2012年03月11日

「明るい館の秘密(若島正)」の過失(その2)(2012/2/24改訂)

(この記事では、アガサ・クリスティー著『そして誰もいなくなった』のネタバレを行っています。未読の方は読まないようにお願いします。)

 今回は小論「明るい館の秘密」で著者・若島正が行った『そして誰もいなくなった』の分析について詳細に検討する。その前にまず、『そして誰も…』とはどんな作品であるかをおさらいしておこう。

 ミステリーの女王アガサ・クリスティが世に送り出した100以上の作品の中でも一、二を争うほどに有名な代表作である。ストーリーの性質上、ポアロやマープルなどの名探偵は登場しない。

 大富豪の邸宅があると噂される孤島に10人の男女が招かれる。リゾート気分を満喫できると思って集まった彼らを待ち受けていたのは、謎の富豪の声による、過去に彼らが犯した罪に対する糾弾と死の宣告だった。彼らは次々にマザーグースの童謡の見立てどおりに殺されていく。島には彼らのほかに誰も隠れていないとわかり、残された人々は疑心暗鬼に陥る。最後に残った一人が異常な興奮状態の中で自ら命を絶ったことで、ついに島には「誰もいなくなった」。

 だが、漁船が拾い上げた瓶に封じ込められていた手紙には、ウォーグレイブ元判事の告白が綴られていた。判事は長年の判事人生で出会った「法律では罪を問えなかった人々」を自らの手で断罪する事にした。判事は、島で出会ったアームストロング医師を欺いて、自らが死んだように見せかけて真犯人に罠を仕掛けるという偽の計画に協力させる。判事のたくらみによって、判事の見せかけの死後、生存者は彼らの中に犯人がいると思いこみ、アームストロング医師も判事にだまされたまま殺害される。引退して悠々自適のはずの判事が犯罪を犯すにいたった動機は、不治の病で余命わずかと宣告されたためだと手紙の最後で初めて読者に明かされて、物語は幕を閉じる。

 あらすじからわかるとおり、『そして誰も…』は2つの部分から構成されている。一つは、一人また一人と殺されていくスリラーの第一部であり、その後の第二部では、犯罪が完結して誰一人残らなかったトリックのタネが明かされる。ここでは、第一部のスリラーとはうってかわって本格ミステリーらしくきちんとした辻褄を犯人自らに語らせるという趣向の面白さが際だっている。

 しかしどちらかというと、第二部はミステリーとしての辻褄合わせの意味合いが強く、第一部の強烈なスリルとサスペンスには勝てない。クリスティー文庫の新訳の解説でも赤川次郎氏は「エンターテイメントとしてのミステリー」の傑作だと言い切っている。

 その言葉どおり、作者は本編でもっぱらスリラーの演出に力を注ぎ、犯人を指摘するための手がかりをあまり与えようとはしていないというのが、大方の読者や批評家の印象のようだ。これに対して、若島正は『明るい館の秘密』の中で登場人物の心理描写に着目すれば、作者クリスティが仕掛けた「叙述トリック」の存在があきらかになり、犯人が誰かも解読できると主張した。つまり第一部でクリスティは読者に対して十分にフェアな手がかりを与えていると、従来の大方の印象とは異なる持論を展開したのだ。

 若島が分析に使用した「登場人物の心理描写が描かれている3カ所」を以下に示す。

@登場人物たちがインディアン島におもむく導入部(1-1〜8)
A4人が死んで、残りの6人の心理描写が特定されずに列挙される箇所(11-6)
Bさらに一人死んで、残り5人の心理描写が特定されずに列挙される箇所(13-1)


 この3カ所で著者が主張するポイントは以下のとおりである(分析の都合から便宜的に5つに分類した)。

(a)この箇所には、叙述トリックが仕掛けられている。言い換えれば、ある人物(=犯人)の心理描写において、読者の誤読を誘うような書き方がしてある。
(b)その誤読を正せば、犯人以外の登場人物たちの心理描写との比較から、いかにそれが書き分けられているかがわかる。
(c)AおよびBでは、特定されていない心理描写が、その言葉遣いなどに注目すると、誰の心理描写かがすべて特定できる。
(d)誰の心理描写か特定できた後で読み直せば、舞台裏で進行しているある計画の姿が見えてくる。
(e)そこでも、犯人を推定することは可能である。つまり、小説全体は論理的に構築されている。
(注)(a)(b)…の記号は便宜的に付与した。


 この若島の主張が正しいか否かを検討するにあたって、前提条件を確認しておこう。

・分析者は初読者とする。初読者は犯人の名前も犯人のトリックも、以後の事件の経過も、結末も知らない。
・分析者は、再読者から『そして誰もいなくなった』には「叙述トリック」が存在する事を耳打ちされているものとする。
・再読者から耳打ちされた叙述トリックとは、「登場人物の心理描写にはすべて本当の事が書かれている」という事である。
・叙述トリックが仕掛けられた箇所として@〜Bに注目するように、初読者はあらかじめ教えられている。
・分析者は、分析する箇所(時点)までに知り得た事は分析に利用してかまわないが、それ以降に知る事になる情報は使えない。


 ここで注意したいのは最後のポイントだ。分析者は「叙述トリック」を耳打ちされた初読者であるというのが大前提であるが、実際には若島のような再読者が初読者の振りをして分析せざるをえない。そのため、分析者はついつい前提を踏み外してしまいがちだ。本当に既知情報だけで「犯人の推定」が可能なのかは、よくよく検討する必要がある。

 それでは若島の主張の検証にとりかかる。
若島が実際に小論で分析した心理描写は3カ所あるが、前述の5つの主張のうちの(c)以降はAおよびBに関するものなので、AとBをはじめに分析する。なにより著者は、AとBの分析に「ご執心」なのだ。僕としても@は後でじっくりと分析したい。

[Aの分析]
 11章6節(以下11-6)では、すでに4人が殺害されている。この箇所では生き残りの6人の心理描写が「誰のものだと特定されることなく」列挙されている。生き残りの6名とは、
ウォーグレイヴ(元判事)
ヴェラ・クレイソーン(秘書)
フィリップ・ロンバード(元陸軍大尉)
エミリー・ブレント(老婦人)
マッカーサー(元将軍)
アームストロング(医師)
ウィリアム・ブロア(元警部)

である。

 Aで列挙されている心理描写は、以下のA〜Fである。
A「次は?次は?誰が?どの人間が?」
B「うまくいくだろうか?どうだろうか。やってみる価値はある。時間さえあれば。まったく、時間さえあれば…」
C「狂信者だ、きっとそうにちがいない…。外見ではおよそ信じられないが…。もしまちがっていたら…」
D「狂っている−何もかも狂っている。気が狂いそうだ。毛糸が消えて−赤い絹のカーテンも−わけがわからない。さっぱりわからない…」
E「ばかな男だ、こっちの言葉をすっかり鵜呑みにして。ころりとひっかかった…。しかし、充分警戒しなければいけない」
F「あの小さな陶器の人形が六つ…たった六つ−今夜にはいくつになるのか?…」


 このように心理描写も6人分なので、それぞれが生き残りの6名の誰かに当てはまるはずだ。クリスティの原文にあたりたい方は、若島の小論で訳文と原文が併記されているので確認してもらうといいだろう。なお、小論の訳文(上記のA〜Fも)は翻訳家でもある若島自身の試訳だ。Bの分析で明らかになるが、若島はハヤカワ・ミステリ文庫の旧訳に不信感を抱いている。

 若島が最初に狙いを定めるのは、登場人物の口癖だ。Cの「狂信者だ」という非難めいた独白は、この場面に至るまでにブロア警部がエミリー婦人に対して何度も使っている。こういう口癖は叙述トリックの手がかりとしては重要だ。心理描写では人の口癖を真似る事はありえない。よってCはブロア警部である。

 Dの「毛糸が消えて」という部分は、編み物に用いる毛糸玉を指している。毛糸玉の所有者はエミリー婦人であり、彼女以外に毛糸玉に関心をいだく人物はいない。よってDはエミリー婦人である。

 Eの「充分警戒しなければいけない」という言い方は、ウォーグレイヴ判事の口癖だ。導入部@でも確かに同じ表現が使われている。よってEは判事だ。

 Eが判事の心理描写であるならば「ばかな男」はアームストロング医師を指すに違いないと若島は断定する。判事が二人きりで話し合う場面が描かれる相手はアームストロング医師しかいないからだ。しかし、この論拠はかなり怪しい。本格ミステリーファンであれば、即座に却下するだろう。書かれた事はすべて論理的に説明がつかねばならないが、書かれていないからといって「他の登場人物と二人きりで話し合ってはいない」とは言い切れない。そんな事を言い出したら、作者は犯人が犯行におよぶ殺害場面まで書かねばならなくなってしまう。「ばかな男」という表現が、判事が初対面の時に抱いた「医者はどいつもこいつもみんなばかだ」という印象と合致すると言うが、口癖とは違って根拠が薄弱だ。

 「ばかな男」がアームストロング医師であると若島が断定したがるのには訳がある。Eの「ころりとひっかかった」という心理には、次のような意味が込められていると解釈したいからだ。
ここで明らかになるのは、ウォーグレイヴ判事がアームストロング医師に嘘をつき、二人で何かの計画を舞台裏でひそかに進行させているという可能性である。


 つまり判事はアームストロング医師をだましているうえに、「なんらかの計画の片棒をかつがせよう」としているらしい。そう考えるとBの「うまくいくだろうか?」という心理描写は、判事にもちかけられた「計画」の成否を心配するアームストロングに当てはまる。まるで千里眼のような見通しではないだろうか。まさに再読者・若島は結末まで既に知り抜いている事を棚にあげて、自らを千里眼に仕立てている。

 Eの心理描写から判事が誰かをだましているのは確かだ。若島の言うとおり「何かの計画を舞台裏でひそかに進行させている可能性」を読み取るのも妥当な解釈だろう。だがEの心理描写だけで「二人で何かを計画している」と考えるのには無理がある。普通に考えれば、Eが単独で誰かをだまそうとしているとしか解釈できない。これこそが再読者・若島正の顔が出る瞬間だ。「二人による計画」という腹案は、結末での犯人の告白を判断材料にしない限り直接には出てこない。僕ら分析者は初読者であるから、慎みをもって千里眼を気取るのはやめにしよう。Bは未確定とする。

 ロジャースの死後、人形が1つずつ減っていくのを気にする役回りをヴェラが引き継いでいた事から、若島はFがヴェラの心理描写だと断定する。しかし、このような推論は口癖や物的証拠(毛糸など)と比べると根拠が弱い。状況証拠というか外延的な推論にすぎない。Fは保留とする。

 結局、(C=ブロア警部、D=エミリー、E=ウォーグレイヴ)の推定は妥当であるが、(A、B、F、ロンバート、アームストロング、ヴェラ)の対応関係は未確定のままに終わった。

[Bの分析]
 13章1節(以下13-1)では、Aの場面の6人のうちエミリー婦人が殺害されて、生き残りは5人となった。「特定されない心理描写」は五人分、列挙されている。

G「アームストロングだ…ちょうどあのとき、彼は横目で私を見ていた…あの目つきは狂っている…完全に狂っている…。医者ではないのかもしれない…そうとも、決っている!…どこかの医院から逃げてきた狂人で−医者のふりをしているのだ…。きっとそうだ…みんなに話そうか?…大声を出して?…いや、警戒させるのはまずい…。それに、彼は正気のように見えるだろうし…。何時だろう?…まだ三時十五分だなんて!…ああ、私も気が狂いそうだ…。そうだ、アームストロングだ…。彼は今、私の方を見ている…」

H「おれはやられないぞ!やられるはずはない…。何度も危い橋を渡ってきているんだ…。それにしても、ピストルはどこへいったんだろう?…誰が盗ったんだろう?…誰が持っているんだろう?…誰も持っていない−それはわかっている。全員、身体検査を受けたから…。誰も持っているはずがない…。しかし、誰かがありかを知っているはずだ…」

I「みんな気が狂いかけている…みんなそのうちきっと気が狂う…。死ぬのが怖くて…われわれはみな、死ぬのが怖い…。私だって怖い…。そうとも、だからといって死を免れることはできない…。<霊柩車が戸口に来ております。>どこで読んだんだろう。あの女…あの女を見張っていよう…。そうだ、あの女を見張るんだ…」

J「四時二十分前…まだ、四時二十分前だ…時計が止まっているのかもしれない…。わけがわからない…まったくわからない。こんなことが起こるはずはないのに…現に起こっているなんて…どうして目がさめないのか? 目ざめよ−最後の審判の日だ−いや、そんなばかな! 考えることさえできたら…。頭が−頭がおかしい−破裂しそうだ−割れそうだ…。こんなことが起こるはずはないのに…。何時だろう?ええっ、まだ四時十五分前か!」

K「正気でいるんだ…。正気でいるんだ…。正気でいさえすれば…。すべては明白だ…すっかり読めている。しかし、誰にも疑われてはいけない。うまくいくかもしれない。うまくいってくれないと!誰だろう?それが問題だ−誰だろう?きっと−そう、きっと−そうだ−あの男だ」


 Aの心理描写とくらべるとそれぞれの分量が増え、追いつめられた一人一人の内面がよく描かれている。クリスティのサスペンスの盛り上げ方はさすがというしかない。その一方で、作者は人物を特定できるような手がかりをどれだけ与えてくれているだろうか。若島は再び口癖から推論してゆく。

 Hの「何度も危い橋を渡ってきているんだ」と表現は、ロンバートの口癖だ。小説の導入部で最初に登場した際にも、ロンバートはまったく同じ独白をしている。Hはロンバートである。

 Jで「最後の審判の日」におののく人物は、ブロア警部以外に考えられない。若島が指摘しているように「審判の日」という言葉は、導入部でブロアと同じ列車に乗り合わせた「船乗りらしい老人」がブロアに向けて予言した言葉だった。悪趣味な冗談だと思って気にも留めなかったのに、ここに来て予言の通りになった自らの境遇に呆然としている。よってJはブロア警部だ。

 その次に若島は、Gはヴェラだと言う。なぜなら、以前ロンバートに誰が犯人だと思うか尋ねられて、「アームストロング医師が怪しい」と即座に答えていたからだ。だが、これは確定判断とは認めがたい。ヴェラ以外に「アームストロング医師が怪しい」と考えている人物がいない事が証明できていないからだ。よってGは未確定とする。ただし、Gはアームストロング医師でない事だけは言える。

 Kで「うまくいってくれないと」と心配している様子は、Bの「うまくいくだろうか」の繰り返しに見える。この部分は口癖ではないが、心理表現に統一感があるのでBと同一人物であるとほぼ断定してもいいだろう。ただしBが未確定だったので、Kも未確定になる。

 若島は最後にIを特定するためになんと消去法を用いている。だが、若島の分析と違って僕らの検証結果では一部の心理描写が未確定のままなので、Iの特定に消去法は使えない。Iに出てくる「あの女」とは、 女性で唯一生き残っているヴェラである事は間違いない。と同時に、Iはヴェラではない。

 結論としては、H=ロンバート、J=ブロア警部である事がわかる。(G、I、K、ウォーグレイヴ、ヴェラ、アームストロング)の対応関係は確定できなかったが、「K=B」および「Iはヴェラではない」という判断から、
 K=アームストロングorヴェラ
 I=ウォーグレイヴorアームストロング
 J=ヴェラorウォーグレイヴ
というところまでは分析可能だ。

 初読のミステリー愛読者がふつうに考えれば、ここまではなんとか読み解けるのではないかと思う。しかし、論理的かつフェアに推理しようと心がければ、これ以上の特定は難しい。ストーリー重視、サスペンス重視の読者はさっさと特定をあきらめて、物語の興奮が冷めやらぬうちに結末へと先を急ぐだろう(僕もその一人だ)。あるいは、ハヤカワミステリ文庫(旧訳版)の解説をつとめたミステリー評論家・各務三郎氏のような玄人に「クリスティ自身に手がかりを与える気は最初からなかった」という印象を抱かせる事になる。

 僕ら初読者はこれ以上の人物の特定はできないが、若島は消去法を用いて導き出した(と信じる)「I=ウォーグレイヴ判事」という結論を根拠にして、さらに分析を続ける。これは非常に危険な行為だ。これまでの判断に一つでも誤りがあれば、以後の推論は雪崩のように総くずれになってしまうからだ。そんな危険もかえりみず「I=判事」を根拠にして若島が明らかにしようとするのは、次の2点である。

1.「私だって((死ぬのが)怖い」という箇所は、不治の病を宣告された判事の心理を描写している。
2.ハヤカワミステリ文庫(旧訳版)の「怪しいのはあの娘だ」という訳は、叙述トリックにひっかかった誤訳だ。


 Iは若島が「叙述トリック」の勘どころとして取り上げている箇所なので、この2点を論駁すれば若島の主張はそれこそガタガタになるはずだ。

 まずは1について。ここまで読んでいただいた方は、僕が何を言いたいかすぐにわかってもらえるはずだ。そう、ウォーグレイヴ判事が不治の病に侵されているとわかるのは、十人全員が死んだ後に、判事が犯行を告白した告白書(が入った瓶)が海で発見された後に、語り手によって公表された時点だ。つまり、Bの場面で判事が不治の病をわずらっている事を知る手立てなど初読者にはない。

 ならば、たとえ「I=判事」だと推測できたとしても、「私だって怖い」という心理描写が犯人である事の根拠になりえない。要するに「私だって怖い」という心理が殺人鬼に怯えた心理でないと疑う根拠は、分析者(初読者)にはない事になる。たしかに、この表現には「誤読を誘う叙述トリック」が隠されているが、初読者にとって論理的かつフェアなトリックとは言えない。

 2について検討する前に一言言っておく。若島に誤訳呼ばわりされた「旧訳」とは、ハヤカワ・ミステリ文庫(旧訳版)『そして誰もいなくなった』であり、訳者は清水俊二である。ややこしい事に、若島の評論がミステリーファンのあいだで有名になったせいか、アガサ・クリスティ文庫が新たに刊行された際に、『そして誰もいなくなった』はハヤカワ・ミステリ文庫の旧訳をそのまま採用しつつも、既に亡くなられていた清水氏に代わって「誰か」(これも特定されていない。果たして誰だろう?)によって、若島の指摘どおりの訳に直されている。僕から言わせれば、出版社はうかうかと乗せられて早まった対応をしたものだ。

 著者が指摘した旧訳の誤りとは、Iの次のような箇所である。

(原文) The girl...I'll watch the girl. Yes, I'll watch the girl...
(清水訳)怪しいのはあの娘だ…そうだ、あの娘を警戒しなければならない…
(若島訳)あの女…あの女を見張っていよう…。そうだ、あの女を見張るんだ…

 ちなみにクリスティ文庫の訳は「娘…あの娘を見張っていよう…そうだ、あの娘を見張るのだ…」となっている。先ほども書いたが、全面的に若島訳を採用したと見るべきだろう。そして若島の考える「清水訳の致命的な誤訳」とは、結局のところ「怪しいのはあの娘だ」という表現だということになる。しかし何故これが致命的な訳なのだろうか。

 原文のI'll watch the girlは、直訳すれば若島訳のように「見張っていよう」となる。これはニュートラルな訳だが、人物Iの感情にもう少し踏み込むと、次のフレーズのように「あの女を見張るんだ」という意志あるいは義務となる。実は若島自身も、知らず知らずにニュートラルな直訳からIの心理に一歩踏み込んだ訳し方をしている。

 若島訳の「あの女を見張るんだ」からさらに一歩踏み込んだのが、清水訳の「あの娘を警戒しなければならない」という訳だと見ていいだろう。若島訳のようにwatchを単に「見張る」と訳すだけでは、Iの心理が充分反映されていないと判断して、清水訳は「警戒する」という言葉を用いている。つまり清水氏は、Iが「あの娘が犯人ではないか」と疑っていると見なした上で、Iの心理状態を反映した訳出を行っている。「怪しいのはあの娘だ」というのは「警戒」から導きだされる意訳だ。まさに心理が露出している訳し方で、普通に考えれば誤訳ではなく意訳として許容される範囲だろう。

 一方、若島の「あの女を見張っていよう」という訳はわかりにくい。若島の指摘に沿えば、原文が読者を「叙述トリック」でだまそうとしているために曖昧な表現にとどめているとも言えるが、果たしてそうだろうか。そもそもIが犯人だとすると、何故「あの女を見張」らなければならないのだろう。若島は次のように推測している。

 実際には、彼(Iの事)はヴェラのタフさを充分に見抜いていて、最後には彼女が残ることをすでにこの時点で予測しているのだ。要するに、訳者はそこのところを読めていない。その翻訳を通じてしか『そして誰もいなくなった』を読んだことのない一般読者には、もちろんそれがわかるはずがない。わたしが本稿を書く気になった本当の理由は、実はそこにある。


 若島は、これまで「叙述トリック」のうがった読みで僕らを導いておきながら、最後に「本稿を書く気になった本当の理由」が旧訳のたった一箇所の誤りを正すためだと言っている。しかもこの誤りは「小説全体の読みに関わる重大な問題をはらんでいる」とまで言い切っている。こうして旧訳の責任者・清水俊二は徹底的におとしめられる。

 だが、致命的な間違いをおかしているのは著者・若島正のほうだ。以下で証明しよう。

 先ほどのBの分析の検証から、次のことが言える。

・Iがウォーグレイヴ判事の心理である正当な根拠は存在しない。(判事orアームストロング医師である。)
・「私だって(死ぬのが)怖い」という表現に叙述トリックが仕組まれていると解釈する合理的根拠はない(「不治の病」を根拠にするのはNG)。
・だとすると、ほとんどの読者はIが犯人かどうかわからない。
・その「ほとんどの読者」の中には、誤訳をしたとされる当人(清水俊二氏)も含まれる。
・ならば、清水俊二氏が重大な過失をおかしたとは言えない。


 しかし若島は、あくまで旧訳版の「怪しいのはあの娘だ」という訳が「あの女を見張っていよう」と訳されていれば、ここに叙述トリックが仕組まれている事は「一般読者(初読者)」に容易にわかるはずだと主張するだろう。「あの女」を見張らねばならない理由は、「(Iが)最後には彼女が残ることをすでにこの時点で予測している」からだ。

 ほらね。待たしても若島は無意識に前提条件を踏み外してしまっている。一般読者(初読者)は、どうやったらBの場面でヴェラが最後まで残る事を知ることができるのですか?知ることができないのであれば、「あの女を見張っていよう」という表現に叙述トリックが仕組まれていると、初読者が考えうる合理的かつフェアな根拠はなんですか?

 要するにこういうことだ。「Iが犯人だ」とは確定できていない。未確定なので、訳語を「あの女を見張っていよう」に置き換えたところで、「あの女を見張る」が叙述トリックである合理的根拠はない。たとえIが犯人だと確定していたとしても、「見張る」ことの合理的解釈はない。どう考えても一般読者には、叙述トリックの持つ意味がわかるはずがない。若島の決め言葉にならって言えば「僕がこの書評を書く気になった動機は、まさにここにある」。若島の「要するに、訳者(清水)はそこのところを読めていない」という非難は言いがかりもはなはだしい。

 だが一方で、翻訳家はいつだって再読者ではないかという主張もありうる。訳者は犯人のトリックも結末もすべて知っている。ならば、やはり誤訳(本当は意訳)をした事の責任をとるべきだろうと考える人もいるかもしれない。しかし、それは見当違いだ。もう一度、この分析に入る前の前提条件を思い出してほしい。僕らは「叙述トリック」の方法論と場所を再読者から耳打ちされた初読者であった。方法論とは「登場人物の心理描写にはすべて真実が書かれている」というものだった。

 ならば翻訳家・清水俊二は、再読者・若島正から「叙述トリック」に関する耳打ちをしてもらっただろうか。答えは否。断じて否だ。耳打ちされていない一翻訳家が、玄人受けをねらった奇妙な「叙述トリック」を自力で見とおすことが果たしてできただろうか?しかも若島の発見した「叙述トリック」は、一般読者(初読者)の謎解きには一つも貢献しない事は今見てきたとおりだ。この場合でも、やはり翻訳家の責任は「重大であり致命的だ」などと言えるだろうか?

 これも否だ。そもそも「怪しいのはあの娘」という清水訳は、若島が言うような「小説全体の読みに関わる重大な問題」をはらんでなどいない。せいぜい「叙述トリックの読みに関わる重大な問題」をはらんでいると言えるだけだ。つまり「叙述トリック」には綻びがないという若島自身の自己満足(作者クリスティの自己満足でもある)が得られるだけだ。そんな自己満足などは一般読者には知ったことじゃない。

 それでも若島にしてみれば、訳者の不可抗力にせよ、トラの子の「叙述トリック」が訳文のニュアンスによって失われてしまうのは悔やんでも悔やみきれないのだろうと、同情する声もどこからか聞こえてきそうだ。しかし、これについても僕の答えは否だ。というのも、若島は「叙述トリック」分析のいかしどころを、心理描写の特定が最も難しい箇所(AおよびB)に求めているからだ。あたかも他には分析のしやすい箇所はないかのような振る舞いをしているが、これは若島の身勝手な都合にすぎない。なぜなら、若島が「叙述トリック」のありかとして注目した3箇所のうち、導入部の@(1-1〜8)で早々に犯人である判事の心理描写に「叙述トリック」が仕組まれていると、若島自身が指摘しているからだ。

 しかも、若島は@の分析を判事の心理に限っておこなっている。判事の心理描写に「叙述トリック」の存在を指摘しただけで「判事が犯人であること」を断定している。このような分析の手つづきも、今となっては不十分であると言わざるを得ない。ここで若島が分析した事は、せいぜい「判事が犯人であるかもしれない」という可能性だ。なにしろ、他の人物たちの心理描写にトリックがない事を検証していないのだから。

 若島は次のような言い訳をしている。

登場人物たち各人の意識の断片をつぶさに検討してみることは、それなりに興味深いことではあるが、本稿の目的ではない。


 この言葉を盾にして、若島は判事以外の登場人物の心理描写を分析せず、なおざりにする。これはあきらかに片手落ちだろう。もし「導入部での全員の心理描写を分析すれば犯人が特定できる」というのでは興ざめなので、どうせなら「ひときわ目立つ書き方」(若島)をしている箇所で、「叙述トリック」の手口の巧みさと、その論理性(犯人を正しく推理できる)という2点を一挙に示してみせようというのが、若島の野心であり身勝手な魂胆だった。つまりAやBは、自らの読みの切れ味を読者に示すためだけに選ばれたにすぎない。

 と同時に、そこには「悪意」がともなっている。さきほどの若島の言葉の中に、導入部を「つぶさに検討する」のは「本稿の目的ではない」と書かれている。そして、小論の終盤でBの分析を終えた直後に、「本稿を書く気になった本当の理由」は訳者・清水俊二の誤訳を糾弾することにあったと書かれている。語るに落ちたとはこのことだろう。著者・若島正にとって翻訳家・清水俊二の訳は「目の上のたんこぶ」だと自白しているも同然だ。それを「小説全体の読みにとって」とか、あるいは「一般読者にとって」の致命的な誤りだと思わせた罪状は、どうつぐなってくれようか。

 これで僕の言いたかった事、この書評を書く気になった理由を満足させる事ができたように思う。これからは、『そして誰もいなくなった』で作者クリスティがひそかにすべりこませたという「叙述トリック」の巧みさを楽しんで味わいたいと思う。本来ならば、これは言い出しっぺの若島正氏がすべきことだったはずだ。なのに、彼は「叙述トリック」という発見の独創性に目がくらんで、誤った方向に読者や翻訳者を道連れにしてしまった。

 次にやるべきことは、導入部での登場人物全員の心理描写を丁寧に分析する事だ。その際に、僕の楽しみとして、原文と旧訳と新訳(青木久恵訳)、ついでに若島訳(判事のみ)を併記して、どの訳が翻訳として妥当か、叙述トリックとして妥当か、などを見ていこうと思う。(つづく)

(2010/12/1初出,2012/2/24改訂)
posted by アスラン at 05:13| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 評論・エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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