2011年12月05日

文学と非文学の倫理 江藤淳/吉本隆明(2011/11/29読了)

 「批評家になるとはどういうことか」という書き出しで評論『小林秀雄』を書き進めた江藤淳は、又、小林本人も考えもしなかったぐらい「批評家になる」という事を考え続けた人だったかもしれない。そのことだけが、彼の文学者としての倫理であって、その姿勢は、なりふりかまわず対象を追いつめ、すきあらば追い越してやろうという好奇心と野心の塊である吉本隆明にも、思いもおよばないことだったのではないだろうか。

 江藤淳と吉本隆明との対談は計5回行われた。僕は最後の2回はよく知っていて、記憶している。特に第4回の対談は、江藤の近著に対して吉本が「江藤さんともあろう人が、こんな題材(戦後GHQによる小説の検閲があった事実を究明した事)にかかずらう必要はないのでは?政治学者にまかせればいいことだ」という迂闊な一言に対して、「あなたもずいぶんと楽観的な人だ」と言い放つやりとりがあり、吉本が気圧される場面が印象的だった。

 このやりとり故に僕はずっと、江藤と吉本との間には、かなり以前から文学上あるいは思想上の対立があり、はた目から見ると保守の論客と左翼の論客との果たし合いを、興味深く見守る下世話な観客たちを当て込んだ企画なのかと思っていた。ところが対談を通して読むと、吉本が『言語にとって美とはなにか』で江藤の『作家は行動する』を評価し、一方的にライバルとみなしていたという見方は、僕の思いこみにすぎない事がはっきりした。

 江藤は、8歳年上の吉本を人間としても文壇の先輩としても敬意を払っているし、なによりも吉本の著作にも注目して作品もよく読んでいる。つまりは第5回の対談でも結論づけているように、小林秀雄には生涯存在しなかったカウンターパートナーであることを彼らは認めあっていた。その意味で、やはり第4回における前述のやりとりは、かえって興味深い。いわば、吉本はあそこで江藤淳の「逆鱗」に触れた事になるからだ。

 ヘーゲルやマルクスの洗礼を受けた吉本には、文学における個人の問題を取捨すると、次には「人類としての思想的課題」が立ち現れてくるとみていた。それは吉本からしてみれば、生涯国外に出ることなく、国内において吹き飛ばされそうな掘っ立て小屋で外圧に耐え抜いた〈不屈の人〉の理念であった。一方で、江藤は吉本とは一世代の差があり、直接の戦争体験を持つことなく、リベラルな保守階級の生活と理念におさまって、海外に赴く事に過大な思い入れもなければ、過小な評価も下さなかった。江藤が吉本を「楽観的」と断罪したのは、アメリカでもヨーロッパでも、どこへ出て行こうとも個人の問題の後には「人類」ではなく「人種」の問題が待ち受けているという実体験から来ていた。彼にとって人種的課題を乗り越える事は不可避であって、人類などというものを江藤は信じないとまで対談で言い切った。

 このクリティカルポイントを除けば、細かな点は別にしても、お互いの意見は非常に近いのではないかとさえ思えてくる。きっと、互いに考え方や生き方に対する敬意が存在するからに違いない。第5回の締めくくりにおける、まれに見る意見の一致は、「死を繰り込んだ思想」という老年期に2人が手に入れた考えを共有している事による。まるで2人の対談はかけがえのない茶飲み友だちとの会話のような趣きがある。言ってよければだが…。

 もう一つぜひ言っておきたい事がある。江藤淳が自殺してしまった現時点から見て、対談における彼の発言および一挙手一投足が、限りなく痛ましく感じられるという点だ。通して読めば読むほど、あたかも当初から彼の人生には「自ら生命を絶つ」事が予定されていたかのように感じられてならない。それくらい江藤にとっては生と死の境界が脆弱だったのではないだろうか。生活者として諸事を細かな点まで気に掛けずにはおれないという批評スタイルは、人生を「何事かに賭ける」という勢いからはほど遠い。彼にとって思想は、生き抜くためのすべではなく、ただ日常を生活するための指針でしかなかったのかもしれない。

 急に僕は江藤淳の『妻と私』と、それに附された吉本隆明の追悼記を無性に読みたくなった。
posted by アスラン at 19:48| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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