2006年06月30日

殺しの仮面 ヴァル・マクダーミド

 翻訳ものを読むときの常としてなかなか文章が頭に入らないということが時々ある。生活や文化に馴染みがないせいで描写が妙によそよそしい。登場人物の名前が覚えられない。以前読んだ本でずっと女だと思っていたらだいぶ読んでから男だと気づいた時にはつくづく言葉の壁は大きいと思った。

 特に出だしでつまづくといつものように快調に読む際の一種の無我の境地(などと高尚なものではない、単に何も考えないだけ)に達するまでは、ひたすら一文を読んだら意味を考える、わからなければ前に戻るというヨチヨチ歩きを覚悟しないといけない。まあ早いとこ快調なペースをつかむには後戻りしないでとにかく前進あるのみが原則なんだが…。

 本書の出だしもなかなか文章が頭に入らない気配があったが、少し読み進めたら慣れてきたのかさくさく読めた。ちょっとつまずいたのは初めて読む作家だったことがある。さらにシリーズものの途中(三作めかな?)から読んだので登場人物の誰が主役で常連は誰かという見取り図が頭の中に出来ていなかったせいだと思う。

 もう一言言っておくとしたら訳文のせいもちょっぴりある。翻訳が悪いという意味ではない。訳はすごく丁寧で分かりやすい。きちんと訳そうという姿勢が伝わってくる文章だ。しかし欲を言えば曖昧でもいいからキレがある文章だともっとのりやすい。つまりは読書のスタートダッシュと文章(訳文)とは密接な関係があるのだ。

 まあ今回、シリーズ途中から読む事になったのは友人から本をいただいたこともあってのことだ。僕は登場人物に過度の感情移入をしてしまう方なので、できれば第一作から順に読んでからの方が心情を理解しやすかっただろう。

 というのも主役である優秀な捜査官キャロルと精神分析医兼プロファイラーのトニーという二人の関係が、想像するにいつも以上に微妙な形で描かれていると思われるからだ。

 そもそもが主役不在で物語が進行し娼婦連続殺人事件が起こってもキャロルは姿を見せない。一方のトニーは積極的にキャロルと関わる性格ではないらしくかなり内省的な遠回りをしながらキャロルを支えていくことを決意しているようだ。だから不在のキャロル以上に彼の心理描写および行動は微妙かつ曖昧だ。いったい二人の絆の強さもしくは曖昧さは何によるものだろう?

 もちろん今回の二人だけでなく周囲の人間関係自体に不穏な空気と分かりにくさが漂っているのは、前作でキャロルがレイプされた事と無関係ではない。そういう意味では僕は最悪な入口を選んでしまったかもしれない。

 しかも読んでいけばいくほど、これまでのシリーズでたどってきたであろう二人の関係が物語るところが多すぎて、微妙な感情についていけない。この二人の間には単なる恋愛感情以上のとてつもない経緯があるはずだ。

 キャロルが上司に言い含められてリーダーとして復帰したチームにはなんとも個性的な顔ぶれが揃っている。これは好意的な言い方で、正直に言えばこんな問題児ばかり抱えているチームがきちんと機能して難事件を解決するなどあり得ない。

 例のテレビドラマ「24」ならば、あざとい設定や人間関係が凝縮しすぎていてもそういうねらいのドラマだから許せるが、これはシリーズの警察物なのである程度警察機構をリアルになぞっていると感じさせるにも関わらず、トラブルの種を抱えた人間が同じ職場に多すぎる。なのにこのチームこそが迷宮事件を扱う特別編成のチームなのだ。

 図らずも「24」を引き合いに出してしまったが、実は著者は「24」ばりの設定を持ち込もうとしている。ドラマとちがうのはそれが意外でもなんでもなくて結構わかりやすい仕掛けだという点だ。正直ミステリーとしてはネタバレしやすい作品だ。

 ただ作者の興味はミステリーそのものよりも、魅力的なヒロインの人生最大の躓きをどう回復するかにあるのは確かだ。その意味では読み応えはある。ただし最初に書いたようにトニーとの関係をふまえた上でないと、終盤近くまで絶不調の名探偵の物語につきあわされるのは正直言えば辛い。

 読後知ったのだが、作者は筋金入りのフェミニスト・レズビアンだそうだ。この二つが並び立つ立場があるというのも恥ずかしながら初めて知った。たしかに男性陣の心理描写がやや冷ややかだったり、女性への視線が同性に対する共感以上の過剰さがほのかに感じとれなくもなかった。

 なるほどトニーとキャロルの仲が曖昧なのは、レイプというフェミニストの著者にとって格好な社会的題材にキャロルを相対させる事で、男顔負けの闘士だったキャロルの中に隠された女性としての資質にレズビアンの傾向を付け加えようとしているからなのかもしれない。

 だとすると微妙なのは二人の関係ではなく、著者の立場を色濃く反映した語り口ということになりそうだ。

 余談だが、作品中「バウンド」という映画について「その手の映画としてレズビアン仲間に有名」と書かれていて、ちょっとショックを受けた。

 この映画は「マトリックス」でブレイクする前のウォシャオスキー兄弟の撮った作品で、結構好きな映画だった。確かに二人のヒロインがレズビアンの関係になり、二人の愛情を優先してギャングたちからお金をせしめようとする映画である。

 僕はレズビアンの関係でも人間関係の一つと見てしまうから、作者がそういう傾向を持っているかどうかはあまり考えない。あれが「その手の映画」だという見方ができる事を否定はしないが、そういう理解だと抜け落ちるものが多いのではないかと思ったのだ。しかし最近ウォシャオスキー兄弟自身が女性性を持ち合わせているという事を知り、改めて自身のウブさを思い知らされた。抜け落ちているのは僕の方だ。

 同様の事が本書についても言える。著者の立場や傾向から作品を読み解けば見過ごしていたものが視野に入ってきそうだ。しかし所詮はエンターテイメント。シリアルキラーやサイコを核に据えたミステリーである限りは深追いは禁物だ。

 サイコで飛びきり残酷な殺人が起こるミステリーを好んで読むのは女性だと最近耳にした。本書も主人公たちの人間ドラマに主眼があるとは言え、ファンにお約束のグロいシーンは用意されている。例えば犯人の目を通した被害者の描写が克明で、しかも被害者側の独白が延々と続くところが結構こたえた。僕にはちょっと消化不良を起こす内容だったようだ。
(2006年4月22日読了)


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posted by アスラン at 12:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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