2010年06月21日

シャッター・アイランド デニス・ルヘイン(2010/4/16読了)

 ルヘインの作品は今度で二作目だ。前回がイーストウッド監督の映画「ミスティック・リバー」公開に合わせて読んだので、今回もまた映画の原作として読むことになる。どうも最初からルヘインの小説を読もうという気にはならないらしい。少なくとも「ミスティック・リバー」は映画を観たいとはいまだに思うが、原作に関しては一度読めば十分という感じだった。

 昔、ルース・レンデルの代表作と言われる「ロウフィールド館の惨劇」を絶賛する書評が目に留まった。家政婦が主人たちを殺したのは「彼女が文盲だったから」という理由だった。不条理な動機で人を殺してしまう事件を生み出した想像力と語り口が「すごい!」と言いたいらしいのだが、読んで何が凄いのか、何を楽しめばよかったのか(味わえばよかったのか)最後まで理解できなかった。それ以来、レンデルの他の作品は一冊も読んでこなかった。

 ルヘインの「ミスティック・リバー」を読んだときも、そういう思いがあった。現代的なハードボイルドを読む際には覚悟しなくてはならないのかもしれないが、謎解きやトリックがなくても、殺人が起こり、被害者と被害者の家族と容疑者がいて、彼らの間でさまざまな愛憎に満ちた物語が濃密に展開しさえすれば、それで充足するような物語が実は苦手だ。

 もちろんそこに意外な結末が待ち受けていたりすれば、多少なりとも読んでよかったと思える。桐野夏生の一連の作品は「読んでよかった」と思わせる典型だ。「OUT]は人間ドラマでありながら、日常と非日常が紙一重であるところの絶妙さがすばらしく、そして最後の落としどころも「さすが」と思わせてくれた。

 だが「ミスティック・リバー」に関する限り、「なるようになる」物語にすぎず、「犯人でないのに犯人にされてしまう男」の恐怖(サスペンス)は確かに伝わってはみたものの、結末の展開が少しも意外ではなかった。

 では本作はどうか?僕の満足度は高い。孤島にある刑務所兼精神病院で起きた殺人を捜査に来た刑事たちが、非協力的な関係者たちの怪しげな言動によって捜査が息詰まってしまう。そこには、あるトリックが隠されている。映画に関していえば、例の「シックス・センス」に比する叙述トリックのようなものらしい。

 これは映像そのもの(カメラ)、あるいは小説の三人称の語り手と同様に客観的なはずの視線(まなざし)自体にウソが紛れ込んでいるという事だ。観客は最初からカメラ(視線)にだまされている。

 映画の方は観ていないので、どんな出来映えなのかわからないが、原作の方は最後まで「だまし」をつらぬけるわけではない。なんとなく読者には途中でわかってくる。それが、作者ルヘインの思惑通りなのか、それとも「だまし」の技術がまずいのか、微妙なところだ。少なくとも、一気に分かるのではなく、中盤ぐらいに「そうではないか」という疑念が頭をもたげてくる。

 そして、結末は僕の思ったとおりなのだから、叙述トリックの醍醐味からするとやや甘い。だが、当然ながら著者にとって叙述トリックの大技は作品の趣向の一つに過ぎないのであって、いつものように乾いた文体で描く人間心理の狂気や、エンディングに至るサスペンスなどの小技の方をこそ読んでもらいたいはずだ。その点では「ミスティック・リバー」ほど物語が重くないので、読みやすかった。
posted by アスラン at 19:36| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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