2010年10月11日

無・無生物主語のススメ 〜「日本語作文術」から遠く離れて〜(その2)

 もういちど、まな板にのせている無生物主語構文を、「ユングとタロット(サリー・ニコルズ/著 秋山さと子/訳 若山隆良/訳)」から引用しておこう。
(A)解説書は、知性と感情移入を刺激し、他者の洞察や感情へと私たちを結びつける。
(B)美術館は想像力を刺激し、私たちを強いて、自分自身の創造性の中に深く浸らせ、拡充(アンプリフィケーション)と理解のための体験の中に浸らせる。


 (その1)で(A)をなんとか退治した。次は(B)だが(A)以上に手強そうだ。まず(B)をパーツ(節)に分解する。

(B-1)美術館は想像力を刺激し、
(B-2)(美術館は)私たちを強いて
(B-3)(美術館は)自分自身の創造性の中に深く浸らせ、
(B-4)(美術館は)拡充(アンプリフィケーション)と理解のための体験の中に浸らせる。


 順に見ていくと、(B-1)は

 (B-1)'美術館を見て回ると、想像力が刺激され、

と書き換えるのに異論はないだろう。

 (B-2)は(B-3)および(B-4)にそれぞれ係り、「私たちを強いて…浸らせる」とな
るので、

 私たちは…浸らざるを得ない。

のニュアンスを(B-3)と(B-4)に加えればいい。これは後回しにしよう。

 ところで(B-3)も(B-4)もかなりわかりにくい。というか、もはや日本語ではないように思える。(B-3)を、「私たち」を主語にした文にもどしてみるとはっきりする。

 
(B-3)'(美術館を訪れることで)私たちは、自分自身の創造性の中に深く浸る。

 無生物主語のわかりにくい構文を取り除いたにも関わらず、さっぱりわからない。その原因はどこにあるかといえば、書評(その4)で述べたように「創造性」という名詞のもつ難しさにある。もちろん、単語自体の意味は難しくない。ただ、日本語としてこなれていない表現にしたことで、日本語お得意の「文脈依存性」の良さが損なわれてしまっているのだ。「創造性」がいったい何を意味するのか。名詞1語の中にそれこそ主体も目的語も封じ込められ、行為を表すのか性質を表すのかさえも曖昧だ。だからこそ、ここは徹底的に周辺から地固めするしかない。

 「創造性」は「創造(すること)」とは違う。「創造する能力あるいは資質」を指しているはずだ。もし「創造(の中)に深く浸る」であれば、「創造するのに夢中になる」とか「好きなだけ創造を繰り返す」のように訳せばいいが、「創造性」となるとそうはいかない。一体、自らの能力や資質のただ中に「深く浸る」とはどういう事を指すのだろうか?

 これが「自分自身の創造性」ではなくて「芸術家たちの創造性」であるならば、話が違ってくる。(A)の和文和訳で見てきたとおり、解説書の役目は「他者の洞察や感情」に触れる事だったはずだ。美術館でも、まさに目の前にある作品の中に「芸術家たちの創造性」は満ちあふれている。そうではなく「自らの創造性に浸る」という表現には、英語圏の人々しかわからない比喩やレトリックが隠されている。それが素直に感じとれるのは、英語をネイティブとする人々だけだ。なのに翻訳者は、「発話環境(=英語圏)」に依存した表現を強引に直訳して、読者にレトリックの解釈を丸投げしているのだ。

 こちらもこれ以上、翻訳者の「通じる人にしか通じない訳語」につきあっていられないので、少し思い切って「自らの創造性に浸る」のレトリックを日本人にわかるように解釈して、

 
(B-3)''自らの創造する能力や資質ととことん向き合う

と言い換えてみる。ただし、正直心許ない。なにしろ「感情移入を刺激する」という変な表現を平気で書いてしまう訳者の事だから、「創造性の中に浸る」という言い回しがどの程度原文に対して正確な表現なのかかわからない。だが、先に進もう。

 残ったのは(B-4)だけだ。そしてそれは、さらにさらに手強い。(B-3)と同様に、とりあえず「私たち」を主語にした構文に書き換えておこう。

(B-4)'(美術館を訪れることで)私たちは、拡充(アンプリフィケーション)と理解のための体験の中に浸る。


 「拡充」にわざわざ「アンプリフィケーション」と併記して、原書で使用されている表現がわかるようにしたのはなぜか。「拡充」だけでは読者に意味が伝わらないという翻訳家の配慮だろう。配慮というと聞こえはいいが、要は訳語に自信がないのだ。

 訳者あとがきを読むと、「拡充」はユング心理学では重要な概念だと書いてあった。拡充とは「無意識の心象をさまざまな象徴や原型などを適用することで解釈を充填していく方法」を指すようだ。そこで、訳語だけでは専門用語としての特別な意味が読者に理解できなくなってしまうとでも思ったのだろう。しかし、そもそも原書で読めない人に適切な翻訳(日本語)を提供するのが役目の人間にしては、無責任きわまりない。

 「拡充」という用語そのものは専門的すぎるので、ここでは立ち入らないとして、拡充が何をもたらすかといえば「無意識の意識化」つまり、人の無意識を理解することに他ならない。ならば「拡充と理解」という並列表現は、単に「リンゴとバナナ」のような同種のものを並べたのではなく、「問いと答え」「原因と結果」のような呼応関係を含んでいるように感じられる。ただし、本当のところはこの文章ではわからない。またしても日本語の文脈依存性が使えない、超悪文といっていい。

 どこにも手がかりはないが思い切って、「〈拡充〉することで理解にいたる」とでも訳そう。再び問題となるのは「何を」である。何を理解できるというのか。これも「おそらくは」と留保をつけなければならないが、「自分自身を」であろう。なにしろ、直前で「自らの創造性に向き合って」いるのだ。

 ここまで来てちょっと思いついた事がある。どうやら「美術館」の比喩は、ユングの「拡充法」そのものの説明になっているのではないだろうか。そういう目で見ると合点がいくことが多い。「自らの創造性」とは何かと言えば、自分の無意識の中身であるだろうし、拡充法はその無意識の上層に出てくる夢に「象徴」だとか「集合的無意識」などを当てはめていく(拡充していく)事で、自ら(の心)を理解するというプロセスを経る(たぶん。嘘言ってたらゴメン)。

 だから、(B-4)の「拡充(アンプリフィケーション)」は、専門用語の「拡充法」ではなく、文字通りの「拡充」と取った方がよさそうだ。「拡充」という言葉は耳慣れないから、もっとわかりやすい単語に置き換える事も可能だろうが、置き換えると「拡充法」の由来が見えなくなる。ここは「拡充」のままでわかりやすく説明するしかない。

(B-4)''(美術館を訪れると、)私たちは、無意識を拡充することで自らの理解に至るための体験の中に浸る。


と書き換えられる。「〜のための体験」というのが邪魔だ。「理解に至るまでを体験する」で十分だ。「浸る」を意訳して、

(B-4)'''(美術館を訪れると、)無意識を拡充することで自らを理解するまでのプロセスを思う存分体験する


最終的に調整した試訳は以下のとおり。

[(B)の試訳]
美術館を訪れると想像力が刺激される。結果として、自らの創造する能力にとことん向き合うように促され、無意識を拡充して自らを理解するまでのプロセスを思う存分体験するように促される。


我ながら思うが、あまりいいできばえではない。あとは、前に挙げたパラグラフ全体を書き換えた上で、最終調整をしよう。

 実は以上で考えた試訳をつなげると文字数が1.2倍になって簡潔さに欠ける文章になってしまう。もうちょっとダイエットしてみよう。

[「ユングとタロット」(P.22)のパラグラフの書き換え]
 解説書が付いたタロット一組と、何も付かないマルセイユ版タロットにはわずかな差しかないが、タロットの意味を知る上では無視できない。私たち(研究者)の理論では、前者は解説書を読むだけで、後者はわざわざ美術館に足を運ぶくらいの差がある。どちらも貴重な体験ではあるが、どれほどの効果があるかを比べるときわめてかけ離れている。人は解説書を読むと知的関心や共感がわきおこり、他人がどんなことを考えたり感じたりするかを我が事のように考える。一方で、人は美術館に来ると想像力が刺激されるので、自分にどれだけの創造性があるかをとことん考えさせられて、「無意識を拡充して自分を理解する」という過程を存分に体験させられる。


 少しはわかりやすくなっただろうか。もしそうなってないとしたら、原因は4つある

 (1)無生物主語構文(直訳)には、日本語読解に必要な文脈が失われている。
 (2)無生物主語構文(原文)には、発話環境(英語)を前提とした比喩やレトリックが含まれる。
 (3)私(和文和訳者)の英語の知識が未熟である。
 (4)私(和文和訳者)の日本語の技術が未熟である。
 
 最終的な書き換え文の責任は僕自身にあるが、(1)から(3)については翻訳家の責任だ。なんども言うが、英語の知識がなければ読解ができない翻訳書などはお金を払う価値などないのだ。そんな翻訳(直訳)をありがたがるだけでは物足りず、最初から日本語の文章でも無生物主語構文を使おうという「無生物主語のススメ」に至っては「百害がある」ことだけは言っておきたい。
 
posted by アスラン at 10:58| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 評論・エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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