハリーの気持ちを、強いては読者の気持ちを代弁するかのように、叔父さんたちがこれまでハリーにしてきた仕打ちを非難し、こともあろうに魔法を使って一家を懲らしめるのだ。これが爽快でなくてなんであろう。

 もちろんこれは著者の、ここまで付き合ってくれた読者へのサービスに違いない。著者自身も久々のカタルシスを楽しんでいるかのようだ。巻を追うごとに「段々暗くなる」と言っている著者の言葉どおり、本作ではさらなる試練がハリーたちを待ち受けている。だからこそ前作までの子供じみた残酷で暗い感情は、ハリーから一掃されねばならない。

 先ほどからダンブルドアの訪問で話が始まるかのように書いてきたが、真の冒頭は魔法省の前大臣がマグル(人間)の首相を不意に訪れて驚かせるシーンだ。前大臣は、ヴォルデモート卿の復活がマグル界にも影響を与えている事を警告して首相を脅かす。そもそも魔法使いの存在をマグルから隠す事が職務でもある魔法省がマグルの施政者とコンタクトをとるなど尋常な事ではない。

 一転して次に描かれるのは、スネイプとドラコ・マルフォイとの密談だ。ドラコに詰問されたスネイプは、ホグワーツでの姿はダンブルドアやハリーを監視するための方便であると強弁し、今なお「あの方」に忠実であることをドラコに信じさせようとする。これまた尋常ではない。スネイプがハリーにとって味方なのか敵なのかは毎回のように取り沙汰されてきたが今回のようにスネイプ自身の口から明確に二重スパイである事が明かされた事はなかったからだ。

 そしてようやくダンブルドアの訪問シーンだ。要するに本作はハリーだけでなく周辺の人々の物語も同時進行で動き出す。非常にダイナミックで入り組んだ構成になっている。

 ホグワーツに着いたハリーを待ち受けるのは恒例の新入生の組分けシーンではなく、ドラコのただならぬ企みである。ヴォルデモート卿という最大の敵が復活してからは陰に隠れてしまってはいるが、ドラコはことあるごとにハリーと対立してきた。学校生活に限定すればハリーの最大のライバルである。これまではどちらかというとハリーの活躍を語るための当て馬的存在であったドラコだが、今回ばかりはひと味違って人間味のあるところを見せている。ドラコ自身に初めて生身の人間としての苦悩が訪れるのだ。

 そして新たな学年の始まり。ハリーは、ついにクィディッチのキャプテンとなり、仲間を選別するつらさと人を束ねる難しさを思い知る。仲間にも動きがある。ロンとハーマイオニーは再び仲たがいし、ロンが新しい彼女にいれこむ事で、以前から漠然と感じていたある考えがハリーの頭から離れなくなる。ロンとハーマイオニーが親しくなるにしろ別れるにしろ、やがては三人一緒ではいられなくなる。自分は以前の孤独な境遇に戻ってしまう。

 ハリーの苦悩はすでに子供のものではない。思春期特有の一人よがりの甘えでもない。ハリーは急速に大人になろうとしているのだ。だから以前には気にもとめなかったロンの妹ジニーにどんどん惹かれていくのは、唐突に見えて実は偶然ではない。

 一方、タイトルにも出てくる謎のプリンスが残した魔法薬の教科書をなにがなんでも手放さないハリーの姿は、ホグワーツに来る以前からの愚かしくて向こう見ずで意固地ないつものハリーのそれだ。一見矛盾しているようだが、著者が本作で描きたいのはまさに子供と大人が同居しているハリーのちくはぐさそのものだろう。

 となると、ハリーが徹底的に一人前の男として成長するのに、ダンブルドアの個人授業ほどふさわしいものはない。何故なら今のハリーにとって、ダンブルドアは親代わりであり魔法の先生であるのは言うまでもないが、なにより人生の師というべき大きな存在になっているからだ。魔法省の新大臣が、頼み事を聞いてくれないハリーに向かって「君は骨の髄までダンブルドアに忠実だ」と皮肉るが、ハリーは「そのとおりです」と即座に答えて動じない。このシーンはハリーの成長をまさに象徴している。揺るぎない信念に満ちたハリーの言動は感動的だ。

 ダンブルドア本人から、個人授業の内容が宿敵ヴォルデモート卿の不滅を阻止するために、彼の起源を遡る記憶の旅だと明かされてからというもの、ハリーだけでなく読者もダンブルドアが導く記憶から目が離せない。次第に見えてくる敵の正体。ホラー映画におなじみのトラウマの起源を探り当てる精神分析にも似た手続きを取ることで、著者はヴォルデモート卿の心の闇に読者を一歩一歩近づけていく。この演出効果は抜群で、著者はシリーズ屈指のサスペンスを作り上げている。さらに著者は、その後にダンブルドアとハリーに訪れる過酷な運命へと僕ら読者を誘う。読者は息つく暇がない。

 衝撃的なクライマックスと較べると、謎のプリンスの正体が明かされるタイミングはお世辞にもうまいとは言えない。そもそもダンブルドアとハリーのドラマが圧倒的な面白さに満ちているのに反して、「謎のプリンス」はタイトルに冠しただけで著者は故意に読者の注意をそらしてきたフシがある。確かに謎のプリンスの正体は明かされたが、謎は謎のまま次回作(最終作のはずだ)に持ち越された。言わば本書のタイトルは、最終作における謎のプリンスの位置づけを予告する役割を果たしていると考えた方がいい。

 いずれにしても次回だ。次回にすべてが終わる。ハリーに付き随い、読む楽しみよりも作品の完成を、翻訳の完成を待たされる忍耐の方が多かった旅も、次回で終わりを迎える。折り返し地点があるとすれば本書がまさにそうだ。潮はすでに満ちた。後は引き去るのみだ。

参考
 ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団 J・K・ローリング
 寝過ごした亀はハリーに絶対追いつけない(図書館のすべて)
 珈琲と本のある風景その2(電車でカフェ気分)

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posted by アスラン at 04:26| Comment(0) | TrackBack(2) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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ハリーポッターと謎のプリンス (ネタばれ?)
Excerpt: この1週間で読み終わりました。
Weblog: Wonderful Life
Tracked: 2006-10-23 00:01

『ハリー・ポッターと謎のプリンス』
Excerpt: 「ネタばれ」なしの書評です。『ハリー・ポッターと謎のプリンス』を読む前、ストーリー展開に関して予想していたことがいくつかありました。けれども、その予想はことごとく外れてしまいました。普段はミステリ小説..
Weblog: Kブログ
Tracked: 2006-10-26 21:39
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