2011年11月14日

オリエント急行の殺人 アガサ・クリスティ(2011/10/12読了,クリスティ文庫新訳)

「ヒルデガルデ・シュミットが犯人だったら、彼女の荷物から制服が出てくるかもしれない。だが、もし犯人でなかったら、かならず制服があるはずです。」(クリスティ文庫・山本やよい訳)


 ヨーロッパを縦断して走る「オリエント急行」の車中で殺人事件が起きる。雪で立ち往生した列車内で救援を待つという状況下で、たまたま乗り合わせた探偵エルキュール・ポアロは臨時の捜査を依頼される。クリスティの数ある長編の中でも一、二を争うほどの代表作であり、最も読まれた作品の一つであり、センセーショナルな結末という点でも名高い一作だ。そんな事は、ミステリーファンであれば誰もが感想(書評)に書き綴っているはずなので、改めて詳しく述べるまでもないし、内容についてあれこれ述べ立てるのも今更という気がする。

 実はクリスティ文庫版「オリエント急行の殺人」が新訳で出版された際に、珍しく新品を購入してあたためておいた。旧訳版も古本で買い込んであったから、双方を読んで翻訳の善し悪しを吟味してやろうという魂胆だった。ところが、その前に「そして誰もいなくなった」の旧訳(清水俊二訳)と新訳(青木久惠訳)との比較に、思いの外、興が乗って長引いてしまったので、なかなか「オリエント」の方に手が回らなかった。なんとペーパーバックの原書までブックオフで購入して準備万端整えていたというのに…。

 それでようやく今回、新訳(山本やよい訳)を読んでみて、やや肩すかしを食らった。特に取り上げるほどの違和感を新訳の文章に感じなかったからだ。そもそも「そして誰もいなくなった」とは翻訳を吟味する動機付けが違う。「そして誰も…」の方は叙述トリックの作品なので、作者の意図を意識した翻訳ができているかどうかが一つの重要なポイントであったが、「オリエント急行」の方は特にそういうレトリックはない。元々クリスティの文章は平易でわかりやすいし、「オリエント急行」では特にストーリーで読ませるところがあるので、女性らしい翻訳の柔らかさを感じただけで、それ以上に不満は感じられなかった。一箇所を除いては。

 ポアロはあらゆる人々から証言を集めて、やがて綿密なタイムテーブルを作り上げる。その中で、正体不明の人物が2名存在したことをつきとめる。一人は「真っ赤なガウンを着た女」、もう一人は「偽の車掌」だ。そして、この二人が車内の人間の変装か、あるいは車外から入り込んだ人間の仕業なのかに関わらず、真っ赤なガウンと車掌の制服は、車内のどこかに隠されていることは確実だった。

 そこでポアロは「制服はヒルデガルド・シュミット(公爵夫人のメイド)の荷物のなかにある」と予言する。国際寝台会社の重役が「メイドが犯人なのか」と問いただす前に先回りしてポアロが言った言葉が、冒頭のフレーズだ。

  えっ?どういうことだろう。「Aが犯人ならば制服がでてくるだろう、犯人でなければ制服が出てくるはずだ」と言ってるよねぇ。ってことは、どちらにしても制服が見つかるってことでしょう。それってつじつまが合わなくないだろうか。

 これが、「Aが犯人ならば制服は出てくるが、犯人でなければ制服は出てこない」あるいは「犯人ならば制服は出てこないが、犯人でなければ制服は出てくる」と書かれていれば、つじつまが合うし、日本語として自然だ。では、山本訳は間違ってるのだろうか。

 そう思って、他の翻訳と比べてみることにした。まずは、クリスティ文庫の旧訳版である中村能三訳だ。

「もしヒルデガード・シュミットが犯人だったら、制服はあの女の手荷物の中で発見されるかもしれない−だが、もし犯人でなかった、かならずあの女の手荷物の中にあります。」(クリスティ文庫・中村能三訳)

 旧訳(中村訳)は、ほぼ新訳(山本やよい訳)と同じ表現とみていいだろう。ひょっとしたら山本さんは中村訳を参考にして訳を決めたのかもしれない。

 創元推理文庫の長沼弘毅訳では、前半をこう翻訳している。

「もし…が犯人だとすれば、制服は彼女の荷物のなかで発見される程度ですが…」(創元推理文庫・長沼弘毅訳)

 なるほど、この訳でようやくつじつまが見えてきた。つまりポアロは、メイドが犯人であった場合と犯人でなかった場合とでは、彼女の手荷物の中に制服が発見される「確実さ」の程度に違いがあることを指摘しているのだ。

 そこで手元にあるBERKLEY MYSTERY版「MURDER ON THE ORIENT EXPRESS」(2004年)
を読むと、確かにこう書かれている。

"If Hildegarde Schmidt is guilty, the uniform maybe found in the baggage. But if she is innocent, it certainly will be"


 この原文を見ればわかるように、

(a)the uniform may be found
(b)it     certainly will be (found)

の二つが対比されている。どの翻訳もつじつまが合ってる事はわかった。その上で、僕は山本訳と中村訳は落第だと思う。なぜなら「may be」と「certainly willl be」との確実性の度合いが、英語の表現どおりにそのまま比較されているという点が日本語には馴染まないからだ。

 例えば「Aが犯人ならば制服が見つかる可能性は50%ですが、Aが無実ならば100%見つかります」と言い換えれば、日本語でも不自然ではないし、理解可能だ。長沼訳は、その点に配慮して「may be」を「発見される程度ですが」のように度合いを強調して訳してあるので、日本語としてもつじつまが見えやすくなった。及第だ。

 しかし僕が今回の調査で恐れ入ったのは、ブックオフの書棚で見つけた、表紙が例のアカデミー賞受賞映画のワンシーンに差し替えられた新潮文庫の蕗沢忠枝訳だ。

「…が犯人とすれば、制服は彼女の荷物の中にないかもしれないが、もし彼女が潔白なら、必ずそこにあるに違いない、と。」(新潮文庫・蕗沢忠枝訳)


 これです。日本語として百点満点。頭にすんなり入ってくるし、つじつまもバッチリあっている。でも果たして翻訳としてはどうなんでしょう?

 僕の素人判断だが、「may be」って「or may not be」って表現を隠し持っているんでしょう?つまり「〜かもしれない、そうでないかもしれない」という意味になる。ならば思い切って「〜でないかもしれない」の方を表に出して訳せば、日本語として座りがよくなるのは間違いない。この「思い切り」が、蕗沢さん以外の方々には足りなかったのだろうか?

 いやいや、長沼さんと蕗沢さんのお二人だけが原文の直訳の不自然さに気づき、他2名は不自然だと思いもしなかったという事のようだ。さらに蕗沢さんただ一人が「大胆かつ繊細に(by児玉清)」訳したという事でしょう。蕗沢さん、二重マルです。

 ところで、だからなんだと言えば、それだけの事だ。この一箇所で新訳がダメだとか、アガサ・クリスティ文庫の新旧ともども翻訳がダメとか言うつもりはない。たまたま、この一箇所が最後まで頭に引っかかってしまっただけで、本当に山本さんには申し訳ない限りです。新訳の1冊は、十分堪能させていただきました。ごちそうさまです。

 また、今回通して読んでもいない新潮文庫・蕗沢訳を、必要以上に持ち上げるつもりもない。あの箇所の「大胆かつ繊細さ」で全編が貫かれていたら、それは素晴らしい翻訳になっているかもしれない(may be…)。でも、それはまた別のお話だ。機会があればトライしてみよう。
posted by アスラン at 19:41| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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