2010年06月10日

シャーロック・ホームズの冒険(新訳) アーサー・コナン・ドイル(2010/3/13読了)

 これまでホームズというと、新潮文庫の10冊からなる本でしか読んでこなかった。延原謙訳が、コナン・ドイルが執筆した当時の古色然とした時代の雰囲気をうまくたたえていて、かつ文章も格調高いと定評があった。高校生だった僕は、そんな権威に迎合するかのように、ありがたがって全巻を読み揃えた。

 だれしも「冒険」に収録されている名高い短編の数々に魅せられて、次の短編集や長編へと自然と読み進んでいくだろうから、翻訳自体に引っかかりをもつことはそれほどないと思っていた。そもそも「古めかしい」のは作品の時代背景であって、翻訳の文章そのものが「古くさい」なんてことを当時の僕は思いつきもしなかった。

 今年はハリウッド映画版「シャーロック・ホームズ」が公開されたせいで、タイミングを合わせて店頭で新訳の「冒険」が何冊か平積みされた。その中でも創元推理文庫の新訳シリーズの刊行が興味を引いた。訳者は、あの深町真理子さんで統一されるそうだ。まずは「冒険」から刊行かと思いきや、「事件簿」がすでに出版済みとなっている。

 ふーん、そうなんだと思ったら、もともと創元推理文庫のホームズ作品は複数の翻訳家の手になる寄り合い所帯で、「事件簿」が深町さんの翻訳だった。これを残し、それ以外の作品の新訳を彼女が担当する。その一番目が、やはり第1短編集の「冒険」だった。

 読めばわかるが、格調よりも読みやすさを優先している。言葉遣いが一新されただけで、まるで劣化したセピア色のフィルムが公開当時の鮮やかさを取り戻したかのようなフレッシュさを感じる。たしかに時代背景を念頭に置いた重厚さが翻訳に求められる場合もあるだろうが、当時の読者が熱狂したのは、コナン・ドイルの自在なイマジネーションと、生き生きとした語り口だったはずだ。

 もうひとつ重要な点は、深町さんの訳がいわゆる「政治的に正しい(politically correct)」表現を用いて延原訳をリライトしている点だろう。コナン・ドイルは、貧民層に容赦ない批評(批判)をこめた描写をしている。その事が、今の若い世代に「差別的で読むに耐えない」と言わしめ、敷居が高くなる原因になっているかもしれない。

 会社の同僚の話では、友人から息子が中学校の「読書の時間」に読む本の選択に悩んでると聞いたそうだ。教師から指定された課題図書の中に「冒険」が含まれていたので、同僚も僕も「冒険」を読むといいのではないかという話になった。読みやすいし、日頃本をあまり読まない中学生でも興味が持続すると思ったからだ。

 ところがその息子の感想は、さきほどの「差別的で読みづらかった」という、僕からすると意外なものだった。そんな事は僕自身はあまり感じたことがなかったので、本当に驚いた。たしかに読み直すと、そういう引っかかりがいくつもある。それは作者の責任に追うところもあるだろうが、多くは時代的な背景、時代的な通念に帰すべきものだろう。さらには、その背景や通念を容認できる翻訳家(延原)の時代背景や通念もある。さらにさらに言えば、読む側の意識だって時代とともに変化した。中学生当時の僕が引っかかりを感じなかったとしても、今の中学生には受け止めにくい点も多々あるのかもしれない。

 その点、深町訳には、少なくとも原作者の意図とは別に、不用意な言葉を使って読者を逆なですることはなくなったと言っていい。今まさに若い世代に読んでもらうには最適な新訳だ。

[ボヘミアの醜聞]
 いわば悪党小説とハーレクイン趣味が一緒になった短編と言えばよいか。ホームズが敗れる話から、この短編集が始まるというのもまったくもって憎らしいくらいの手際だ。

[赤毛連盟]

 言わずとしれたホームズシリーズの代表作。子供の頃に小学校の図書室で初めてホームズ物に出会った経験がある人ならば、永遠に心に残るのがこの作品であることはほぼ間違いないだろう。今読んでもアイディアに感心させられる。

[花婿の正体]
 これもミステリーには違いないが、花婿の正体が最初からみえみえで工夫がない。

[ボスコム谷の惨劇]
 K.K.K.(クークラックスクラン)という実在するアメリカの秘密結社に着想を得た読み物だが、皮肉な結末以外は現代人には少々退屈な作品だろう。いまだに同じ趣向を扇情的にやっているのが、ご存じ「ダヴィンチ・コード」「天使と悪魔」のダン・ブラウンだ。古くさい手が今なお通用するということの方が驚きだ。

[くちびるのねじれた男]
 高校の頃に本格的にホームズの原作に触れた際には、100年前の古色然とした雰囲気を湛えたロンドンの貧民窟には「いざり」や「びっこ」が頻々と出現する(延原訳(新潮文庫))事を気にすることはなかった。今回の深町真理子訳では、現代よりも偏見に満ちていたヴィクトリア女王時代の裏面を象徴する怪しさは減じたかもしれないが、同時にこの奇怪な話のおもしろさだけをきちんと再現することに訳者は成功している。

[青い石榴石(ざくろいし)]
 少々物騒なところをのぞけば、盗まれたガーネットがクリスマス用の七面鳥の中から出てくるという、クスクス笑いたくなるような面白いお話だ。犯罪には違いないし、犯人と間違えられてとらわれた容疑者がいるのだから、本来ならばけしからん話だが、そう思えないほどユーモアを基調とした語り口がなかなか楽しい。

[まだらの紐]

 あまりに有名で「赤毛連盟」についで本書の中でよく知られている短編と思われる。ミステリー好き(特に本格ミステリーマニア)の中には、これをいわゆる〈密室物〉の一つに数える人もいるようだが、僕自身はそんな印象はこれまでまったく受けてこなかった。そもそもが本短編をミステリーと考えていいのかも怪しいもので、今際のきわに「まだらの紐」という謎の言葉を残して死んだ女性の禍々しさだとか、何故か狒々(ひひ)が出てくるおどろおどろしさが、その後の「バスカヴィル家の犬」を先取りしたかのようで、一級のスリラーとしての醍醐味に満ちている。

[技師の親指]

 「まだらの紐」に引き続いてスリラーだ。しかも本書のなかで、最も震え上がるような恐怖に読者をいざなうのが本編だろう。親指を失った男がホームズたちを前にして物語る奇妙な話は、結末がどうなるか読めない。技師として派遣された彼が、目隠しされた挙げ句に行き着いた洋館で、修理を必要とした機械がある部屋に案内され、ひとり取り残される。そこへ一人の女性が姿を現し「逃げて、さもないと殺される」と言い残す場面は、読んでいて非常に怖い。いまから考えるとドラマや映画向きのサスペンスだ。

[独身の貴族]
 ホームズが、事件を解決したあとでワトソンに「最初からわかっていた。ありふれたよくある事件だ」とうそぶくように、本当にありふれた事件だ。これを先の読めない物語に仕立て上げるためには、作家は佐藤正午の「ジャンプ」でも読むといい。結末も間の抜けたものだが、ゴシップ好きの当時の読者へのサービスだったろうか。

[緑柱石の宝冠]
 P.463のホームズの一言はあまりにも有名で、本格ミステリーファンを痺れさせる。この作品はまさしくエラリー・クイーンが自らの作品の手本にした短編ではないかと思う。

[ぶなの木の屋敷の怪]
 「赤毛連盟」と同じように、(男ではなく若い女性だが)うまい話にのってしまう。女性は、ぶな屋敷と呼ばれる家の家庭教師に付く。女性が赤毛の質屋のあるじよりは賢明だったのは、前もってホームズに相談しに来たからだ。一見してどんな下心をもって彼女を雇い入れたかは読者には明白だ。あとは、どう結末づけるか作者の手際を楽しむばかりだ。

 最後に一言。

 あとがきでも指摘されているように、全体的に犯罪を構成しないような事件があるし、一見すると何気なくささいな出来事なのに実は大きな陰謀や悪事が隠されていたりする。北村薫が「円紫と私」シリーズで書いてきた事は、まさにこのホームズの最初の短編集にならったことだった。
posted by アスラン at 12:45| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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