よく耳にする「偶然か必然か」という哲学的な議論の深みに主人公と読者である僕はははまりこむ。
「偶然とは原因なしで起こる事ではなく原因が隠されているだけだ。すると偶然は必然の別名である。」
さらに主人公は独白する。「コインの表か裏がでる確率は1/2。ところが1000回コインを投げると表がほぼ500回出る事が当たり前だと思っている人が多いが、これは実はパラドックスだ。」と。僕はハタと考えこんでしまった。
確かに僕らは1000回投げて500回表が出るから表がでる確率は500/1000=1/2と考えがちだが、理論としての確率は一回ごとのコイン投げで表裏どちらが出るのも1/2だとしか言ってないのだ。つまりコイン投げの積み重ねがどうなるかは説明されていない。これが当たり前の事になるためには「大数の法則」が必要だ。これは試行(この場合はコイン投げ)を数多く行うと経験的確率は理論的確率値に近づくというものだ。なるほど、そうなのか。
要は未だに僕は偶然とは何かを知らないし、確率とは?デタラメさとは?なんにも分かっていない事になる。例えば本書の第一章でこんな問題が例として挙げられる。
(a)ある町のタクシーはグリーン社の緑の車が85%、ブルー社の青の車が15%の割合。
(b)ある夜タクシーが事故を起こし目撃者は青の車だと証言した。実験したところ、二つの色を正しく識別できる確率は80%、間違える確率は20%。
では事故を起こしたタクシーがブルー社のタクシーである確率はどのくらいだろうか?
80%だと思う人が多いのではないだろうか?正解は41%なのだが、僕自身正解にたどり着くまでにえらく頭を悩まされた。しかし一方でなんで数学の問題に知恵を絞らねばならないのか疑問が湧いてくる。僕が知りたかったのは偶然の意味なのだから。
本書では、偶然を理解するために「何故人は偶然に頼るのか」というアプローチで偶然の意味を考える。人にとって「ランダムに選ぶ」事がいかに重要とされてきたかをたどり、でたらめさ(ランダムネス)をどのように理論づけて有効な手法へと活用するに至ったかを見ていく。
もともと人が偶然に頼るのは人間が介入する可能性を排除して公正さを実現するためだった。その手続きこそが「神の意志を知る」ことだったのだ。そして人はサイコロやジャンケン、クジといった素朴なメカニズムを発明する。
くじやジャンケンは思ったほどには公正ではない。そこで人為が入り込まない極めて精緻なメカニズムが考えだされた。「占い」である。本書では筮竹64本を使った六十四卦の巧妙な手続きを紹介しているが、実は「偶然のラビリンス」でも六十四卦が重要な役割を果たしている。まるで本書を参考にして書かれたかのようだ。
そして「神の意志を知る」事からギャンブルへとサイコロなどの偶然を発生させるメカニズムが利用されるようになると、勝ち目がどの程度あるのかが人々の関心の中心となっていく。それに答えるために確率の理論が考え出されていく。
面白いのは確率の理論と人間の心理的直感とは相反する事が多い事だ。例えばギャンブルで負けが続くと「そろそろツキが向いてくるはずだ」と考えたことがないだろうか。しかし著者は確率の考え方に誤解があると言う。偶然は自動修正するものだと人は考えやすい。一方に偏ったとしてもすぐにもう一方へ偏って打ち消しあうのだと考えがちだ。しかし実際には、短期的には偏りは修正されない。長い目で見たときにのみ偏りは小さくなっていく。これが先ほど書いた「大数の法則」によるものであり、「そろそろツキが変わるはず」という直感にはなんの根拠もないのだ。
ギャンブルの勝ち目を計算する理論として始まった確率は、やがて測定誤差を最小に抑えるための理論として発展し、統計というジャンルが確立する事になる。本書の後半は誤差理論から見いだされた正規分布の話や、正規分布を利用して逆に統計的推定を行う話など、より数学らしい話に近づいてくる。その意味では次第に面白みも薄れてくると言える。
最初「偶然とは何か?」を知りたいと思って読み出したのだが、何故か行き着いた先は「偶然は測定できる」という結論になってしまった。統計という数学の話としてはもちろんそれでいいのだが、やはり素人の立場からは偶然が人間にとってどういう意味なのかを考え続ける方が夢があるし、何より面白そうだ。
(2006年6月1日読了)



