2012年06月26日

2011年「新潮文庫の100冊VSナツイチVS発見!角川文庫」(再掲載)

新潮文庫表紙2011年.jpg ナツイチ表紙2011年.jpg 角川文庫表紙2011年.jpg

 ついに10月半ばになってしまった。機を逸してしまったのは致し方ないが、やっておかないと今年限りで企画自体が終了してしまう。もちろん僕がやるやらないを決めればいいことで、そろそろ惰性と化していることも事実だ。「労多くして功少ない」企画は終わらせるに限るのかもしれない。比べるのもおこがましいのは承知だけれど、イチローの年間200本安打の記録も11年目にしてついえた。ちょうどいいタイミングなのかも。

 グチはこのへんにして、今年限りになるかもしれない「夏の文庫フェア3社比較」を始めよう。毎年言ってきたが、これは3社の「夏の文庫フェア」それぞれについて昨年と今年の違いを比較調査した上で、今年の3社どうしの比較をして締めくくるというものだ。要するに3社比較とは「他のフェアと共通する作家や作品は何か?」を見ていく事が目的だ。

[スペシャルカバー]
新潮 18冊(昨年は11冊)
角川 15冊(昨年は12冊)
ナツイチ 15冊(昨年は16冊)


 「スペシャルカバーの企画は、どこが始めたか」を追求するのは難しい。期間限定カバーで売るという商売は、かなり前からあったように思うからだ。原作が映画化・ドラマ化されるたびに、表紙にワンシーンが刷り込まれる。そういうメディアミックス戦略に乗った限定カバーならばこれまでにもよくあったが、「夏の文庫フェア」とリンクして一斉に統一イメージのカバーを提供しようと考えたのは、やはり「ナツイチ(集英社文庫)」のユニークなアイディアだったと思う。私見では2007年に「文豪の名作×人気漫画家」のコラボレーションカバーが始まった。初年は「人間失格」1冊だけで読者の反応を探り、翌2008年から本格的に冊数を増やしていった。

 「発見!角川文庫」が本腰をいれてナツイチにガチンコ勝負を仕掛けてきたのが、2010年の夏だ。カバのディス君に取って代わったハッケンくんのイラストを配したカバーと、美少女アイドルを配したカバーとを合わせると12冊。オリジナリティではナツイチに勝てないからか、数で勝負してきた。

 「新潮文庫の100冊」は、ナツイチの新風にも角川の物量作戦にも影響されることなく、他社とは全く違ったスタイリッシュで大人受けするデザインのカバーで、老舗のブランド力を見せつけてくれた。それが2008年。翌年から冊数を10冊に増やした上に、毎年順繰りにスペシャルカバーにする作品を入れ替えていく。スペシャルカバーの企画は定番化したが、カバーにする作品そのものへのこだわりはほとんどない。

[3社共通作品(3冊)]
星の王子さま サン=テグジュペリ
人間失格 太宰治
こころ 夏目漱石


 「人間失格」と「こころ」の3社共通作品ランクインの連続記録は、今年も途切れることはなかった。もちろん高校の読書感想文の課題図書とリンクした王座であるからには、各社とも2作をはずすことは当分ないだろう。とすると、3社共通作品の定位置をおびやかす作品は今後も出てきそうにない。今年の「星の王子さま」とて、偶然の一致の賜物に過ぎない。昨年は「十五少年漂流記」、一昨年が「銀河鉄道の夜」だったというわけだ。「十五少年」も「銀河鉄道」も確かその年のスペシャルカバー企画と連動していて、偶然以外の要素も絡んでいた。では今年の「星の王子さま」は、何故に3社共通になれたのでしょう?

 ひょっとして震災があった事と関係してるかな?「こころ」や「人間失格」で人間の奥底にある醜さを真正面で見据えることも大事だけれど、こんな時期こそ「本当に大切なもの」を若い読者に考えてもらいたいという、大人たちの希望なのかも。

 ところで「星の王子さま」を読むならば、どの出版社の翻訳を選ぶべきだろうか。僕ぐらいの歳になると岩波書店の児童書しか選択がなかった。ここはひとつ訳者で選んでみるのが、本書にふさわしい仕草というものだろう。

(新)河野万里子(1959年-)
(角)管啓次郎(1958年-)
(ナ)池澤夏樹(1945年-)

 河野さんは上智大フランス語学科卒。最近では新潮社版フランソワ・サガン「悲しみよこんにちは」の新訳を手がけた。管さんは比較文学者にして詩人という経歴。翻訳業という点では見劣りがするが、エッセーや批評文の書き手としては、若島正や松浦寿輝がほめちぎるほどの達人らしい。池澤さんは言わずとしれた小説家であり詩人。アメリカ文学に造詣が深く、全集も監修してしまう程の力量だ。で、僕自身は管さんの翻訳を試してみたい気がした。もちろん3社の訳すべてを試してみるというのもおもしろそうだ。

[2社共通作品(12冊)]
(新潮・角川)
変身 フランツ・カフカ
不思議の国のアリス ルイス・キャロル
鳥人計画 東野圭吾
蜘蛛の糸・杜子春 芥川龍之介
走れメロス 太宰治
赤毛のアン モンゴメリ
十五少年漂流記 ジュール・ヴェルヌ
山椒大夫・高瀬舟 森鴎外
伊豆の踊子 川端康成
シャーロック・ホームズの冒険 コナン・ドイル

(ナツイチ・角川)
坊っちゃん 夏目漱石
銀河鉄道の夜 宮沢賢治


 2社共通作品の数も、昨年並みで増減はあまりない。前々から指摘しているが、2社で共通する作品というのは、国内でも海外でもスタンダード(古典)の地位を占めている作品がほとんどだ。現代の作家で複数のフェアを渡り歩いている人はいるが、作品が他社と共通する例は、僕が知る限り「キッチン(吉本ばなな)」しかない。「キッチン」はそもそもが福武書店(現・ベネッセ)から出版され、福武書店が書籍出版の事業から撤退したのを機に、角川と新潮から同時期に再出版されたという事情があった(その「キッチン」も、今年ついに姿を消した。残念だ)。ならば東野圭吾の「鳥人計画」は、どういう理由で出版社の囲い込み戦略をすり抜けたのだろう。すごく不思議だ。

 もう一点、消えていった本について。「人間失格」「こころ」ほど定番とは言えないが、終戦記念日を抱えた夏休みにふさわしい本が、ついに共通作品の地位から滑り落ちた。壺井栄「二十四の瞳」だ。「戦後」の呪縛から解放されたと喜ぶべきなのだろうか。若い世代から「戦争」そのものが風化してしまった事を嘆くべきなのだろうか。もし後者だとしても、もちろん若い世代には何の責任もない。伝えなくてはいけないのは僕ら大人なのだから。

[3社共通作家(16人)]
サン=テグジュペリ
東野圭吾
遠藤周作
江國香織
小川洋子
森鴎外
森絵都
浅田次郎
田辺聖子

伊坂幸太郎
赤川次郎
石田衣良
恩田陸
太宰治
夏目漱石
宮沢賢治
宮部みゆき



 今年3社共通に入った作家を太字にした。と言っても常連ばかりだと言っていい。

[作家ランキング(ラインナップ数)]
夏目漱石 7
東野圭吾 7
石田衣良 6.2
太宰治 5
有川浩 5
恩田陸 4.14
安部公房 4
伊坂幸太郎 4
宮沢賢治 4
宮部みゆき 4
江國香織 4
司馬遼太郎 4
神永学 4


 二年連続でトップだった石田衣良が3位に後退した。夏目漱石が貫禄のトップに躍り出た。漱石は本ランキングの常連だが、当代の流行作家たちをおさえてトップになる事はかつてなかった。単なる「文豪の名作(スタンダード)」というだけでなく、「草枕」という作品に注目が集まった事が、漱石躍進の原因の一つのようだ。僕はよく知らないのだが、人気小説「神様のカルテ」の中で漱石の「草枕」が重要な位置を占めていたらしい。

 東野圭吾は、ミステリー作家としてだけでなく流行作家としての充実期を迎えたようだ。ミステリー以外にいろいろな作品が書ける器用さ・多作さが、このランキングに入る前提ではあるが、やはり誰もが読みたがるミステリー作家であるという点が、東野の真の強みだろう。石田衣良しかり、恩田陸しかり、宮部みゆきしかりだ。

 そんな中でも注目株は、やはり有川浩だ。この人は、ランキングの流行作家の中でもミステリーに軸足を置いていない唯一の作家と言ってもいい。だが、作品のバリエーションはもっとも多い作家かもしれない。石田衣良のような器用さを持ち合わせ、さらにはバリエーションで上回る。今後もランキング上位をねらえる作家だ。

[作家ランキング(スタンダード)]
サン=テグジュペリ 3.00
太宰治 2.50
コナン・ドイル 2.00
ジュール・ヴェルヌ 2.00
フランツ・カフカ 2.00
ルイス・キャロル 2.00
川端康成 2.00
夏目漱石 1.75
モンゴメリ 1.50
芥川龍之介 1.50
森鴎外 1.50


 ラインナップ数を単純に本の数(異なり数)で割ったのが、本ランキングを計る「スタンダード指数」となる。ラインナップ数の多い少ないに関わらず、他社と共通する作品が多く、かつ他社と共通しない作品が少ない作家ほど上位にくる。日本の作家では文豪と言われる作家たちがランキングされるのは言うまでもない。海外の作家を見ると、フェアに入りそうな超有名な作品がたかだか一冊しかない作家がランキングの上位にくる。

 夏目漱石が珍しく低調なのは、今年は「こころ」以外の作品が出版社ごとに割れた事からだ。新潮社は、例年の「坊っちゃん」ではなく「吾輩は猫である」をもってきたし、ナツイチは「坊っちゃん」以外の3冊目として「草枕」を入れてきた。

[キャッチコピー]
 3社共通作品3冊およびのあわせて10冊について、キャッチコピーの比較をしてみよう。

星の王子さま サン=テグジュペリ
(新)心の砂漠がオアシスに変わる。世界中で愛された魔法の1冊
(角)王子の言葉ひとつひとつに気持ちが癒される
(ナ)ぼくの小さな星は きみの友だちになる


 さて、どれが一番いいコピーでしょう?いや、まず一つ脱落させるならばどれでしょう。角川だろうな。ここには読者をひきつける魔法の言葉が一つもないからだ。次はナツイチか。「小さな星が(きみの)友だちになる」という事は、煎じ詰めれば新潮の「オアシスになる」と同義だと思うのだが、やはり表現の飛躍が感じられる。最後に残るのは新潮という事になるのだが、後半の「世界中に愛された…」が余計だろう。

人間失格 太宰治
(新)この主人公は自分だ、と思う人とそうでない人に、日本人は二分される。
(角)ひとりの人間として人と共に生きるとは?
(ナ)人間失格なのは、葉蔵か?太宰自身か?


新潮のコピーの威力は相変わらずだが、ナツイチのリニューアルコピーはなかなかにセンセーショナルだ。この作品を脱稿した直後に玉川上水で心中をしてこの世を去った太宰一個人の資質が問われるべきなのか、それとも人間そのものの本質が問われるべきなのかを、この本から読み取ってほしいという、ナツイチ編集部の意欲が感じられるのだ。

こころ 夏目漱石
(新)恋か。それとも友情か。あなたはどちらを選びますか?
(角)あなただったら、恋と友情どちらを選ぶ?
(ナ)恋と、友情。選ぶことができますか?


 おお、こりゃびっくりだ。今年は3社そろって「恋か友情か」という二者択一の物語として、この本を読めと言い切っているからだ。本書は「人間のエゴイズム」をテーマにした作品である事は言うまでもないが、キャッチコピーで「エゴイズム」にふれると、どうしても「ぶっちゃけ、恋か友情か」式のコピーに比べて見劣りがしてしまう。だからって、こうまで同じコピーにしちゃうっていうのは、3社ともになんか芸がないなぁ。

変身 フランツ・カフカ
(新)読み始めて「なぜだ?」と思い、読み終えて「なぜだ!」と叫ぶ。
(角)目が覚めたら自分が巨大な毒虫に!?


 新潮のコピーが秀逸なのは以前にふれたが、今年プチ・リニューアルした。昨年までは

 (2010年)読み始めてすぐに「なぜだ?」と思い、読み終えた直後に「なぜだ!」と叫ぶ。

だったのだ。「すぐに」と「直後に」を入れるか入れないかはリズムの問題。なぜ「すぐに」を二度繰り返さなかったのかは、新潮担当者のささやかなこだわりだろう。でも今年は、各社ともにコンパクトに字数を切り詰めて少しでも「読みやすく」を心がけてきた。その結果が今年のコピーだ。もちろん〈リズム〉も〈こだわり〉も重要だと理解した上で、今年の切り詰め方は納得だ。

 一方、角川も切り詰めを行った。昨年のコピーは「目が覚めたら、自分が褐色の巨大な毒虫に!?」で、「褐色の」がリストラされた。なるほど切り詰めようと思えばどんどん切り詰められるものだ。

不思議の国のアリス ルイス・キャロル
(新)日常から逃げたいと思っているあなた。あなたこそがアリスかも。
(角)白ウサギやチェシャーネコが活躍する、不思議の世界


 またまた角川には分が悪い勝負だ。角川のコピーが何一ついいところがないのはおわかりだろうか。作品について「不思議の世界」という一言しか言えていない。白ウサギもチェシャーネコも、一読していなければなんのこっちゃわかりません。新潮のコピーはストレス過多の日常を送っている誰の心にも響くナイスなコピーだ。

鳥人計画 東野圭吾
(新)錯綜した謎が解ける瞬間の爽快感、これぞ東野ミステリーの醍醐味。
(角)容疑者は誰? 驚きの計画が明かされる


 新潮は、これまでほとんど東野圭吾をフィーチャーしてこなかった。そもそも文庫化された本が「超・殺人事件」以外になかったからだ。「鳥人計画」が初めて新潮100冊に入ったのが2009年。一年置いて今年も入り、角川との共通作品となった。新潮のコピーは、東野圭吾の本を紹介できる喜びに満ちている。

「蜘蛛の糸・杜子春(新)」「蜘蛛の糸・地獄変(角)」 芥川龍之介
(新)けっしてふりむいてはいけない、必ず、そんな時がきます……。
(角)地獄から極楽へ続く蜘蛛の糸に、罪人が群がり……


 新潮は「杜子春」、角川は「蜘蛛の糸」についてのコピー。新潮のように「だからどうすべきなのか」と読者に考えさせる一言に、僕らの心は鷲掴みにされる。角川の方は導入部を要領よくまとめて「お代は見てのお帰り」式のオーソドックスな呼び込みだ。引きつけられはするが、グッと胸に迫っては来ない。

走れメロス 太宰治
(新)友情を、青春を、愛を描く。太宰は、21世紀を生きる僕たちの心に迫る。
(角)大切な親友のためなら自分の命をかける!


「走れメロス」ほど表と裏がある作品もそうそうない。「人間失格」というやっかいな遺書を残してさっさとこの世を見限ってしまった作家が、およそ書きそうにない作品だからだ。だからこそ、そこに描き込まれた登場人物たちの「友情」や「青春」や「愛」は、太宰がもっとも「人間を信じたい」と思った頃の切実な叫びだと考えねばならない。そこに思い至らずに「自分の命をかける!」などと軽々しいコピーがどうしてできるのだろうか?

赤毛のアン モンゴメリ
(新)美人じゃないけど最高にカワイイ!アンは女の子の永遠の憧れです。
(角)男の子を引き取ったはずなのに 現れたのは、赤毛でそばかす顔の女の子!?


 「赤毛のアン」は一連の名作アニメの一つとして長くテレビで愛されてきたせいもあって、原作を読まずしてストーリーを見知っている若い世代が多いのかもしれない。それを意識してか、新潮の「最高にカワイイ!」や「女の子の永遠の憧れ」という決め台詞にしびれる女子は多いだろう。角川の方は、相変わらずオーソドックスな呼び込みではあるが、原作のおもしろさの要点をうまく突いている。アンを養子にした夫婦は、働き手となる事を期待して男の子の養子を希望したのに、手違いでアンがやってくる。ダメダメな逆境を乗り越えてしまうところに、読者は「最高にカワイイ」女の子を見いだすはずなのだ。

十五少年漂流記 ジュール・ヴェルヌ
(新)必要なものは、勇気と知恵、そして仲間。
(角)無人島に流れついた、15人の少年たちの冒険


 新潮はずいぶんと言葉を切り詰めてきた。昨年後半の「子どもたちだけで、どこまでやれるか」をバサッと切り捨てた結果、物語のエッセンスを言い切ったコピーとなった。角川の方は、コピーの存在意義について考えさせられる好例だ。ふんふん、これってタイトルを読めばわかるんじゃないの?「15人の少年」が「漂流」した物語なんだから。

「山椒大夫・高瀬舟(新)」「山椒大夫・高瀬舟・阿部一族(角)」 森鴎外
(新)「安楽死」はそれでも罪ですか?答えの出ないギリギリの選択。
(角)人間解放や武士の運命……さまざまな生き方を描く


 いやはや、僕って鴎外読んでないんだなぁ。「安楽死」を扱った小説ってどれですか?「山椒大夫」?それとも「高瀬舟」?そんな現代的なテーマだったなんて。個人的には新潮のコピーは「鴎外を読みたい」と素直に思わせてくれた。一方、角川のコピーは…。そうそう、そうなんだ。武士など往時の人々のさまざまな人生を描く。そういうイメージなんだよね、鴎外の作品って。だからなかなか触手が伸びない。このコピーで中高生は読みたいって思うかな?

伊豆の踊子 川端康成
(新)旅の終わりにひとすじの涙……これが孤独なぼくの初恋なんだ。
(角)踊子を好きになった高校生の恋の行方は−


 まずは角川のコピーから吟味しよう。なぜなら僕から言わせれば「このコピー、ありえない!」からだ。「踊子を好きになった?」「高校生?」「恋の行方?」そんないいかげんなコピーで川端作品を読ませようとしたら、あとで必ずしっぺ返しを食うぜ。一度読めばわかるが、幼い踊子が旧制中学のエリート学生に対してほのかな恋慕をいだくというのが物語の始まりだ。主人公の青年が踊子を無視できないのは、自らの出自にまつわる孤独とエリート故の将来への不安などを抱えて旅する彼の沈んだ心を、踊子の無邪気な恋慕が癒してくれたからだ。と同時に、踊子の行く末と自らの将来を比して、社会の矛盾の一端に触れてしまうというモチーフも見落とす事はできない。つまりは角川のコピーはデタラメなのだ。

シャーロック・ホームズの冒険 コナン・ドイル
(新)赤毛連盟? まだらの紐? イギリスを名探偵と駆け巡れ!
(角)ホームズとワトソンが難事件を解決!


 えーと、またまた言ってもいいですか?タイトルと言ってる事おなじなんですけど、角川さん。まあ確かにワトソンとの名コンビで「難事件を解決!」という点は付け加えてるには違いないけど…。なんか他にないのかなぁ。新潮のコピーとの違いを説明するので考えましょうね。

 「赤毛連盟」「まだらの紐」といったタイトルは未読の人には何の意味もない。さきほど「不思議の国のアリス」で角川のコピーがだめだと指摘したのと同じ批判が当てはまりそうだが、今回はそうではない。ホームズのようなミステリーは小学校の図書室に完備しているだろうから、児童文学(ジュブナイル)で読んだ人も多いはずだ。そういう人ほど、大人向けのオリジナルを読んで新たな感銘を受けてほしいのだ。それがイギリスという国を、ロンドンという都会を、改めて知る事にもなる。

坊っちゃん 夏目漱石
(角)江戸っ子の坊っちゃんが四国・松山で大暴れ!
(ナ)時代を超えて愛される無鉄砲教師の痛快物語。


 これはもう何度も言ってるけれど、「坊っちゃん」という作品には「痛快」な場面など一つもない。もしそう感じるとするならば、それはドラマ化されたテレビの影響だ。だが、明らかに「時代を超えて愛される」なにものかを漱石が描いた事は確かだ。父母からは厄介者と疎まれ、江戸っ子の気位だけを抱えて、松山の田舎へと都落ちした次男坊の鬱屈こそが、「自分こそが坊っちゃんだ」と主人公の行動に自らを仮託する読者を今なお生み出している。

銀河鉄道の夜 宮沢賢治
(新)星の空を、ひっそりと見あげたことありますか。そして涙が出ませんでしたか。
(角)悲しい気持ちを抱え、銀河鉄道に乗った少年は?


 「銀河鉄道の夜」は宮沢賢治が生涯にわたって何度も書き直した作品だ。なので、おそらくは読んだ時期によって作品の印象が変わる作品かもしれない。僕はと言えば、登場人物がすべて猫で描かれる猫十字社作のマンガによって、初期型と改訂版の2つのバージョンを読んでいる。劇場版アニメになったのは後者の方だ。その作品の序盤で、いじめられる自分にも、帰ってこない父や病がちの母との生活に倦んで、ジョバンニは一人ぼっちで丘に横たわり、夜空を見上げる。なんて深く静かで寂しい風景だろう。新潮のコピーは、そんな僕の思いに共鳴する。では、角川のコピーは…。いや、それは言うまい。角川は、ジョバンニが「生きる事」の悲しさを抱えて丘に登って夜空を見上げる、まさにその場面を解説で描ききっているのだ。
(2011/10/18初出)
posted by アスラン at 19:38| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 夏の文庫フェア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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