2006年05月15日

あの「フェルマーの最終定理」が帰ってくる!(電車でカフェ気分)

 本好きが集まると「最近なに読んだ?」とか「面白い本ない?」とか聞きたがる。聞く方は気楽だが聞かれた方はけっこう悩ましい。いずれも日々いろんな本を読んでいるから紹介する本はありあまっていそうだが、自分が面白くても他の人が読んで面白いと思うかをまじめに考えだすと、無条件でオススメできる本というのは意外と少ないのではないだろうか。

 例えばの話、僕は漱石フリークで漱石の小説はすべて読んでいる。だから漱石を読みたいけどオススメはと言われるといろいろ回答はできるのだが、もし冒頭にあげた「面白い本ない?」と言われて漱石の「明暗」や「それから」をすすめる気にはなかなかなれない。それに漱石ともなると本好きならば一度は経由する道であると思うので、放っておいても定番の「こころ」以外でも何かしら読むだろうなどと先読みしてしまう。だから漱石をあえてオススメはしない。

 ただし「漱石を読みたい」という嬉しい言葉を聞いたら、二通りの回答を用意している。まだ一度も読んだことない初心者には「こころ」だなんて無粋な事を言わずに「坊っちゃん」なんて気のきかない事は言わず、迷わず「三四郎」と答える。何故?と聞かれたならば、いつの世でも通用する青春小説だからと言う。

 そして漱石の「こころ」も「それから」も「明暗」も読んだけど面白いねぇと言う人には、まだまだ甘いよもっと深いよ漱石はと言う意味で「坑夫」をオススメする。何故と説明するのは簡単ではない。でも読んでもらえば発表当時は評価されなかったにもかかわらず、いま読むと面白い事は本好きならばわかってもらえると思う。

 しかし一方で現代は純文学というジャンルで語るよりもエンターテインメントの面白さを語ることが優先する。いまさら漱石や鴎外でもないだろう。太宰も三島も川端も違う。両村上でもばななでもなく、それこそリリー・フランキーだったり伊坂幸太郎だったりするのかもしれない。どうも小説はオススメしにくい世の中かもしれない。

 そもそも僕は小説をあまり読んでない時期があった。中学や高校の多感な時期はそれこそ代表的な小説を読んできた気がするが、徐々に自分の存在や他人の存在しいては世の中の仕組みについてばかり考える事が多くなって、高校の後半から大学生の時期は、ポストモダン思想や精神分析関係の本あるいは言語論ばかり読んでいた。小説はなんとなく自分の中で嘘くさくなり、相変わらずミステリーの世界に逃げ込むか、もしくは現実の面白さをとりあげたノンフィクションばっかりを読んでいたと思う。

 この傾向は今でも変わらず、書店で新刊を物色する際も、言語論や現代思想や批評の本から見て、ノンフィクションを見て、ミステリーを見て、最後に小説を見るというような順序(もちろん書店の陳列によるが気分的はこの序列が生きている)になる。

 ではノンフィクションというと結構オススメしたい本があるだろうと言われそうだが、今僕の頭に中に浮かぶのはただ一つである。

 サイモン・シン「フェルマーの最終定理」

 副題に「−ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで−」とあるようにイギリスの若き数学者ワイルズが300年前に大数学者フェルマーによって提示された定理の証明をやり遂げた数学界の大事件を描いたノンフィクションだ。

 これが何故面白いかを書き出すと止まらなくなってしまうのでここでは簡単に言っておく。

 例のピタゴラスの定理「X^2+Y^2=Z^2を満たす整数解X,Y,Zが存在する」から派生した難問があって「X^n+Y^n=Z^n(ただしnは3以上)を満たす整数解X,Y,Zが存在するか?」という問いに対して、そんなものはないと言う回答をしたのが17世紀の数学者フェルマーだった。

 ところがフェルマーの回答は遺稿から見つかったもので、しかも証明が書かれていない。ただ「証明したが余白がないので、ここには書かない」という記述があり、それが後の数学者たちばかりかアマチュア数学者たちを悩ます大問題となる。要するに誰一人フェルマーが成し遂げたという証明ができないのだ。

 僕がこのエピソードを知ったのは高校の時にたまたま取った「整数」という授業で、教材に使ったモノグラム「整数」の小さなコラムに書いてあった。(残念ながら今も出版され続けているモノグラムの改訂版にはコラムは削除されてしまった。)

 整数(数論)という数学の一ジャンルが美しくて魅力的なのは、小川洋子「博士の愛した数式」を読んだ人なら分かってもらえると思う。当時受験勉強に追われていた高校生の僕は、このコラムのエピソードに非常にロマンを掻き立てられた。

 それがついに証明された事も胸躍る事件だったが、この事件が同時に様々な「歴史ドラマ」「人間ドラマ」を抱え込んでいた事に気づかせてくれたのが、先ほどの本だったのだ。しかもサイモン・シンという著者は数学が専門でありながらBBCのプロデューサーの経歴を持ち、素人に分かりやすくこの大事件にまつわるドラマを描ききっている。つまり数学が苦手な人も十分楽しめる内容になっているのだ。

 そして、この本が6年ぶりに文庫になって帰ってくる。あの感動をもう一度味わうことができるし、この機会にもう一度みんなにオススメする事ができるのが何よりうれしい。予定では今月末。価格は850円とのこと。

 ちなみにサイモン・シンの著作は、この他に「暗号解読」がある。あのエニグマのエピソードもあるが、「フェルマー…」同様、ロゼッタストーンから始まる歴史ドラマ人間ドラマになっていて面白さは変わらない。

 さらにうれしいことに6月には最新作「ビッグバン宇宙論」が刊行される。今度は宇宙の謎についてどんなにドラマチックな内容を紹介してくれるのか今から楽しみだ。

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posted by アスラン at 01:58| Comment(7) | TrackBack(0) | 日記(電車でカフェ気分) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「こころ」も「それから」も「三四郎」は読みましたが、「明暗」と「坑夫」は未読です。エラリーさんのお勧めである「坑夫」を読んでみようかな。
実は、今読みかけているのが、漱石の門下生の内田百蠅痢峇嵌瓦韻亮尊澆亡悗垢詈幻ァ廚納,貌匹猴縦蠅砲靴討い襪里?⌒[]个痢屬錣燭靴慮朕夕腟繊廖丙9后砲覆里任后?

いつか漱石話聞かせてくださいね。
Posted by 羅候 at 2006年05月15日 08:37
内田百けんの「けん」の文字が化けています(滝汗 ごめんなさい。以下化けた部分を書きこみます。

内田百けんの「まぬけの実在に関する文献」で、次に読む予定にしているのが、夏目漱石の「私の個人主義」(今更)です。

と書いていたのですが・・・本当にごめんなさいね。
Posted by 羅候 at 2006年05月15日 08:41
 羅候さん、コメントありがとう。

百けんの「けん」はJISコードには存在しないんですよね。それで化けたんだと思います。
百けんはまだ一冊も読んでないのでちょっと不勉強ですね。

「私の個人主義」は非常に漱石らしい文章です。メッセージっぽくないんだけど学生の前で自らの生き方を説明したもので、生き方という大上段なものではなくてライフスタイルとでも言ったらいいのか、とにかく漱石の口ぶりが飄々としていて愉快です。

 漱石話で思い出した。

 図書館で森田草平の「夏目漱石」を見つけたので読もうと思ったんでした。森田は小宮豊隆とならんで漱石の一番弟子っぽい存在ですが、不出来な弟子として不始末ばかりしでかしています。

 そのせいか漱石を非常に慕っていて、緻密な批評家の目を持っていた小宮の「夏目漱石」とは違って、評伝として読んで楽しい「夏目漱石」を書き上げたようです。
Posted by エラリー at 2006年05月17日 00:36
丁度読み終えた本には、森田草平についての話が書かれていました。解説はお二方いらして、うち一人は小宮豊隆さんだったかな。
読んで面白い本でした。

明日(今日?)から、「私の個人主義」を読み始めます。
Posted by 羅候 at 2006年05月18日 01:07
 羅候さん、コメントの返事が遅くなってしまいました。

 「私の個人主義」はどうでしたか?なんか漱石の学生に対するユーモアが出ていて楽しくなかったですか?

 こちらはそろそろ森田草平「夏目漱石」を借りようかと思っていますが、それにはまず目先の借りている本を読み切らないと。がんばります。
Posted by エラリー at 2006年05月28日 13:54
私は、内田氏の漱石に対する、崇拝ともとれる敬愛の念に触れるのが大好きです。で、恐らくは森田氏とりも小宮氏の方に親しみを覚えるのではないかと思われます。
私は、至って面白みのない人間です。はい。

私の個人主義は、読みやすかったですね。今まで、少しだけ、論文を読んだだけでしたので、これを機会に漱石の講演、講義、論文、解説などにも手を出し始めようと思いはじめました。小説よりも面白いかもしれませんね。
Posted by rago at 2006年06月03日 08:39
 漱石のうちに出入りする門人が多くなりすぎて木曜会という名の集まりをつくって、木曜の午前中のみお宅を訪れてよいという約束事を作ってから、森田氏も小宮氏も漱石の一番弟子のつもりで入り浸るようになります。

 漱石は可愛いと思う反面、少々やっかいだとも思ったのではないでしょうか。彼らのやることが漱石を崇拝するあまりに実像以上のイメージを喧伝させようとしている姿勢をもてあましたり、逆に師と言えども弟子の立場で作品などに辛辣な批評を加える事もあってわざわざ真意を説明したりしなければいけない事に、疎ましさがなかったわけではないと思います。

 反面、漱石は才能ある人への目配せは非常に暖かいものがあって、吉田寅彦の文才を高く評価しています。内田百間や芥川、久米などは遅れてきた弟子筋ですからしがらみがなくて純粋に若い弟子へ愛情を持っていたようです。弟子の方も単に漱石を一途に崇拝するというところの暖かさが感じられます。
Posted by エラリー at 2006年06月11日 14:17
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