2006年03月30日

獣たちの庭園 ジェフリー・ディーヴァー

 ラインハルト・エルンスト。ナチス・ドイツにあってヒトラー以上に米国が危険視する男。第一次大戦後に連合国との間に締結されたヴェルサイユ条約によって極めて制限された軍備をひそかに建て直すにあたって、手腕をふるえるのはエルンストをおいて他にない。彼なくしてはヒトラーはただの変人だとポールを拘束した上院議員と情報局の男は言う。

 ポール。ポール・シューマンこそが本書の主人公だ。若き日にギャングの一人を殺して以来、生き延びるためにニューヨークのギャングたちからの依頼に応える殺し屋稼業に身をやつす。その慎重すぎるほどの危機管理によってこれまで決して依頼をしくじらないし捕まることもなかった。しかし今回限りは年貢の納め時かと思う。

 ただし彼らはポールが思い描いていたのとは違う年貢の納め方を用意していた。シンシン刑務所の電気椅子に座らされるかわりに、ドイツに行ってエルンストを暗殺するという選択だ。多額の報酬と過去の罪をチャラにするという裏取引をポールは受け入れる。

 累が及ばないようにと絶縁していた兄に帰国後の共同経営の話を持ちかけ、電話できないと知りつつ恋人のマリオンからの無理を聞くそぶりを見せる。ターゲットは「氷に触れる」ように接近して銃撃する非常さをもちながら、プライベートでは人間味を失わないタフなヒーロー。まさに第二次大戦を準備する鬱鬱としたドイツを疾駆するにふさわしく頼もしい主人公ではないか。

 リンカーン・ライムという稀有なヒーローを生み出した著者は、初の歴史ミステリーを書くにあたってより楽観的で生き延びる事に貪欲な魅力あるキャラクターを創造した。そして本書はお得意のジェットコースター・サスペンスであると同時にジャンルとしての冒険小説と言える。

 著者は魅力あるヒーローを造形しただけでなく、歴史上の人物であるヒトラーを初めとしたナチスの幹部たちを立体的に活写する。その上で架空の人物エルンストを挿入して読者に何の違和感も感じさせない。ナチスに明るくない僕は、解説を読むまで歴史上の人物だと思い込んでいたくらいだ。

 ポールは使命を果たす前に、冒頭からトラブルに巻き込まれる。現地の連絡員とコンタクトをとろうとして、殺人事件に遭遇しクリポ(警察)から追われ、退去を強制されたゆきずりのユダヤ人に手をさしのべたためにゲジュタポからも追われ窮地にたつ。当然ながら息をもつかせぬ展開が読者を待ち受けていて、屈強のヒーローに訪れる運命から僕らは目を離すことができない。

 残念な事に「ボーン・コレクター」以来リンカーン・ライムのシリーズにハマって著者の手際に慣れ親しんでいるうちに、僕はディーヴァーの読者としてはすれっからしになってしまった。つまり一見してストーリーに無関係に見えるものも無関係には捨ておかない著者のいわゆる下心について見過ごす事はできなくなっている。

 例えば、なにげないとるに足らない動作や痕跡でも、必ず手がかりとして著者は作中人物に言及させるだろう。単に街角でゆきずりと二言三言かわした会話に過ぎなくとも必ず後の布石になっているのだ。見かけは善良そうな人物でも必ず牙を隠しもっている。などなど…。

 著者の書く作品世界では、単なる設定に過ぎないとか単なる描写に過ぎない、単なる雰囲気づくりに過ぎないという侮りは禁物だ。そういう意味では無駄なものなど何ひとつ記述されていないのだ。

 これはエラリー・クイーンの「オランダ靴の秘密」のような初期作品の文章には何一つ謎解きのために無駄な事が書かれていないと言われているのとある種の符合がある。クイーンの場合は、ジグソーパズルのピースが用意周到に作中にちりばめられ、結末でロジックの伽藍を形作る

 一方でディヴァー作品では、宝探しのアドヴェンチャーゲームの分岐点で正しい道を選択するための手がかりが無駄なく配置されているようなものだ。手がかりをつかんだ方が先に宝に近づく事ができる。逆に誤った手がかりをつかんだり、誤った手順を選択すると大きく迂回させられるかデッドエンドを逆戻りしないといけない。登場人物にじっくりと考える時間は与えられていない。まさしくコースターに乗りながら頭をふりしぼって状況判断していかなければならないのだ。

 登場人物のコースターに同乗する僕ら読者は宝の在りかにはいずれ行き着くにしても、著者が無駄なく配置した手がかりの意味を知らずにいたほうが、分岐点にさしかかったときの驚きが大きいことも確かだろう。そういう意味でディーヴァー作品にすれっからしになってしまった自分が残念なのだ。

 無駄がないという事は、ある意味でディーヴァー作品としては見通しのいい筋立てになっているとも言える。先が読めて物足りないというディーヴァーのファンもいるかもしれない。でも本作について言えば逆に見通しのいい展開は、題材の重苦しさに反してヒーローがたどり着く爽快な結末に不意打ちされる愉しさを倍加させてくれる。
(2006年3月27日読了)


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posted by アスラン at 14:35| Comment(0) | TrackBack(1) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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Weblog: 流星シラップソーダ
Tracked: 2006-08-11 15:53
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