2010年08月26日

プリズン・トリック 遠藤武文(2010/8/22読了)

僕は江戸川乱歩賞受賞作をどれほど読んでいるのだろう。本書の巻末に受賞作リストが付されていたので勘定してみた。案の定、少ない。

第3回(1957年) - 仁木悦子 『猫は知っていた』
第11回(1965年) - 西村京太郎 『天使の傷痕』
第19回(1973年) - 小峰元 『アルキメデスは手を汚さない』
第24回(1978年) - 栗本薫 『ぼくらの時代』
第55回(2009年) - 遠藤武文 『プリズン・トリック』


 本作を含めてたったの4冊だ。しかも残りの3冊は60〜70年代の作品。「日本のミステリーとしては古典」は言い過ぎにしても、スタンダードと言えるだろう。特にウォッチしてこなかったとは言え、これほど読んでないものかとちょっと驚いた。所詮は、芥川賞にしても直木賞にしても乱歩賞にしても、冠の大きさに比して受賞作に関心を持つ人は限られているというわけだろう。僕のように、一応はミステリーファンを標榜している人間でさえ、これほどまでに「乱歩賞」に無関心を通してきたくらいだ。

 僕の勝手なイメージからすると、「乱歩賞=プロのミステリー作家への登竜門」であって、応募者は無名ではあるがセミプロであると思っていた。いまでこそ大衆向けのトラベルミステリーを量産する事で知られる西村京太郎が、重いテーマと結末の意外性とでミステリ−作家としての輝かしい経歴の冒頭を飾る「天使の傷痕」が乱歩賞受賞作であるという事が、僕にとっては乱歩賞作品は「完成度が高い」というイメージを持たせるにいたった大きな理由だろう。

 本作が、その煽りの効いた宣伝文句「読み落としていい箇所はラスト一行までどこにもない。あなたは絶対に鉄壁のトリックを見破れない」で僕らを惹きつけ、タイトルからもトリック重視の作品であることはよくわかっていたが、そうは言ってもそれなりの完成度はあるものだと思っていた。だが、まず最初に言っておきたいのは、この小説は未完成品だという点だ。あえて言えば、乱歩賞に提出するためのタイムリミットと枚数制限に迫られて、書きなぐり、書きはしょったと言えばいいだろうか。

 それが証拠に、導入部である交通刑務所内の描写はすばらしい。克明な所内の日常と、語り手である受刑者らの心理描写などは緊張感に満ち、刑務所内だけにしか通用しない独特のモラルと理念に刑務官も受刑者もともに縛られている様子がリアルに描かれていて、とにかく圧倒される。その上で所内では起こりえない事が起きる。殺人と脱走だ。受刑者の一人がもう一人の受刑者を殺して、逃走する。

 二人は東開放寮と西開放寮とに居室があるため、就寝後は交流できない。にもかかわらず、刑務官の目をごまかして一人は倉庫で殺され、一人は脱走する。密室殺人だ。しかも被害者は入手不可能な筋弛緩薬で殺害され、身元を隠すかのように濃硫酸(これも入手不可能なのは言うまでもない)で、顔と指先がつぶされている。

 複数の審査員が口にする「志の高さ」には、エンタメ全盛の時代において本格ミステリーであえて勝負を賭けてきた作者の志を高く評価しようという意図が込められているようだ。ところが、導入における語り手(受刑者の一人)が姿を消し、次々と語り手が入れ替わるにいたって、緊張感ある文体は崩れ、ただなしくずしにストーリーを追うだけの小説に変わってしまう。あるいは登場人物に必要となる台詞を言わせるだけの文章に堕してしまう。

 たとえば、非常に魅力的な設定だと思ったのは、中盤の主人公である保険調査員と、それに関わってくる地方新聞の女性記者との関係だ。若手とベテラン、世代の違い、背負っているものの違いなどが交差し、すれちがい、あるいは交換される。読みごたえのある人間ドラマが展開されるのを僕ら読者は期待してしまう。しかし、当然ながら賞向けの文章を結末へと書き進める作者に、僕らの期待に応える余裕はない。人間の描き方が平板というわけではないだけに、残念だ。

 そういうわけで、実は置き去りにしてきた人間ドラマを惜しむだけでなく、肝心のトリックを解明する山場さえも、この作品は作り損なっている。その一番の理由は、探偵役と思われた調査員が事件に大きく関わりを持つにつれて、肝心の場面に不在となってしまう事につきる。ならば、きちんと探偵役のバックアップを最初から考えておくべきだった。

 さまざまな構成上の問題を抱えてはいるが、「志の高さ」に免じて本作は乱歩賞を取り、こうして出版された。著者は審査員の指摘をうけて「加筆・修正した」そうだが、それはあまり信用できない。こうして素人読者が、審査員と同様の指摘をできるくらいのレベルの文章がごろごろ見受けられるからだ。

 ただ、致命的ではない。僕は読んでいてずっと好感が持てた。映画にまでなってしまった「告白」の底の浅さ、あざとさから比べれば、何倍もましだ。文体が崩れてからも、たえず「これはきっと書き直すんだろうな」と思っていた。作者の資質にもよるだろうが、ぜひ文庫化にあたっては出版社の催促などものともせず、高村薫ばりにじっくりと、書き損ねた人間ドラマを掘り起こしていってほしい。これは必ず良い作品になる。
posted by アスラン at 12:54| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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