2011年06月30日

魔女の隠れ家 ディクスン・カー(2011/5/10読了)

 アンリ・バンコランが探偵役をつとめるカーの初期の作品群は、処女作の「夜歩く」を別にすれば、あまり読み返したいとは思わない。それは、陰鬱な雰囲気に満ちた怪奇趣味の犯罪を解き明かす主人公が、その雰囲気の一部をなすかのように、皮肉屋できどっていて、性格もあきらかに暗いからだ。事件関係者に対して、超然たる態度を見せつけたいという欲求からか、決して打ち解けず、”スノッブ”の一言につきる。

 その上、同僚である刑事たちを信用せず、あからさまにみくだすシーンが「夜歩く」でも見られた。これは、クイーン警視が部下たちを叱咤するのとは全く異なる、陰険な仕打ちにみえる。おまけにワトソン役で語り手でもある「私(ジェフ・マール)」自身が、バンコランの打ち解けないかたくなさに何度も辟易としている。それでいて、いつも正しいのはバンコランの方なのだから、周囲の人々はやりきれない思いを抱えながら、この扱いにくい上司の下で働いている。

 それと比べると、この「魔女の隠れ家」で颯爽と登場するフェル博士の、快活で人なつっこい性格の気持ちのよさは格別だ。おそらく当時のミステリーファンは「こんな探偵を待っていたんだ」と、おもわず喝采したに違いない。いや、カー自身がこんな探偵を描くことを待ち望んでいたような節が見られる。バンコランに見下されるのにうんざりしていたのは、なにもマールだけではない。僕ら読者も、そして作者さえも同じなのだ。そして、「探偵より推理能力が劣っている」という条件が求められるワトソン役をこなす青年は、ジェフ・マールから本作のランポールにバトンタッチする。

 さて、作家が一人の陰鬱な探偵をリストラした理由は、それだけだろうか。おそらくミステリーの舞台を「パリからロンドンへと変えた」事が理由の一つになっている。一方でパリの社交界に出入りできるセレブを必要としたが、他方ではロンドン近郊をすまいにしながらも、田舎じみたイギリス郊外の事件に多大な関心をもって詮索する探偵を必要とした。その探偵は、野趣に富んだ田舎のスタイルにとけ込む豪快な人物でなければならなかった。しかし、それだけで理由として充分だろうか。

 いやいや、バンコランという探偵は、華やかなパリという都会が形作る闇の世界に蠢く悪魔的な事件を描くために生み出されたヒーローだった。彼自身が闇の世界にとけ込み、悪そのものと対峙することさえも辞さない、ダークなヒーローでなければならなかった。カーの初期の考えでは、おどろおどろしい怪奇趣味は、そういうあざとい手際を導入しなければつくりえなかったのだろう。ところが、バンコランという探偵で何度か試してみるうちに、ある確信がめばえた。どんなに奇怪で超自然的な、あるいは魔術的な事件が起きようとも、探偵は迷信になびいてはいけない。事件にかかわりながらも、かかわりすぎることをよしとせずに、超然として安楽椅子に座り続けることが最善である、と。

 そういう探偵像こそが、カーの描きたかった幅広いドラマを受け止めることができる。ときにドタバタあり、ときに因習に彩られた歴史ミステリーあり、そしてさらには色恋沙汰さえもある。そのどれに対してもフェル博士は動揺することなく、堂々と受け止め、あるべきところに送り返すことができる、豪快かつ繊細な人物として描かれる。そういった人物でありながら、唯一落ち着いてはいられない存在として、本作ではフェル博士の妻が控えめながら登場する。その実、妻自身がまともに語る事はない。この描き方に見覚えはないだろうか。後年、やはりどうしようもなく魅力的な人物でありながら、私生活の現場をあかすことが最後までなかった、世界一有名な探偵である「コロンボ」に引き継がれることとなった。

 ディクスン・カーは、自身が敬愛する作家チェスタトンをモデルにしたと伝えられるフェル博士を、最晩年まで描き続けた。だが、この愛すべき人物を名探偵に仕立てあげる意図が、当初からあったかは疑わしい。なにしろ登場第一作の舞台は、フェル博士が隠棲するリンカンシャーのチャタールという田舎だ。ロンドンから百二十数マイルというから、ひょっとするとホームズがロンドンのベーカー街に構えた事務所で依頼を受けて、半日がかりでかけつけるような、まさにロンドン郊外の田園風景と同じと言えるかもしれない。

 そのフェル博士夫妻の住まい、通称「イチイ荘」近くに、その昔、魔女が吊されたという「魔女の隠れ家」があり、隣接するようにチャターハム監獄のなれの果てがある。そして代々監獄の所長を受け継いだ当主の遺産を受け継ぐためには、正当な後継者が監獄の一部屋で夜を明かす習わしになっている。しかし、過去、何度か当主が明け方に死体で見つかったという。

 これが、たとえばクリスティが生んだ偉大な探偵の一人ミス・マープルであれば、なにも起こらない退屈な田舎の中にも、都会と同じくらいに複雑な人間模様が息づいていることを証明してしまうだろう。しかしフェル博士の謎解きの道具立ては、その村や町に古くから伝わる伝承を一つつらまえれば終わりというものではない。それゆえに、当初はフェル博士をシリーズ化する意図はなかったのではないかと想像できる。ところが好評のうちに読者に迎えられたフェル博士は、まんまと安楽椅子探偵としてのポストについてしまう。実際に動くのは、スコットランド・ヤードのベテラン警視ハドリーだ。この名コンビが誕生するには、まだ少し試行錯誤を尽くさなければならない。よって今回はハドリーの代わりに、無能に近い捜査官がでてくる。もっぱらフェル博士の頼りにするところは、アメリカ人青年ランポールだ。

 本書は、その後のカーの文章に見られるような、伏線をあちこちにちりばめる「わかりにくさ」がなく、カーの愛好家でなくても読みやすくてオススメできる作品だ。「皇帝のかぎ煙草入れ」という作品は、かのクリスティが絶賛したことで有名だが、実は本作にもトリックの点で「皇帝の…」と同じような仕掛けがなされている。いわゆる叙述トリックのような目くらましだ。この手法は、クリスティ自身が最も得意とする手際だっただけに、「皇帝の…」を読んだ際に「してやられた」とクリスティ女史は悔しがったのかもしれない。

 「皇帝の…」のトリックはなかなか見破られない。にもかかわらず、結末で謎が解き明かされた時の鮮やかな反転は、非常に心地よい。その「皇帝の…」に比べれば、本作のトリックはあからさますぎて分かりやすい。だが、その分かりやすい点も含めて、カーのその後の方向性を形作るエッセンスが味わえる点で、非常におもしろい一作だ。
posted by アスラン at 06:56| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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