2006年08月16日

何故二人は同じ本が読めないのか?(2)

 本好きの人たちの声を聞くのならチャットだと思って、ある時思い切ってチャットルームの扉をたたく。正確にはカテゴリを選択して入室ボタンを押すだけだ。すると当然ながら初心者は溺れる。文字通りチャット(会話)の流れの早さになかなかついていけないのだ。そもそも何について話しているかを把握するまでに時間がかかるし、何についてか分かったところで何かしら自分の意見を開陳できるような単純な内容ではないのだ。おのずとチャットの急流をじっと眺めて過ごす事になる。

 場違いなところに迷い込んでしまったかなといったんは思ってみたものの、じっと眺めて過ごすのもまんざら無駄では無いことにやがて気づく。チャットルームには常連さんたちがいて彼らの多くは並はずれた読書量と知識を誇っている。ただし読書の質と知識の範囲は当然ながら人それぞれのようだ。つまり僕が読んだこともない作家や聞いたこともない作品の話についていけるのは常連さんの中でも一握りという事だ。そういう話題の時にはひたすらROMと化して黙って様子見しているしかないのは初心者だけではなさそうだ。

 一見すると読書の達人(ウィザード)を崇拝する使徒たちからなる開かれていない集団の場に見えるし、実際にそういう一面がある事は否定できない。特に自らの知識をひけらかして自分より劣っている(と見なした)人を侮ってこき下ろす輩も時折見受けられる。決して僕のような読書の凡人にはやさしい場ではない。

 現に僕も一、二度対戦させられた。いやもう文字通り対戦であり、僕の言葉尻をとらえて隙をついて切り込んでくる。何故か僕は彼の癇に障る事を言ったらしい。そういう時の後味の悪さはかなりなもので、そういう人は読書の達人ではなく難癖の達人でありこちらに勝ち目はないのだ。幸いな事に、そういう癖のある人間は常連にいない。

 一方で、達人を含む常連たちは門をたたいて入ってきた者を拒まない。初心者の顔をして「なにか面白い本ありませんか?」とか「○○って面白いですか?」などと聞けば、面倒がらずに適切すぎるくらいの説明をしてくれる人が多い。そういうときは開かれた集団の側面が現れる。うまくすれば聞きたい事が聞けて、ときたま自分の意見も聞いてもらえる。そのうち慣れてくると自然と自分の居場所ができる。

 読書の凡人にとって達人の託宣は真実をついていて有無をも言わせぬ説得力をもつ事が多いが、時として他人の意見を入れない独善に聞こえる。しかし凡人と達人の間に様々な種類の読書好きがいて、急流を抜けた後の広々とした穏やかな流れには、それぞれに違う読書体験を持った人たちの言葉が溢れている。穏やかな流れの中で思い思いに自由に自分の好きな作家や作品について語り合うにつれて、なんとなく話しやすくなんとなく相手の読む本が気になる友人ができてくる。

 友人というのはおこがましいか。特に友人というほど相手の何を知るわけでもないが、たった一冊の本への好みが顔も見知らない人と人を結びつける事があるのだ。これを友人と言わないでなんと呼べばよいのか。

 その時はたまたまお互い初対面ではない程度の三人でヘレーン・ハント「チャリング・クロス街84番地」について話していた。一人が読書好きにはオススメの話なのだが訳本が手に入らないという話をしていて、念のため調べてみたらなんと中公文庫で出ている。しかも訳者があの文藝評論家の江藤淳だと知って話は一挙に盛り上がった。この物語はフィクションではなくて、作者である米国の女性作家ハントとイギリスの古書店店員との書籍の購入依頼と回答という手紙の文面から構成されているノンフィクションだ。

 そして、本に対する限りない愛情で結ばれた二人の関係に引っ張られるかのように、その本をオススメしてくれた人を仲立ちに、勧められた僕ともう一人は、やはり読書で結ばれた関係、いや読んだ本のタイトルで結ばれた関係になった。その人の名を仮に羅侯さんとしておこう(仮名かぁ、これが)。

 読んだ本のタイトルで結ばれる関係というのは微妙な言い回しだが、僕と羅候さんにとってはあまり笑えない話で、お互いの一年間に読んだ本の数を較べてもどっこいどっこいの数で、決して多くはないが少なくもなく、読書好きには適度な冊数に上る。ところがタイトルが何故か重なっていない。つまり通常読書仲間というと共通の読書体験を基に話が弾むと相場が決まっているのだが、こと僕ら二人についてはどこまで行っても平行線のまま。めったに同じ本を読まないという事が二人をして互いの読書履歴から目が離せないという奇妙で興味深い関係がいままで続いている理由なのだ。

 何故二人は同じ本が読めないのか?ようやく記事のタイトルの意味するところに本文が追いついた。この小論(と大げさなものではないが)は、二人の読書リストがいかに重ならないかと、何故重ならないかをすこしばかり分析してみようという趣向だ。別にそれで何が分かるというわけでもないが、少しは僕と羅候さんの気が収まるというのがまず理由の第一。次に僕の読書指向を自己分析しておこうというのが第二だ。その上で多少は存在するみたいな僕のブログの読者に向けてささやかな所信表明としたい。まあ至極プライベートな動機なのは認めよう。

 ところでここまでたどり着くのに記事2回分を費やしてしまった。どうも二人の読書リストの分析は次回という事になってしまう。いやはや。どうしてこう僕の文章はきままであてどないのだろう(この項続く)。

参考
 何故二人は同じ本が読めないのか?(1)

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posted by アスラン at 01:06| Comment(2) | TrackBack(0) | 評論・エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
エラリーさんの2006年度読了本の中から@私が読んだことがあるもの、A読んでみたいと思うもの、B勧められても手に取らないと思われるものを参考までに記します。
但し内容を知らないものも多々ありますので、本の解説を読んで評価が変わる可能性は大です。
@私が読んだことがあるもの
27.伊豆の踊子・温泉宿 他四篇 川端康成
38.百億の昼と千億の夜 光瀬龍(但し萩尾もとの漫画を読んだ)
A読んでみたいと思うもの
10.いまどきの「常識」 香山リカ
47.フーコーの振り子 科学を勝利に導いた世紀の大実験 アミール・D・アクゼル
51.月の記憶 −アポロ宇宙飛行士たちの「その後」− アンドリュー・スミス
54.漱石の妻 鳥越碧
56.悪党芭蕉 嵐山光三郎
B勧められても手に取らないと思われるもの
6.しゃばけ 畠中恵
9.世界は密室でできている。 舞城王太郎
20.死神の精度 伊坂幸太郎
23.雪舞 渡辺淳一
25.車井戸は軋る/黒・亭事件 横溝正史
32.半島を出よ
33.東京タワー −オカンとボクと、時々、オトン− リリー・フランキー
34.魔王 伊坂幸太郎
43.陰日向に咲く 劇団ひとり
45.眠れぬ真珠 石田衣良

丁寧な解説をありがとうございました。次回を鶴首の思いでお待ちしております。

因みに8月の読了(予定含)の本は
1)ワイマルのロッテ(上)(下):トーマス・マン/望月市恵;岩波文庫(赤)
2)平城京再現:奈良国立文化財団研究所/監修 坪井清足; 新潮社(再読)
3)折口信夫全集24巻:折口博士記念古代研究所; 中央公論社・・・読みさし
4)鬼の復権: 萩原秀三郎 ;吉川弘文館・・・・読みさし
5)20世紀SFB1960年冬のマーケット: 中村融、山岸真編;河出文庫・・・読了予定
Posted by 羅喉 at 2006年08月16日 20:21
まったくもってコメントへの返事がどんどん遅くなってしまい、申し訳ありませんです、羅喉(こっちが正しいんですか。記事では羅候にしちゃいました。すみません)。

わざわざ分類していただきありがとうございます。参考になります。

 ところで一言付け加えるならば、
もし『いまどきの「常識」』なんかを読む暇があるならば、ぜひ「陰日向に咲く」を読む気になっていただきたいなと個人的には思います。

 (3)に分類された本は上の一冊を除いて羅喉さんが「絶対読まない」と宣言されても僕自身別に惜しくもなんともないですが、「陰日向」だけは予想外の出来で意表を突かれた作品でした。

 なお羅喉さんの8月読了本の中を僕なりに分類すると、
(1)一冊もなし
(2)「平城京再現」
(3)「折口信夫全集24巻」
かなぁ。
Posted by エラリー at 2006年09月03日 00:57
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