2006年04月03日

雑誌の貸出に川崎図書館の底力を見た!(図書館のすべて)

 先日読んだジェフリー・ディーヴァーの「獣たちの庭園」で、主人公の殺し屋がドイツに潜入した際にゲシュタポらに職務質問された際のお札がわりにヒトラーが出版したばかりの「わが闘争」を渡される。主人公が「どんな内容だ?」と問いただすとねつ造ばかりで戯れ言が書き連ねていると言われて、読む気が失せるシーンがある。

 そう言えば「わが闘争」は読んだことがなかった。中学の頃には町の小さな本屋にさえ「わが闘争」(角川文庫だろう)が置かれていて、何度となく手にとった記憶がある。それでいて読まなかったのは分量の多さもさることながら、狂気に満ちた政治を行い第二次世界大戦を引き起こした人物が書いた物を読むことに、素直に嫌悪感があったのだと思う。

 読書ジャンキーは手当たり次第に読みたい本をかき集めてしまうのが特徴だ。読めもしないのに借りる置く場所もないのに買う、買うと安心してすぐ読まない、などなど。こうして蔵書が増えていく。

 読書パラノイアはある種の本を読み継いだり、ある作家の本をとことん読んだりと、自分で決めたテーマにこだわる。偏執的にまとめ読みをするのだ。するとおのずとテーマに関する蔵書が増えていく。漱石本、ディクスン・カー本はこれで増えていった。

 最後に読書スキゾはテーマにあきて違う本が読みたくなる。特に人がいいとオススメをしたりすると、読む本があるというのにどんどん借りてきて先に読んでしまう。テーマが中断する。いや新たなテーマをたてて前のテーマが置き去りになる。こうしてディクスン・カーはあと長編5,6冊と短編数冊を残すのみなのに、何故かテーマがクリスティーやクイーンや007になってしまう。つまりこれをミーハーと世間では呼ぶ

 ディーヴァーを読んで「わが闘争」を借りてしまう自分は自他ともに認めるミーハーだろう。では笠井潔の「探偵小説と二〇世紀精神」を読んだら何を借りるのだろう。当然ながら、法月綸太郎の「初期クイーン論」だ。ここにエラリー・クイーンの「読者への挑戦」と「ゲーデル的問題」との端緒がある。

 ところが調べてみると「初期クイーン論」は本になってない。雑誌「現代思想」に掲載された小文のようだ。しかも1995年2月号というから、もう十年以上経っているのだ。おのれの不見識を恥じるべきか、恥じる暇があったら借りるべきか。もちろん後者だろう。

 これまたミーハー心で芥川賞受賞したての絲山秋子「沖で待つ」を読もうとして当時未刊であったので、初出の雑誌「群像」を借りて読んだ。今回も雑誌を借りて読もうと、さっそくいつもの図書館の蔵書検索に走る。

 立川でも川崎でも借りられればどちらでもいい。十年も前の雑誌だから予約待ちする事もないだろう。しかし立川図書館の予約が便利になったことでもあるし、まずは立川で検索。ところが…。

 なんと立川では「現代思想」は2004年1月号までのバックナンバーしか検索できない。それより前の雑誌はもはや所有していないのだろうか。がっかりしつつ川崎図書館で同じ検索をやってみると、なんとなんと1985年まで遡ってバックナンバーが蔵書となっている。しかもすべてウェブから予約可能。

 そうかぁ、立川のシステムは川崎を抜いたと思ったけれど、まだまだ負けてるな。川崎図書館殿、お見それいたしました!

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posted by アスラン at 12:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 図書館のすべて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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