2011年11月26日

ABC殺人事件 アガサ・クリスティー(2011/10/12読了,再読)

 中学の国語の授業で作らされた読書ノートは、本のタイトルとページ数、そして短めの感想を書くことになっていた。感想は一行程度で、長く書くと偏屈な国語教師からおしかりをうけた。目的は本を読む習慣をつけることであって、感想よりも読んだ本のページ数の累計が重要だった。

 感想を書くことにしばられるな、という意図が込められているとしたならば、なんとも素晴らしいアイディアだ。当時の僕には、やはり本を読む事には、どこか強制されているかのような実感が伴っていたからだ。本を読むのは好きだったが、感想を書かされるのは苦手だった。

 高校に通うようになってからも、読書ノートにタイトルを控える習慣は続けた。イヤだった感想は、さっさと取りやめてしまった。あの国語の教師には、なんで日付をつける書式にしておかなかったのかと、いまさらながら不平が言いたい。高校1年から読んだタイトルは切れ目なく並べられ卒業まで続いたが、いつ頃に読んだのかははっきりとはわからない。位置で判断するしかない。

 高校では思う存分好きな本が読めたから、エラリー・クイーンや、その他の海外名作ミステリーを読みまくった。その中に当然ながらクリスティの代表作の一つ「ABC殺人事件」も入っている。当時はクイーンの初期作品への強い執着があったので、ハヤカワ・ミステリよりも創元推理文庫を読む比率が圧倒的に高かったように思う。だから「ABC…」も創元推理文庫で読んでいるはずだ。そこらへんの情報は読書ノートには一切書かれていない。

 創元推理文庫の「ABC…」は、2003年に現在流通している深町真理子訳に改められているので、今回読んだ深町版で当時の印象を正確に再現できるわけではないだろうが、ABC順に無作為に選ばれた名前の持ち主が殺されていくという、今でこそありきたりになってしまった連続殺人鬼(シリアルキラー)を描いたストーリーに、当時としてはかなり意表を突かれたように思う。ただし、当時はクイーン式の緻密な演繹推理でないと満足できなかったのも事実で、ポアロが関係者の会話や状況証拠から真実を見抜いていくという「なしくずし」の解決方法に対する不信がどうしてもぬぐえなかった。だから、本作もストーリーには相応の興味を惹かれたにも関わらず、解決は物足りないと感じたような気がする。

 しかし、今回再読してみると、一見無関係に見える3件の犯罪に共通するものが、実にさりげなく、だがひとたび気づいてしまえば忘れようがないほど際だった部分に配置されている事に驚かされた。こういう伏線の折り込み方へのクリスティらしいあざやかな手際については、以後シリアルキラーものを書く作家たちのお手本になっただろうと思う。

 もう一つ言っておきたい事がある。連続殺人ものというのは、前半〜中盤にかけて「動機無き無作為な殺人」というストーリー展開のサスペンス性に、著者の主眼があるはずだ。だから、このジャンルでは有能すぎる探偵の出る幕はない。いや、早々と見抜いてしまわれては作者としても困るわけだ。そのため、本作でもポアロは最後の最後まで「灰色の脳細胞」の輝かしきひらめきを封じられている。まるで「殺されるだけ殺された後で初めて気づく」と揶揄される事が多かった金田一耕助の姿が透けてみえてくるではないか。こういった点からも、日本の作家が学ぶところが多かったスタンダードな作品と言えそうだ。
posted by アスラン at 12:56| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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