2006年06月20日

偶然のラビリンス デイヴィッド・アンブローズ

 初めて本書の事を知ったのは何でだったか。もう忘れてしまったが、たぶんミステリーのベストテン紹介本で見かけたんじゃないかと思う。そのときから「驚天動地のエンディングだ」とか、「いやトンデモ本に入れるべきだ」とか、何かとかまびすしい議論の対象になる一冊だった。

 トンデモ本の作家である事を証明するかのように立川図書館では著者の作品は「迷宮の暗殺者」しかない。川崎図書館はさすがに何冊か置いてあるが、いずれの図書館も本書を蔵書にする気はなさそうだ。

 調べて借りられないとなると一層読みたくなるのが人情というものだ。以後、古本屋に立ち寄るたびに探していた。だから古本チェーン店ではなく町の小さな古書店で見つけた時は嬉しかった。早速購入した次第だ。

 主人公の作家は遠く離れた老人ホームに暮らす父の死を知らされる。父の私物を整理すると幼少の自分が一組の男女と一緒に写っている写真と、その男女が当時売りだし中の映画俳優で夫婦だという新聞の切り抜きが大切に残されていた。

 問題は写真の中の自分が物心ついたはずの年齢に見えるにも関わらず、彼らに関する記憶が一切ないという点だった。さらには何故父がこんな写真を大切にとっておいたか全く心当たりがないのだ。

 この魅力的ではあるがしかし月並みな導入部から、主人公は怒涛のように偶然の迷宮にからめとられていく。例えば写真の男優がジェフリー・ハートという名前であり、その名前の事が頭から去らないで街を歩いていると、ハートのエースのトランプが落ちているのに気づき、つい拾ってしまう。しかも数ブロック歩き続けて説明のつかない偶然を見つけてしまう。ケーキ屋の店頭にバレンタインデーでもないのにハートのエース型の砂糖菓子が飾られていたのだ。

 これは、いわゆるシンクロニシティ(共時性)というやつだ。日本語の予定調和と同義だろうか。何か頭を離れない話題を抱えていると、何気なく見た雑誌やテレビで同じ話題を取り上げていてビックリするという誰でもおなじみの経験だ。この程度なら驚くには値しない。偶然だと笑い飛ばせるかもしれない。しかし主人公にはさらなるシンクロシティが次々と訪れる。そして決定的な偶然に遭遇するのだ。

 写真の俳優夫婦は映画で名を成すことは出来ず数本の映画に出演したのち、ほぼ無名のまま生涯を終える。ところが主人公が気にしだしてからまもなくテレビの深夜番組で数少ない二人の出演映画に出くわしてしまう。見ると写真の男女の服装も背景に写っていた家も映画のワンシーンである事が判明するのだ。

 おなじみの経験にも関わらず偶然が重なりすぎてとうていあり得ないように思える。ここまでくると何か神の手が働いて帳尻を合わしているのではないか。つい、そう考えてしまうのも無理はない。 

 同じ事を「図書館の天使」とも言うらしい。なにか特定のテーマについて調べ物を始めると、それに関連した本や情報に次々と出会うという事を指した言葉だそうだ。それは近くにいる目に見えない天使が耳元で囁いてくれるからなのだ。あのヴィム・ヴェンダースの名作「ベルリン・天使の詩」をメグ・ライアンとニコラス・ケイジ主演でリメイクした「シティ・オブ・エンジェル」では図書館を憩いの場にしている天使たちが描かれていたが、そういう暗合があったわけだ。

 それはさておき、このシンクロニシティという神秘的なテーマをこれでもかというくらい盛り込む事で、眉に唾をしていた読者である僕ら自身も迷宮の深みにズブズブと呑み込まれていく。著者の思うつぼだと分かっていながらも深みに足を踏み出す事を止められない。とにかく面白いのだ。

 これを前に紹介した本「確率とデタラメの世界」流に数学の観点から考えると「幽霊の正体見たり…」という話になるのだが、せっかくだからここで紹介しておこう。あの本の書評では取り上げなかったが「超大数の法則」という考え方がある。「どんなに起こりえない事でも十分大きな回数を試行してみれば必ず起きる」というものだ。もしくは「どんなに起こりえない事でも対象が限りなく多ければ、かなりの確率で起きやすい」とも言う。

 これは宝くじを何度も当たる人の確率を考えると分かりやすい。ある人(例えば自分でもいい)が宝くじに3回あたる確率は限りなく0に近い。だからこんな事は起こりえないと思いこんでしまうが、それはアプローチを間違えているのだ。宝くじを買う人はとてつもなく多い。だから宝くじを買っている人の中から宝くじが3回当たるという確率を考えると非常に小さいかもしれないが、直観で思いつくほどは確率は小さくない。

 よく30人程度のクラスの中に同じ誕生日がいるという事はあり得ないと人は思いこむが、それは自分と同じ誕生日の人間が同じクラスにいる確率と取り違えているのだ。実は23人以上のクラスなら同じ誕生日がいる確率は50%を越してしまう。40人以上だとなんと90%を越すのだ。

 この「超大数の法則」を有効に使えば、シンクロニシティのほとんどは人間の単なるあやまった直観に過ぎないという事になるかもしれない。もちろんことはそれほど単純ではないから、本書のような題材の本が後を絶たないのだろうが…。

 さてこのあと、主人公には思いもかけない運命が待ち受けている。それは読んでいる読者にとっても口があんぐり開くほど唖然とさせられる運命だ。だからこそ「トンデモ本」と言われる所以である。正直ミステリーとしてのオチをどこかで期待していた僕としては、肩すかしがどこかで肩すかしではなくなるクライマックスがあるのではと最後の最後まで疑っていた。

 しかし例えば折原一の「教室シリーズ」のようにスリラーでありながら最後の最後にミステリーとしての犯人をきちんと用意していて、それがどんなにばかげていたり犯行が人間ワザでないと突っ込みのいれどころがありすぎるとしても、過程が楽しめる本と納得できるならそれも一つの作品の楽しみ方だと思う。

 本書もそうだ。口あんぐりの運命に一時的にせよ肩すかしを食ったとしても、著者はそこで読者を立ち止まらせるような下手を打ってはいない。さらに迷宮に迷宮を上塗りするかのような深みを用意している。それを楽しめさえするならば、これがミステリーではないと分かったところでたいしたことではないではないか。
(2006年5月12日読了)


参考
 デボラ・J・ベネット「確率とデタラメの世界 偶然の数学はどのように進化したか」


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posted by アスラン at 15:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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